添付資料 敗戦後の孤児資料
 これまでに出てきた各資料、文献に孤児がどのように記述してあるか見ていきたい。

雑誌「社会事業」戦後復刊第一号(昭和21年6月号)より転載
 全社協養護施設協議会編「養護施設30年」より、主なものを抜粋する

     終戦後の児童保護問題
一、疎開学童問題
 終戦と共に、疎開学童への食料の供出はぱたりと絶え、学童に与えた影響は非常に大きく、相当、栄養失調者がでている。疎開児童の九割までの体重が減っている。ある学寮では全児童の体重が平均二キロ減少した。群馬県草津方面の温泉旅館への疎開学寮の五割は栄養失調に陥り、足腰のたたぬ児童も出たといわれている。
(注、敗戦後、国や都は何もしてくれなかった。と多くの人が語っている)
 二、乳幼児問題。三、精神異常問題 は略
四、戦災浮浪児の問題
 全国主要都市における戦災浮浪児は種々の問題を生んでいる。10月には浮浪児が列車に乗って東北線、上越線、信越線と神出鬼没し、乗客の同情を狙って、食べ物をむさぼり食っていた。これらの者の中には荷物を盗む悪質な者も混じっていた。上野の浮浪児は増加の一途をたどり、復員勇士佐々木により下谷の国民学校へ一時移され、共同生活をはじめたが、これらの浮浪児は逃走した。
 浮浪児の問題は国内の食糧難と相まって、非常に大きな問題になっている。これらの児童は、ほとんど不良化している。
五、戦災孤児の問題
 全国大中都市が空襲被害を受けたため、相当数の戦災孤児が現れた。東京都においては昭和20年3月10日の空襲で、罹災地からの戦災迷子31名を板橋養育院に収容した。これらは栃木県塩原町の養育院分院に疎開収容された。しかしながら施設に収容された戦災孤児の中には食料難のため、栄養失調に落ちているものもある。
 東京都養育院安房分院に居る5歳〜16歳までの戦災孤児140名につき、矢崎館山保健所長の調査結果によると、次の如き状態が現れている。
 栄養状態  甲 3。 乙 20。 丙 61。 丁 56。
 歩行困難 21。  むくみ 4。  不活発 47。表情なし 44。無表情 4。 疾病はトラホーム 90。 疥癬 79人
 必要な給食代は最低一人105円を要するものが、現在の予算によると、一食36銭以上出せないことになっているので、栄養失調は当然といわねばならない。
 集団疎開中にも、相当の孤児が現れたため、国家の手で大規模な「国児院」を設立をと猛運動を行ったが、予算の関係で計画に終わった。
 戦災孤児概数は、2837名で、学童2400名、乳幼児437名である。主なものは東京都1、169名、広島県583名、新潟県465名等となっている。

*金田メモ ここでも国が発表した微細な孤児数が使われている。

 全国所地別(戦災、引揚孤児)収容施設数および孤児数
   (昭和21年12月10日現在)恩賜財団同胞援護会調べ

    
主な所 100名以上収容したところ ( )は同胞援護会直営

施設数 収容実数
  官公立 私立 収容数
北海道
宮城
千葉
東京
神奈川
石川
静岡
愛知
京都
大阪
兵庫
岡山
広島
福岡
長崎
熊本
大分
宮崎

















14


(1)41
12
(1)3

13
(1)6
(1)12


(1)5
(3)9
(1)8


14
3

46
13


17

14



10



194
66
181
607
不明
83
106
不明


147
269
233
338
124

168
73
199
85
98
185

51
63



95
102
126
119
107
117
82
37
393
151
279
792
414
134
169
466
285
1125
267
392
359
457
231
345
250
110
その他 省略 直営(9)   男女不詳 2701 合計
合計 38 221 268 3127 1787 7615
 
*金田メモ 一食36銭なら一日約1円である。これほども戦災孤児に対して予算をけちったのである。板橋、栃木、千葉の養育院はみな同じであっただろう。栃木養育院では
1945(昭和20)年には1年間に食肉配給なきにつき316名が死亡している。
 敗戦直後の東京都の孤児施設は養育院しかなかった。写真家の菊池俊吉氏が板橋養育院にいる栄養失調の子どもを撮影した写真がある(第一章に写真掲載)。このような姿を目撃した孤児たちが養育院を逃げ出すのは無理がない。
 その後、各地に施設がつくられるようになったが、官公立38に対して、民間施設は
221と6倍である。民間の篤志家が孤児たちを救済してくれたのである。
 政府は「社会事業、同胞援護会に任せておる」というが、直営9カ所。社会事業で処理できる数でなかった。同胞援護会は九州などに引き揚げてきた孤児収容に活動拠点が移っていったのである。