3.全国孤児一斉調査結果

 
全国一斉調査は昭和22年12月6日、厚生大臣官房会計課長連名通牒としてだされた。
  昭和22年児乙発第43号各都道府県知事宛

  
( 全国孤児一斉統計表は、第一章の最後に添付してある)

  全国孤児調査結果 昭和23(1948)年2月1日 沖縄を除く

戦争孤児合計 123.511
年齢別 種類別
1歳〜7歳    14.486
8歳〜14歳   57.731
15歳〜20歳  51.294
数え年        
戦災孤児   28.247
引揚孤児   11.351
棄迷児     2.647
一般孤児   81.266
保護者別
親戚に預けられた孤児    107.108人
施設に収容された孤児     12.202人
独立した生計を営む孤児     4.201人
(浮浪児と養子縁組みした孤児は含まれていない)
浮浪児は3.5万人〜4万人と推定されている

★ 年齢別は第一章にくわしく記述したので、それを見ていただきたい。学童疎開中の孤児が異常に突出しているである。
★ 保護者別は第四章に記述した。親戚人に預けられた孤児は厄介者だった。差別や虐待 をうけ、逃げ出すか、そこで我慢するかしかなかった。
★ 養子縁組した孤児は家も親もあるということで孤児扱いされてない。ごく一部を除き 労働力として利用するため養子にした。

★ 
地方における孤児=主に都市の戦災孤児だった
 この調査結果の統計表で、各地の孤児数、東京5830名 兵庫5970名 広島5975名となっており、「東京は約6千人の孤児がいた」という人が多いが、それは勘違いである。当時の東京は焼け野原になり、人が住める状態ではなかった。この東京孤児数は焼けなかった地区に住む三多摩、世田谷、杉並などの孤児数の調査なのである。

 東京は全国疎開児童70〜80万人の半数が、地方へ移住(疎開)しており、その疎開中に孤児になった。孤児たちは、その後、縁故疎開先にいたか、あるいは地方に住む親戚へ預けられたかのどちらかである。私は東京都の戦災孤児数は、約5万人(縁故疎開も含め)と推測している。
()は空襲死者数。 秋田県、孤児数2054(75)、岩手2139(615).栃木2588(557).埼玉4043(413) 長野2845(51)と、空襲死者が少ないわりに孤児数が異常に多いこの地方は、東京都の集団疎開先であった。