4.最高裁上告棄却

「終わり無き悲しみ」の文を書いたのは2012年、民主党政権の時期でした。2013年に、突然の衆議院の解散、選挙で、政局もめまぐるしく変化し、自民党の安倍政権になりました。この間に最高裁判所では、「上告棄却」になり敗訴になりました。

「大昔のことを。なぜ今ごろ裁判するの?」
と、戦争を知らない若者からいわれます。70年前、日本の都市は、3・11の東日本大震災・津波の跡と同じ状態になりました。戦争という空からの爆撃で、家も親たちも失い、孤児になりました。戦争がなかったなら、ごく普通の子として親に育てられたはずです。病気になれば看病してくれた母がいました。湯気のたつ食卓を囲んだ家族のだんらんもあったのです。震災孤児も私たちと同じ思いをしているでしょう。私たちは孤独の苦しみや、哀しみに耐え、生きるために精一杯で働いてきました。気がついたら晩年になっていました。昨日のことは忘れても、昔の出来事は鮮明におぼえている年代になっていました。空襲後から辿ってきた苦難は忘れようとしても、頭から離れません。あの空襲から人生を狂わされ、一生つづく深い傷を負ってきました。日本人に生まれながら、国から見捨てられ、ゴミのように扱われてきた屈辱感が、なお苦しみを増加させてきました。
 戦災遺族、障害者は、「戦災援護法」を求めて、立法に長年、訴え続けてきましたが、14回も廃案になってしまいました。その理由は、献金もできない貧者であり、票田にならない弱者だったからだろうと思います。私たちは、最後の手段として、残りわずかの人生になってから、国に対して「謝罪、追悼碑の建立、補償」を求めて、裁判に訴えました。私たちが最後の年代です。私たちが死に絶えれば、空襲はなかった。孤児はいなかったと、歴史から消えてしまいます。
 裁判は初めてですから、相当のお金がかかるとは知りませんでした。弁護士先生方は手弁当で引き受けてくださったのですが、地裁、高裁、最高裁とで、国に納める印紙代だけで一人約20万円かかりました。他に原告団活動費用などもあり、高齢で年金生活であえぎながら、その日を暮らしてきたきた人たちは原告になれませんでした。私たちは訴えられない人たちの分も代弁して訴えようと、約5年間、命がけで闘ってきました。
 孤児たちや障害者が証言台に立ち、とつとつと訴える生々しい証言に、ハンカチで涙をおさえる人も多く、胸が痛くなりました。長い年月の苦しみを60年以上経過して、初めて語った証言は、聞く者の胸に迫り、語りたくないであろう話をよく吐露してくれたと痛感しました。

裁判の意義
 弁護士先生方は、それは熱心に資料集めや、調査をしてくださいました。そして空襲の実態や、国の理不尽さを明らかにしました。たとえば、軍人・軍属には、54兆円も支給され、非常に手厚く処遇されていること。民間人においても満州などからの引揚者、農地改革による土地を没収された地主へ戦争による被害として補償されてきたこと。準軍属や残留孤児、シベリア抑留者など、大方の戦争被害者が補償されてきましたが、空襲被害者だけが、何一つ援助も補償もなかったこと。ドイツをはじめとして第二次世界大戦で戦った欧州諸国は、軍人と民間人の区別なく平等に補償されていること。などをきちんとした証拠や資料を掲示し、その他、様々な角度から徹底的に調査され、法理論を組み立て、鋭く追及されました。闇に埋もれたいた空襲被害を浮き彫りにしてきました。マスコミにも取り上げられるようになりました。

最高裁判所の上告棄却
 2013年5月8日、東京大空襲訴訟は、上告棄却になり敗訴が確定しました。上告棄却とは「最高裁で審理しない」ということです。最高裁は憲法に違反しているか。いないかを審査する所です。憲法に定められ人権侵害は明らかです。最高裁では、5人全員の判事が意見を述べます。弁護士・原告はじめ、支援者の皆さんも、その意見を聞きたいと思って待っていました。それが審査もしないとは…。突っ返され、、門前払いにされたあげく、汗と涙で集めた上告費用528万円も没収になりました。
 その審査なしで突っ返された理由が分かりません。国は「事実を認知する必要ない。早乙女勝元氏(空襲研究者)の証言は有害である」としてきました。事実を調査しない、という国の態度と同じです。第一審の判決では「軍人・軍属と民間人の間に本質的に違いはない。心情的には理解できる」「被害者の実態調査や埋葬、顕彰は、国家の道義的義務がある」とありましたが、「立法を通じて解決すべき問題」とされました。しかし、最高裁の冷徹な態度に、この国は何も聞く耳をもっていないと、深い絶望感に襲われました。
 国は「戦争だから、受忍(がまん)せよ」という「受忍論」を押しつけ、それが、まかり通っていました。常々「国民の命と、暮らしを守る」といっていますが、自国民の女・子どもを救済せずに、何が「国民の命を守る。暮らしを護る」など、きれいごとが言えるのでしょうか。「戦争になったら民間人がどうなるか」。隠されてきた裏の事実を知らなければ、また同じことが繰り返えされるでしょう。

私たち空襲被害者の願い
「戦災援護法が制定される」ことです。それは「国民の命と暮らしを守る」ことだからです。死者一名らつき、たった100万円とは些細な額ですが、金額の問題でなく、人間としての尊厳を保つためです、また、未来の人たちも有事のさいの補償などとも、繋がり、安心できます。これは国のあり方でもあります。この「援護法」だけは、私たちが生きている間に制定されるように、現在、必死に署名集めしています。
 また、私たちが最も願っているのは「空襲死者の追悼碑」です。東京都は関東大震災と一緒にしてしまい、大空襲が無かったことにしようとしています。
 罪もなく無残に殺された死者の無念を思うとき、乱暴に扱われ,追悼もされない死者は、地下で涙を流しているでしょう。追悼碑がなければ、死者の魂は浮かばれません。私たち遺族がいなくなれば、すっかり忘れ去られてしまいます。先祖である死者に哀悼してこそ、日本の将来も安泰になると思います。私たちは戦争のない明るい未来を、子や孫たちが笑顔で暮らせる世の中になるよう、切に願っています。死者を大切にすれば、必ず子や孫を護ってくれると信じています。