5.「終わり無き悲しみ」の感想文

 たくさんのお手紙やおハガキをいただきました。その中から抜粋した語句を、順不同にならべました。

・「私は孤児施設で働いていたので、たくさんの戦争孤児を知っています。一番悪い時代の日本に生きてきた人間として書いておきたいと孤児の話を書き、その原作が演劇、映画になりましたが、これが戦争を知らない人にわかってもらうのが、なかなか大変です。孤児のところを繰り返し、読んでいます」(西村滋氏、作家)

・「執筆を促し、悲しみを奮いたたせるモノ、その苦しみを支えたモノが強く伝わってきました。幼い心を傷つけ、えぐってしまうこどものことばは、金田さんを取り巻いた時代や社会の非情さであり、親の考え方を反映しています。あの戦争で償われているのは一部の軍人だけでしょう。戦争孤児については全く知りませんでした」(70代前半、詩人)

・「身売りされた子ども。一時は目を疑いましたが、新聞記事を読んで認めざるをえませんでした。孤児についてはまだまだ奥深く、知られていない問題が多いですね」(疎開世代)

・「重い主題で、ていねいに資料を掲示しながらもの静かに主張を述べている本に出会いました。終わりなき怒りが広く共感をよぶといいですね。しかし、怒りがつぶやきになり、やがて消えてしまうという認識が強いです。小生は<死者の空席のために>を発信しつづけてきたのですが、のこったのは虚しさだけでした。法治がいかにまやかしか。この国が人の心をすこしでも持ってくれたら、少しは状況が変化するでしょうが。いろいろな真相が見えてくる年齢になりました」(疎開世代、作家)

・「改めていろいろ学ばさせていただきました。しかし、日本人はちっとも変わっていないどころか、ますます劣化の一途を辿っておりますので、どれだけ分かってもらえるかが情けない気持ちもいたします」(70代前後)

・「原発事故と比較された構想は、時期に即して読者も心惹かれる着想、内容になっています。宝の持ち腐れにならないように、ぜひ大勢の人に読んでほしいです」(疎開世代)

・「私は敗戦当時14歳でした。駅周辺で小学生生年代の浮浪児が大勢いました。なぜこんなに多いのかと不思議でした。どの子もボロ服で、大人を警戒する野獣のような目をしていました。強く印象に残ってています。弱者が犠牲になるのが戦争です」(80代)

・「この国は何もしない。文部省も厚生省も隠してきました。孤児救済にはお金がかかるからでしょう。金田さんがいかに怒りをぶっつけようが、この国は平気のへいざです。裁判官も同じです。そのことが最近よく分かってきました」(疎開世代)

・「国策で行われた学童疎開、孤児の救済なくして学童疎開は成功したとか、子どもの命を護ったとはいえません。文部省が隠してきたため、ほとんどの人が知りませんでした」(疎開世代)

・「家族6人も空襲で殺され孤児になりましたが、8月15日の戦没者追悼式に一度も招待されてきませんでした。あの追悼式は戦死者の遺族だけなのですか。世間では私たちも戦没者遺族だといいますけど、私たちは補償も追悼碑もなく、遺族になっていないのですね」(孤児)

・「戦死者には遺族年金が支給され、手厚く厚遇されていますから、空襲遺族にも支給されているとばかり長年思っていました。裁判になってはじめて何ひとつなかったと知り、愕然となりました。天災の震災遺族にも支給するのですから、国の起こした戦争で 亡くなった人に、なぜ何もしないのでしょう。信じられません。情けない国です」(80代)

・「戦災援護法が過去14回も廃案になったことに納得できません。私自身も国の責任において<空襲死者の追悼碑建立>を訴えつづけ、20年前がら東京区議会、都議会の署名を集め、2005年には衆議院の満場一致で採決を取り付けましたが、総務省の反対 でまだ建立されていません。追悼碑だけは遺してくれるよう、現在も総務大臣に働きかけを行っていますが、私も傘寿になり、最後のお願いとして努力しています」(遺族、滝保清氏)

