9.諸外国の孤児対策と日本の比較

諸外国
 「戦後の欧州各国は、あらゆる犠牲を忍びながら、児童問題、福祉問題に十分な方策を講じている。明日の日本を背負う児童を育てていくことを真剣に取り上げなければ、明日の日本は憂うべき状態になる」と、諸外国の孤児施設、保護状況などを視察してきた草場議員は国会で述べている。欧州各国は「子は国の未来を背負う」という意識があり、まず児童保護を優先させた。欧州各国を視察してきた議員、児童問題研究者などの発言、記述、文献などにより明らかである。
 フランスの戦災孤児は、国家の責任において、生計費、教育費など金銭的な援助など、充実した特別な保護をしてきた。戦争孤児を救済しなかった国はどこにもない。
 また、欧米諸国は、戦争被害者に対して、軍人と民民間人を差別なく平等に援護、補償してきた。国家の起こした戦争であり、責任は国家にある。同じ戦争で犠牲になったのは、軍、民も同じだから、国民を保護、救済するのは当然だった。外国人から「とても信じられない。日本人はなぜおとなしいのか」しいわれる。
 日本は軍人だけの援護、補償で、民には一切の援護も補償もなかった。とくに軍人恩給は「軍人階級別の悪辣非道な法律である。世界に例がない」とアメリカから指摘されたが、独立後、ただちに復活した。軍人だけを特別扱いし、民を救済しなかったのは日本だけなのである。何十年も民間被害者が国に訴えてきたが、取り上げてもらえなかった。

東京大空襲訴訟
 2007年より戦災遺族、傷害者は最後の力をふり絞り、東京大空襲訴訟を起こした。現在も継続中である。66年間も放置されてきたが、私たちが生きているうちに証言しておかなければ、闇に葬られ、何事もなかったことになる。そして、また同じことが起こるのである。(付録「陳述書について」に述べているので参照されたい)
 2011年2月28日、高裁で、第3回口頭弁論があり、2名の孤児が証言した。
孤児たちは「親と一緒に死んでいればよかった」と、これまで心の中に閉じ込めてきた重い体験を、泣きながら語った。しずまりかえった法廷、傍聴席からすすり泣く声が漏れた。
草野和子さん(当時9歳、小3)は、疎開中に両親が空襲で焼死した。その後、差別され る日々。夜も働いていたが、睡魔で弟の指を切断してしまった。働きづくめ。小児結核 にかかり、悪化して子どもの産めない体になってしまった。
吉田由美子さん(当時3歳)は、おばに背負われて空襲下をにげまどい、両親と妹は焼死。 一家全滅した。その後、親戚を転々とし、いじわるされたり、非道い目にあい、働いて 得たお金も従姉妹のために使った。精神的不安を今も持ちつづけている。

全国空襲被害者連絡協議会の結成
 2010年8月、全国空襲被害者らの援護法制定にへむけ、全国空襲被害者が一堂に集まり、全国空襲被害種連絡協議会が結成された。国会議員と院内集会をもち、何回も懇談を重ねてきた。趣旨は、民間被害者の救済と、再び戦争がおきないようにするためである。