3.理解されにくい孤児心理

 どれほど恐ろしさを体験しても、片親がいれば逃げ込む場がありますが、抱きしめてくれる人が誰もいなくなりました。子のためには我が身を犠牲にして護ってくれた親です。世界中でたったひとりの母、心に染みこんだ母への思慕は、簡単には取り除くことができません。親を失ってはじめて親のありがたさを知った子どもです。子は親がいなければ生きていけないかったのです。
 親のある子は、孤児が「なぜ悲しむのか。なぜ苦しむのか、なぜ泣くのか、不思議でならなかった」と、私が大人になってから友人にいわれました。私の夫や我が子も孫たちも孤児の話をしても、体験のないことは想像できないようです。
 ある弁護士が「常に事件を扱い、遺族がどれほど苦しい気持ちでいるか、頭では理解していたつもりだった。しかし、妻が殺されて、この想像を絶する無念、苦悩をはじめて知った。理不尽な死、これほどの辛さはこの世にない」と。
 まだある余命をいきなり絶たれた突然の死はあきらめきれません。理不尽な最期を遂げた無念、悔しさに、遺族は全身が硬直していく深い悲しみに襲われ、一生頭から離れません。それは孤児も同じです。病死後の遺族の苦しみと、災難死の遺族の苦しみは同一ではないのです。ほとんどの人が体験がかないため、心的外傷をうけている孤児の心の状態を理解できないかもしれません。
 戦争孤児たちのほとんどが親戚へ預けられました。生まれたときから一緒に暮らしてきたきょうだいと違い、親戚へ途中から入ってきた子は、それまでに育ってきた歴史があるだけ、溶け込むのは容易ではない、と同時に、親戚も世帯をもてば我が家が大事、我が子が誰より可愛いのです。
 私が親になり子育てをしていたころ、友人のYさんが1年間、甥のTちゃん(小1)を預かった話を思いだしました。「私がTの面倒をみると、家の息子が親を取られたと思うらしく、やきもちをやいて、Tに意地悪したり、虐めるのよ。以前は仲良しだったのにね。Tはストレスからか、暴れたり、頭が痛いといったり、言うことを聞かなかったりしたの。夫は叱っても、泣きもしない強情な子だ。と腹を立て嫌っていたわ。こちらもこれまでに築いてきた生活があるし、Tのために乱だされたくないの。私も我が子が可愛いいし、差別はやむをえないのよ」と。
 たった1年でも、親が生存していても、物質的に豊富な時代であっても、我が子は可愛く差別的に扱われます。戦争孤児は長い年月の養育です。敗戦直後の生活困窮した時代では厄介者でした。虐待など筆舌につくせぬ辛酸がありました。
 世間からは「当時の大人もボロボロだったのよ。食べ物の確保だけで大変で、それどころでなかった。食べさせてくれただけでありがたいと思わなければ。」「個人への悪口は聞ききずらい」といわれますから、孤児たちも何も言えませんでした。そのため孤児の心理や生活が、世間に伝わらない、理解されない一因になっています。
 私は最近になって体験した者が語らなければ、永久に孤児の実態が判明しない。理解されないまま闇に消えてしまう思いはじめ、ようやく話はじめました。