受忍論

 筑紫哲也さんは「沖縄、広島、長崎にくらべ、空襲は無視同然です」と語っていた。
私たち空襲遺族は「なぜなんだろう。同じ日本国民なのに」と涙を飲んできた。東京には身元不明になった遺骨10万余りが、他人の墓所(震災記念堂)に入れられたままになっており、追悼碑もない。一家全滅はだれからも供養されてない。(追悼は別の章で述べる)
 1995年の空襲被害の50年の節目のときにも、マスコミにも報道されなかった。闇に葬られ、忘れさられてきた。60年以上すぎてから「東京空襲裁判」で、各マスコミに取り上げられるようになったのである。空襲は無視された長い闇の年月だった。

受忍(がまん)について
 この裁判に大きく立ちはだかっているのは「受忍論」である。国の姿勢は一貫して「受忍論」を主張している。この「受忍論」というのは、在外資産補償にたいして、最高裁が「戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民ひとしく受忍しなければならない」とした判決で、財産のことであり、命の問題ではなかったのである。それが、いつのまにか命にすりかわり、命に対しても「戦争被害は国民ひとしく受忍しなければならない」とされ、国(行政とくに官僚)の間に、この「受忍論」がはびこっているのである。
 私は素人なので、裁判で主張する難しい論理は、専門家の弁護士にまかせるとして、この受忍論だけは、どうしても納得できない。
○ 「国民ひとしく受忍しなければいけない」のなら、軍人も受忍すべきであろう。
  軍人は受忍しなくてよく、なぜ、弱者だけが受忍しなければならないのだろうか。
○ 「日本が先に悪いことをしてきた。その仕返しをうけたのだ」は、
  仕返しをうけるのなら、戦争を起こした為政者がうけるべきではないか。
  この戦争指導者に莫大な恩給が支給されていることを、どう思っているのだろうか。
○ ドイツは戦争責任者、戦争犯罪者を徹底的に調査、追及してきた。
  現在も追及はつづけられているが、日本はなぜ、戦争責任者の追及を
  してこなかったのだろうか。
○ 「日本は加害国だから、日本の被害をいうべきでない」といわれ、
  口を閉じてしまった。15年戦争のときは、この世に生まれてなかった子どもが、
  加害責任を負わねばならないのだろうか。
○ ドイツでは「財産負担法」があり、戦争で財産を失わなかった人は、
  自分の財産の半分を差し出し、戦争被害を国民のすべてが、平等に負担してきた。
  日本はこの戦争の被害を平等に負担してきたといえるだろうか。
○ 国は、引揚者、無帰還者、阿波丸、対馬丸、中国残留孤児、シベリア関係、
  被爆者らにも援護している。
  「国民等しく受忍する」はすでに破綻しているではないか。
○ 「戦争だから仕方ない」というのは、自国民の空襲死者をゴミとして扱ってもいいと
  いうことなのか。「勝手に生きろ。勝手に死ね」と、戦争孤児を焼け跡に放り出して
  も「戦争だから仕方がない」ということなのだろうか。
 これまで鬱積してきた様々な思いが、私の頭の中を駆けめぐる。