7.国会関係から

 国会において国会議員から、戦災孤児の救護にたいする建議が、昭和21年からあった。

   第90回帝国議会  昭和21年8月23日
   戦災孤児の救援に関する建議(抜粋、要約)
○布利秋議員 「浅草東本願寺に戦災孤児が収容されておるのは、数も多いし相当惨めな生活をしております。衰弱していく者が刻々死ぬ。薬も手に入らない。戦災孤児は逃げだし無宿者になってしまう。そうして不良少年に墜ちていくのが増えてしまった現状をみて、これを政府のほうで、なんとか救護してもらいたい。実行してもらいたい」
○服部政府委員 「従来の孤児は個人で経営されている慈善事業が取り扱ってきたのでありますが、今度の戦争によって、発生した孤児の問題は、きわめて重要な問題であります。現在全国にどれほどの孤児があるかと申しますと、取り調べた結果は、大体3000名 前後。その内、乳幼児が500名、学童が2500名となっています。
 その3000名の内、親戚に居る者が1500名、社会事業施設に居る者が1500名であります。国家の戦争によって生じたるこれらの孤児は、まず国の責任において、保護育成をやっていかなければならぬと、痛感いたしております」
○布利秋議員 「施設設置の案を今から練ってみようというお考えは、現実は刻々その日が迫り、死ぬ者はその日に死んでいく。すでに1年以上もたち、戦災孤児に対して、まだ建設的に進んでおらぬ。配給品をもらって、それを児童に渡さないで闇に流している。私はこのことを相当調べておる。下部組織が腐敗しきっておる。そのため子どもが逃げ出す。子どものことを思うと憤慨せざるえない」


*金田メモ
 「政府で救済してほしい」「施設設置の案を今から練ってみようというお考えは、現実は刻々その日が迫り、死ぬ者はその日に死んでいく。すでに1年以上もたち、戦災孤児に対して、まだ建設的に進んでおらぬ」と述べているように、戦後1年が経過しても、国家として孤児を救済していなかったのだ。
 戦災孤児は3000名となっている。なぜこれほど微少の数字を国は国会で報告するのか。議員はじめ国民は、戦争による生じた孤児は3000人と思い込んでしまった。
 答弁では「国の戦争によって生じたる孤児は、国の責任においてやっていかなければならないと痛感している」と述べていが、一刻を争う孤児対策に、慈善事業にまかせ予算をつけてなかった。そのため浮浪児があふれ、大きな社会問題になっていくのである。

   第91回帝国議会衆議院 昭和21年12月21日
  上野駅地下道における浮浪者の急速救済の建議
○和崎ハル議員 「敗戦後は浮浪人が急激に増加し、地下道は足の踏み場もないありさまです。少年の如きは悪の道に入って窃盗を働く者など新聞に出ない日はないほど。これらはまだ若いため保護のやり方によって必ず救済の途はあると思います。児童保護局の如きは一刻も早く実現して、愛に飢えている子どもらを引き受けるべきだと存じます」
○服部政府委員 「街頭等に浮浪する老幼婦女子は政府におきましては、それぞれの実情によりまして、保護処置を講じ、必要によっては生活保護法を活用いたしまして、保護を実施している次第であります。児童には一時保護所、児童鑑別所を設置するなどをしております。今後、目下委員会において調査している児童保護法を設けまして、悪質化する浮浪児に対して、委員会で調査して審議してもらっている次第です。これらの法律を拵えまして、保護に努力してまいります」

*金田メモ
 地下道の老幼婦女子など大人の浮浪者は、生活保護法によって救済され、次第にいなくなった。戦争孤児は10万人以上が無料で、親戚、知人に預けられ、厄介者として追い出されたり、虐待されて逃げ出し、行く場所がどこにもないため、浮浪児になっていくのである。子どもゆえに訴えられず、生きるため盗みをする浮浪児を、犯罪者として取り締まりの対象にされてしまった。
 「国はこれから児童保護法をつくる」とは。法律ができなければ何もできないのか。

   孤児援護対策懇談会開催 昭和22年5月14日と15日
 フラナガン神父訪日の機会に14日、講演会があり、15日、孤児保護施設の関係者懇親会を開催した。懇親会では関係団体から様々な意見がだされた。
 岩手養育院から「孤児援護対策は国家事業とすべきだ」いう意見や、「食料その他の物資を配給せよ」と複数関係者者から声があった。その他、教育問題、管理問題などを懇談した。

