「東京都戦災誌」より
  昭和28(1953)年発行 東京都2005年再版より抜粋、要約

   第三章 第11節 学童疎開
 217ページ〜252ページまで、35ページにわたり「児童集団疎開実施細目」「各学校ごとの人数」「食料、宿舎、生活」「学童復帰措置」などについて詳細に書いてあるが、疎開中の戦災孤児については、1ページのみしか記述がない。以下1ページの内容
  戦災孤児収容学寮
 集団疎開学童たちの東京復帰に際して戦災孤児の処遇如何ということであった。
9月15日政府より都の施設を利用して学寮を設けるべきという通牒に接し、それによって対処することになった。こうして保護者を失った者は保護を加えた。
  戦災孤児等集団合宿教育所ニ関スル要項(20年9月15日)文部省
 「収容人員は250人トスル。本施設ニハ必ズ付属農場ヲ附設セシムルコト。国庫ハ都府市町村ニ対シテ8割ヲ負担スル」(注、金田 これは予算がつかず実行しなかった)
  戦災孤児等ノ学寮設置ニ関スル件(20年10月24日)東京都教育局
 三多摩に8学寮(寺)にて345名が入所する、8学寮名と住所、人数の記入あり。
(注、金田 養育したのは81名のみだった。第一章を参照されたい)

   第六章 第2節 終戦後の変動
  学童疎開中の戦災孤児の処置
 孤児になったもの1、169名。引き取り手のないもの345名。とたった4行である。
(注、疎開前半の詳しい記述にくらべ、後半の疎開記述はほとんど何も書いてない)
 戦災孤児は下記施設に収容       浮浪児保護事業
戦災孤児施設






    
浮浪児施設S22年4月22日)
東京都養育院
杉並学園
東星学園
機恵子寮
愛清館
興亡館
子供の家
板橋区
杉並区
北多摩群
大森区
牛込区
向島区
杉並区
67





12
一時保護所
淀橋一時保護所
上野   〃   
麹町
   〃   
浅草   〃   
京橋   〃   
荒川   〃   
淀橋区
上野区
千代田区
台東区
中央区
荒川区
80
80
50
50
50
100
7ヶ所 合計 104名 児童収容保護所
               (まま)
八街学園
荻山学園
中央児童相談所
児童鑑別所
千葉県
北多摩群
豊島区
豊島区
130
150
150
150
10ヶ所
 
合計
計算違い
840名
(まま)

*金田メモ 「東京都戦災誌」は、戦後8年後の28年に発行されたが、昭和23年厚生省調査の12万の孤児数は出ていない。いかにも東京都の孤児は保護されたように記述してある。長年これが信じられた。