・「私は孤児になって小学校も卒業できず、生きるのに精一杯で、必死に働いてきました。何も知るゆとりもなかったのですが、80歳の今ごろになって様々なことを知りました。戦争で私の人生は狂わされてしまったのです。せめて親たちを追悼する場がほしいです」(孤児)

・「都は犠牲者氏名の公表をしてもらいたい。遺族だけに氏名簿を見せるというので、母の死は届けてありましたから載っていましたが、友人たち数人の名を一生懸命さがしても一人も載っていませんでした。おそらく一家全滅して届ける人がいなかったのでしょう。だれが彼等の冥福を祈るのでしょうか。氏名の公表があれば、友人・知人の氏名がのせらると思います。東京都だけが公表しないのはなぜですか」(遺族)

・「私は中学生で死体処理を命じられ、その凄惨な死体が頭に焼きつき離れません。今も身体が震えだします。なぜ日本政府が空襲を隠し続けるのか。戦争のできる国にしたいからでしょうか。恐ろしいです」(80代)

・「私はあの空襲で逃げ、間一髪で一命をとりとめましたが、大勢の友人、知人が消息不明になりました。民衆の戦後史を改めて考えさせられました。戦争と原発事故は似ていると思っていました。どちらも無責任な政府です。東京大空襲死者を関東大震災の法要で隠しているのですね。ひどい話です」(80代)

・「ドイツをはじめ、アメリカ真珠湾記念館、中国、韓国など、戦跡を記念する記念館、博物館が多くありますが、日本の空襲だけは追悼碑も記念館もなく、日本国内や、世界にほとんど知られていないのが現状です。祈る場がなければ、死者は浮かばれません。消息不明になった家族が、遺体をどのように国に扱われれたか。エッと驚かされることが多く、空襲の残虐さや、国の隠ペイ体質がよく判りました」(遺族)

・「日本は敗戦になる2年も前から降伏の条件を米国とやりとりしていたのです。海軍は全く戦争能力を無くしていましたが、陸軍が200万の兵隊がいたので、強行に戦争を遂行させたのです。そのため都市爆撃をうけ、市民がひどい目にあいました。歴史の真 実が国民に知らされないこと、天皇に不利なニュースは隠してしまうこと。とても許せません」(疎開世代)

・「どうしても伝え残さねばという執念が、火のように立ち昇ってくるご著書です。太い綱を手渡された緊張感でいっぱいです。政治の空白を衝いた重いテーマです」(60代)

・「戦争孤児について歴史的課題をさらに考えさせられました。日本国家がなぜ孤児を切り捨てたのか、市民はなぜ疑いをもたなかったのか、これは重要な課題だと思います」(60代)

・「空襲裁判で戦争孤児の多さに驚かさせられました。亡くなった孤児たちに背中を押され、二度と戦争は起こさないいう思想に貫かれています。無念が立ち昇っています」(60代)

・「安倍政権は空襲の惨禍にフタをして、戦争を美化し、靖国参拝など、戦争のできる国にしようとしています。3・11との酷似をはじめとして、いろいろと多くのことを学ばせていただきました。たいへん有意義なご仕事をなされましたね」(60代)

・「私は深川の石川島造船所で働いていましたが、朝鮮の人が大勢いました。あの黒焦げの死体の山の中に朝鮮の人たちがいたことも間違いありません。異境で死んだ人たちの記録は何もありません。身体に刻みこまれた悲しみ。今を問いかけるご本です」(80代)

・「空襲の理不尽さが切々と語られていて、浅見さまの構成によって読みやすい本になったと思います。ぎくしゃくした独りよがりがなく、心に浸み通りました」(60代)

・「気力に満ちています。このようなご本は、いつか誰かが分かってくれるとと思って、歴史に遺しておくことが重要なのです」(70代)

・「多くの孤児は、時代と社会、欺瞞な大人に殺されてしまったのですね。私は表層的に感じるだけで、語られていない暗部、哀しみの深さはわからないだろうと思います」(70代)

・「わが国は急速に反動化しようとしています。戦争に負け、空襲で民間人が大勢殺害されたことも、原発事故のことも忘れようとしています。災いは忘れるとやってくるのです。絶対は忘れてはならな
いことです」(70代)