* 金田メモ
 フラナガン神父の来日によって「国家によって救済しなければならない」として、児童援護法の機運が高まってきた。なお、神父から「孤児総数を調査しなければ、孤児対策はたてられない」と指示された。しかし、この調査結果は握りつぶされてしまった。これを発表すれば、学童疎開中の孤児数の多さが判明してしまうからだろう。遺族会でもこの異常数に疑問をもっていた。「孤児は、8歳〜20歳(数え年)が全体の90%を占めている。このことは最大の問題である浮浪児と深くかかわっている」と述べているのである。
国はあくまで孤児数を微少にしておきたかったのであろう。

    第1回参議院厚生委員会 昭和22年8月30日
  児童福祉法の審議に関して、施設の視察を行った委員の報告(抜粋)
○宮城タマヨ委員 「施設を見ましたが、一番よいところだけを見せられたという感がします。予定にない古い舎のほうも見せてもらいましたが、そこは食器、夜具も悪く、畳もないという、先に見た所と雲泥の差があり、非常に設備の悪い所を見てきました」
○小川友三委員 「絶対の愛は親心にあります。この親心が、親を失った子どもには欠乏しているのであります。どこの収容所を見ましても、職員、先生、保母さんが入っている部屋は一番いい建物、一番いい部屋を使い、子どもはその次でした。
 私立の五日市育成所はバラックに保母さんたちが入り不便な生活をして、子どもたちに一番いい部屋を与えている。また、どの孤児収容所も赤字つづきで悩んでおります」
○草場隆園委員 「全体を通覧して現在の児童福祉施設というものは、無計画、非科学的であって、ほとんど場当たり的で、一夜作り、火事場式だという感を強く持ったのであります。諸外国の同様な施設を見ながら日本の現在に寒心に堪えない状態を見たのであります。政府は児童問題について、不十分な予算を講じてそれで足れりとしておる状態。緊急援護施設等を見ましても、形式的、反射的な状態の施設に、かえって悲しむべき現状を見受けます。文化とか、子どもらしさとかほとんど見られない。全く多くの場合は環境というというものに、打つ手を打たれていないのが大体の状態です。
 結論を申し上げますと、各施設において指導者が、戦前と同じ態度でやっておる。民 主的な方策、施策がほとんど見られない。と痛感しました。(同感の声あがる)
 明日の日本を背負う児童を育てていくことを真剣に取り上げなければ、明日の日本は憂いべき状態になりはしないかと思う。戦後の欧州各国があらゆる犠牲を忍びながら、児童問題、福祉問題に十分な方策を講じているが、日本政府においても十分な方法を考えるべきである」
○木内キヨウ委員 「どの施設おいても経済上の悩みを持っておられる。社会施設を国家が見守ってくださらなければならない。それが今度の福祉法案であると思います」
○河崎ナツ委員 「こういう問題は慈善事業であってはならないので、やはり国の負担にてまかなっていくべきではないか。戦争前の社会事業と 戦後の社会事業と変わりないという草場委員の報告がありましたが、各地の社会事業は 人数が多く大変だということであります」
○塚本重蔵委員 「私がこの問題に関心を持ち始めた昭和初年から見まして、今も遅々としていおると感じるのです。戦争で大勢の孤児が出ておるのでありますから、実情似合わせた施設の発達がないということです。これらの施設が都道府県の施設経営にまかされ、国はわずかな指導と援助しているにすぎない。国家が進んで相当な費用を投じる用意と覚悟がなければならない。と痛感したのであります」
○国務大臣(一松定吉) 「社会施設が将来わが国の再建の上に重大なる任務を持っているというご意見に同感です。国家財政の許す範囲において強化していきたいと考えます」

* 金田メモ
 「孤児強制収容によって急遽つくられた孤児収容所は、一夜式、形式的で環境が悪い。子どもの笑顔がない。指導者が戦前と同じやり方で、悲しむべき現状である」とのこと。
浮浪児を物として扱い、愛情のカケラもなかった。そもそも人間を「一匹、二匹」と数え、「刈り込み」という言葉は何を意味するのか。この強制収容所は殴る蹴るの体罰は日常的に行われ、逃げ出さないよう閉じ込めたが、脱走する子が多くいた。
 孤児が一番ほしかったのは愛情だった。そして優しい言葉だった。