2 親戚、知人に預けられた孤児

 親戚に預けられた孤児 =107、108人
 独立して生計を営む孤児= 4、201人
 施設に収容された孤児 = 12、202人
   全国孤児数
 123、511人
 
            厚生省調査(昭和23年2月1日全国一斉調査)

 ◆ 浮浪児3、5万人〜4万人の浮浪児はこの数に入っていない(住所不定のため)。
 ◆ 養子に出された子も「親も家もある」ということで、孤児全数の中に入っていない。
これらを足すと日本に10数万人の孤児が発生したことになる。なぜこれほど多くの孤児が生じたのか。やはり前章で述べてきたように、日本の都市が戦場となったからである。全国で95万人の市民が殺された(1994年8月14日、東京新聞調査、50年後の調査で、後になるほど正確といわれている)。 とくに3月10日の大空襲は世界史上、類のない世界最大の市民大虐殺であった。(第二章、第三章、参照)

孤児の行く先
 この表から9割の孤児が、親戚に預けられたり、独立して生計を立てているのがわかる。ほとんどを親戚へ預けたといっていいだろう。
 そのもっとも多くいた親戚、知人へ預けられた孤児について述べていく。
当時、戦争に負けた日本は、アメリカ占領軍(GHQ)に支配され、すへてGHQのいいなりになっていた。食べ物の不足、あらゆる物資の不足に、インフレが吹き荒れ、戦争中より市民の生活は困窮していた。日本人の心も敗戦のショックで荒廃していった。
 国は孤児たちを、この敗戦直後の生活が困窮している親戚や知人に、無料で押しつけることからはじまったのである。親戚も所帯をもてば我が家が大事、我が子がかわいい。生活にゆとりはない。金銭的な迷惑を受けたくないのが当然かもしれない。現在でも無料でいきなり「子を育てなさい」といわれれば断る人が多いのではないか。

孤児調査
 私はアンケート調査(1993年)を孤児40名に送ったが、18名から激しい拒絶反応があり、22名から回答があったが、「触れられたくない質問にゾッーとした」「まだ孤児を卒業できていなかった」「泣けて泣けて仕方なかった」という声が寄せられた。
 回答者の2名が、祖母や信心深いおじ夫婦に実子同様に養育された(約1割)。その他の9割、20名が大小の差はあるが、心理的苦痛を受けてきた。
 私はその後も孤児を見つけ出し100人以上の孤児たちから話を聞いた。私自身が孤児だから話を聞くことができたと思う。「話したくないことは無理に話さなくてもいいのよ。語れる所だけでいいから」といってきた。孤児との長いつきあいの間に、断片的に心の深い傷に触れたり、誰にも知られたくない事柄があらわれたりもした。
 その他、孤児に関する文献、資料なども読み、孤児たちの実態と輪郭が最近どうやら判明してきたのである。
 同居していた祖父母や成人している兄姉のいる子は、貧窮した生活であっても愛情があったら多少救われたと思う。愛情がなく、すがりつく人が誰もいない孤児ほど悲惨だった。

 
私はもっとも多くいた救いのない孤児たちに焦点をあてたい。