10.震災孤児の救済

 3月11日の東日本大震災で、空襲そっくりの場面が再現された。家々が消え、家族を亡くした遺族の悲嘆、悔しさ、落胆ぶりがテレビで報道されていた。それは私たち戦災遺族もまったく同じだった。66年すぎても、追悼碑もなく、まだ心の整理がつかず、苦しんでいる。
 戦災孤児は、家が消え、焼土の上に男か女か、子どもか大人かさえ分からない炭の遺体の中をさまよっていた。不安に押しつぶされていた。どれほど悲しくても、すがりつく親がいない。あの心細さはとても言葉に表せない。今でも夢に出てくる。あのそっくりの場面は辛くてテレビを見られない。
 震災孤児たちも私たちと同じ。どん底に落ちていく気持ちを思うと、たまらなくなる。

政府へお願い
* 何より心のケアをしっかりしてもらいたい。親に勝るものはないのだから。
 これから孤児たちの本当の苦しみがが始まる。家族のキズナ、家庭の団らん、いつも子を見守り心配してくれた親が、この世からいなくなった。これ以上の不幸はなかった。
 孤児は同居していた祖父母や、成人した兄、姉のいる子ならまだ良いが、親戚や施設、または里子、養子にだされる子もいるかもしれない。その場合まったくこれまでと異なる知らないところへ行く。生活習慣の違い、言葉の違い、環境の違いがある。大人でも環境の違いは心の負担になる。まして子どもはすがりつく親がないため、想像以上に深い心の傷を負っている。虚ろになった心は絶望しかなかった。
 政府に経済的な援助をお願いする。
 突然、食べさせてくれた人もない。住む家もない。生活の基盤がなくなった孤児である。他人には遠慮して何が欲しいといえない、甘えられない、おねだりもできない、どうしてよいかわからない子たちである。
 大人でも生活が大変な時、ひとりでは生きられない孤児に現実は非常に厳しい。まず食べて住めるところを与え、高校や大学へいけるよう、あるいは職業をきちんと身につけ、就職も結婚も孤児というだけで差別されない経済的援助をしっかりしてもらいたい。
* 私が心配なのは、大人に利用されるということ。
 親戚、知人などに預けられた孤児の中に、親の財産(生命保険金や遺産など)を取られてしまったり、実子との差別に泣いたという例は多くあった。また、養子や里子にだされても児童保護司が見にきたときだけ、きれいな洋服を着せ愛想よくするが、実際は孤児を虐待したり、利用するためだった例が数多くあった。子どもは何をされても訴えられない。 小学生以上は施設の方が幸せだと思う。乳幼児の場合は、子のない家庭へ養子に出していいのではないか。親の顔を知らない乳幼児は、育てるのは大変であるが、苦労するだけ愛情もわいてくる。子どもに一番必要なのは愛である。
* 私たち戦争孤児はボロボロになった心を引きずって生きてきた。私たちの二度舞いにならないように、子どもたちの未来に希望を与えてくださるよう心から政府にお願いする。
 明日の日本を担う子どもたちが、一日も早く明るく暮らせるように祈っている。