1.親、家族の死

 東日本震災で親が行方不明になった少女が、すべてが消えたがれきの中で、海に向かい、「おかあさーん」と叫ぶ姿、悲痛な叫び声が、ずっと私の耳にはりついて離れません。
 「いってらっしゃい」と笑顔で手をふり、学校へおくりだしてくれた母が、津波で家ごと海に飲み込まれてしまい、考えられない出来事がおきていました。
 それは66年前、第二次世界大戦末期(1945年)の3月10日朝、私が目撃したあのときの状景とすべてが同じでした。東京下町は、まるで巨大なガレキの海が見渡すかぎり目の前に広がり、密集していた家々が跡形もなく消えてしまい、信じられないできごとが起きていました。
 焼夷弾で焼き尽くされたガレキの焼け野原。その上に炭のようになった黒焦げ死体、ローソクのようなもの(後で遺骨と知った)が散乱していました。あの広い隅田川は水の面も見えないほど死体で埋まっていました。東京下町は死体の海と化していたのです。私は母たちを探しにきた叔父と大勢の死体の中を何時間も歩きました。
 9歳の私の頭は真っ白になり感情も麻痺してしまったのか、何も考えることはできません。
 私の家族、母、姉、妹(父は病死)の3人は行方不明です。どれほどの死体を見ても自分の家族は死んでいるとは思いませんでした。それが家族なのでしょうか。<大ヤケドをして病院に入院している>と、思っていました。
 叔母たちと生活しながら、消息不明の母たちが心配で<神様、仏様、どうか母と姉と妹の命だけは助けてください。命が助かるのならどんなことでもします。大好きなお菓子も絶ちます。私の片腕が無くなってもかまいません。どうか命だけは助けてください>と、毎日祈りつづけていました。
 神社へお百度をふむように毎朝、熱心にお参りしていました。私の頭の中は、朝から晩まで、夜ねても、<母たちの命だけは助けて>とそれだけ。他のことは何も考えられませんでした。心配で食欲もなくなり、夜も眠れなくなり、痩せていきました。
 3月10日から3ヶ月過ぎた6月に、母と姉の遺体が隅田川から見つかりました。3ヶ月間も川底に沈んでいたため、損傷がはげしく身元不明で処理されるところを、父の友人が、わずかの手がかりで母と姉を確認してくれました。妹は行方不明のままです。私は、たった一人、この世に残されてしまいました。
 <なぜ、おかあさんは私ひとりだけ残して死んだの。私もいっしょに連れていってくれなかったの。お母さんがいなければ生きていけないのに><神様、どうしてなのですか。私は悪いことはしてきませんでした。先生のおしゃることはことはよく聞いて、良い子だといわれていました。友だちに意地悪したことはありません。お母さんのいいつけはよく守りました。お姉さん、百合ちゃんとも羨ましがられるほど仲良しでした。どうしてこんな非道い目にあうのですか。神様、教えてください>
 夜ふとんに入ると音もなく涙があふれてきました。体中の水分が出てきたほど、涙はまくらに吸い込まれ、まくらはびっしょりぬれ重くなっていました。
 あの震災の場所でおかあさんーと叫ぶ姿は、当時の私の姿とが重なります。<生きていて!。死じゃいやー。>と叫ぶ声か聞こえてきます。