1.戦争(戦災)孤児たちの行き先

 2011年3月11日、東日本大震災があった。津波で家屋が、まったく跡形もなく無くなり、信じられないことが目の前に起きていた。あのテレビに写しだされた光景は空襲の焼け跡を再起させた。私たちが目撃した空襲の焼け跡そっくりだった。
 家族を奪われた人たちの悲嘆にくれる姿も、また66年前と同じであった。恐ろしいさに胸が破裂しそうで、以後テレビは見られなくなった。怖い夢もみるようになった。親、家族、その他のすべてを一瞬で失い孤児になったあのときの、原点の風景が再現したのである。
 空襲ではすべての家が燃え尽き、灰ばかりの広大な焼け野原がつづき、街が消え、黒焦げの炭になった死体がゴロゴロころがっていた。親も家族も、この世からいなくなった。そのときは茫然自失になり、魂のぬけ殻になっていた。

A 空襲下を逃げ回わった子
○ Yさん(女3歳) 両親はその日、疎開する荷造りのため、彼女を近くの親戚へ預けた。3月10日、おばに背負われて空襲下を逃げたが、その日から迎えにきてくれるはずの両親の姿がなく、生後3ヶ月の妹と共に死んでしまった。遺体は行方不明のままである。それから親戚を転々と回され、精神的苦痛は現在もつづく。
○ Sさん(女5歳) 母(父戦死)と弟と逃げた。周りが火の海になっている。逃げ場を失いSさんの衣服が燃えはじめた。泣き叫ぶSさんに母が水に浸した毛布を頭からすっぽりかぶせてくれた。それから意識を失い気がついたときは空襲が終わり、周りは焼け野原になっていた。母も弟も誰ひとりいなかった。施設に預けられ、そこから養女になった。施設も養女生活も言語に絶する辛い日々だった。
○ Dさん(男7歳、小1) 母と一緒ににげた。白髭橋の途中で満員電車のような人に押され、母と川へ飛び込んだ。Dさんは筏に助けられたが、母は川底に沈んでしまった。おじ宅にあずけられたが、殴る蹴るの暴行をうけ、学業は小学1年で止まった。
○ Yさん(女7歳、小1) 赤ちゃんを負ぶった母に手をつないで火の中を逃げたが、ぎゅうぎゅうの人に押され、手が離れた。母が「Yちゃん!。Yちゃん!」と絶叫している声が今も耳に残っている。両親、弟を失った。その後、親戚を転々とする。
○ Mさん(女14歳中2) 隣に住んでいたAさんが、ひとり残されたMさんを見た。焼け跡で魂のぬけ殻のようにボーゼンとしていた。それから浮浪児になり、2年後、Aさんは新宿の雑踏の中でMさんが売春婦になっていたのを見た。
○ Yさん(男13歳中1) 最後まで父と消火につとめたが、猛烈な火に囲まれ、人間が火だるまになり燃えている中を夢中で逃げた。父は焼死。母と妹は先に小学校へ避難していたが、学校避難者は全滅だった。住み込みで働くが、大人にこき使われた。

* 乳幼児は親と共に都市で生活、中学生以上は学徒動員で働いていた。都市爆撃で猛火の中を逃げ回り、子どもだけが生き残された。親は子の名を絶叫しながら死んだのである。乳幼児は棄てられたのではなく、親が犠牲になって命をとりとめたのである。