10.浮浪児の生活

 戦後50年以上もすぎてからです。戦争孤児たちと話をしたとき、孤児たちが私以上の辛さを体験してきたことを知りました。とくに浮浪児になった子の生活は言語を絶する凄惨な状態におかれていました。たとえば、東京空襲訴訟原告の山本麗子さん(9歳、小3)は東京空襲で孤児になりました。兄と弟はばらばらに親戚へ預けられ、彼女は叔母宅で学校へ通わせてもらえず、昼夜べつなく働き通し。2年後、弟の具合が悪いと叔父に呼ばれ、いってみると、弟は「おかあーさん」と呼びながら、目の前で餓死しました。(詳しくは陳述書参照)それから叔母宅を逃げ出し浮浪児になりました。
 浮浪児とはなにか。現在、浮浪児はいませんが、ホームレスと似ています。

   ホームレスと浮浪児の違い
  現代のホームレス 戦後の浮浪児
年代
 
 成人した大人
 働ける年代である
 15歳以下の子ども
 働けない。保護が必要
寝る所
 
 公園などに空色のテントなど
 張って、その中で寝る
 地下道などコンクリートの
 上で、ごろ寝する
食べ物
 
 賞味期限のきれた残飯はある
 ゴミ箱には食べ物がある
 食べるものが何もない
 物乞いするか、盗む
衣類
 
 棄ててある衣類がある
 衣類には困らない
 衣服はボロボロ、垢まみれ
 虫がゾロゾロいる
家族
 
 どこかにいるだろう
 親から独立した年代
 両親がいない。誰にでもある
 家庭そのものがなかった
学歴  義務教育(小中)は終了  小中学校さえいけなかった

 戦後数年間、上野駅地下道など(全国各地の駅周辺)に親も家も失った浮浪児がたむろしていました。地下道のコンクリートの上でごろ寝します。浮浪児はゴミ箱をあさりますが、当時は食べ物が何もない時代です。腐ったもの、魚の骨、リンゴの芯しかありません。餓死しいく子、腐った物を食べ中毒死する子、寒さに震え凍死していく子が続出しました。
 風呂にも入らない、洗濯もしないボロボロになった衣服は垢まみれ、鼻が曲がりそうに臭い匂いを発散させ、世間の人たちから「汚い。臭い。人間の屑。」と忌み嫌われていました。戦争がなかったなら、親が生きていたら、こんなに惨めな姿にならなかったのです。
 働くこともできない年代です。次々に死んでいく子を眺め「明日は自分も生きていないかもしれない」と、生きるために盗みをするようになりました。盗みで大人に捕まると、コン棒でメチャクチャに殴る蹴るの暴力をうけました。
「汚いから浮浪児を一掃せよ」とアメリカ占領軍から命令をうけた国は浮浪児を捕まえ、逃げ出さないよう鉄格子のオリの中に閉じ込めました。ハダカにされオリの中に入れられた当時の写真(毎日新聞)もあります。全国の浮浪児はみな同じだったと聞きました。
敗戦直後の新聞には浮浪児の新聞記事がわりあい多く載せられ報道されています。
 浮浪児になった山本さんはトラックで山奥へ運ばれ棄てられたと証言しています。