7.裁判について

東京大空襲訴訟
 私たち遺族、孤児、傷害者は2007年、131名(内孤児50名)が、戦後はじめて、国に対し、東京大空襲訴訟をおこした。弁護団は約120名。
 2010年12月に判決があった。第一審では「原告らの受けた苦痛は計り知れないものがある」としながら、「立法を通じて解決すべき問題」として、敗訴になった。原告はただちに控訴し現在、第二審で係争中である。現在の原告平均年齢79歳。
 私は「本訴に踏み切った理由」と「原審判決についての意見」は、このホームページの付録「陳述書」に詳述してあるのでご覧いただきたい。


  この裁判の目的は
 1、人権の回復。
(軍人と民間人の極端な差別にNOを突きつける)
 2、追悼碑の建立を。(空襲死者の実態を検証し、死者を追悼する)
 3、戦争の惨禍をくり返さない。(戦後66年、現在も苦しむ被害者に謝意を求める)
 

弁論では
*10万人以上を短時間に殺害したのは世界最大で「国際人道法」に違反する。
 解禁されたアメリカの資料から、住民を標的にした爆撃だったことが判明したこと。
*1973年〜1989年までの16年にわたり「戦時災害保護法案」が国会に18回も
 
提出されたが、廃案になり、立法不作為、行政不作為であること。
*憲法に違反している。「基本的人権」「平和的生存権」「平等原則」など。
 様々な点で憲法に違反していること。

*原告らの被害が甚大であり、遺族、孤児、傷害者は戦争で人生を狂わされ、
 戦後においても苛酷な生活を強いられ、現在も苦しんでいるが、
 一切の援護がなかったこと。
*旧軍人、軍属には補償、援護がなされたが、空襲被害者だけが放置され、
 差別され、人間として扱われてこなかったこと。
などが主張された。(他にもあるが省略する)


 この裁判で特筆すべきことは、弁護士先生方のすごい熱意と迫力である。若い弁護士先生は空襲体験はないが、実に多角的に膨大な資料、文献を徹底的に調査、研究、考察して、何万ページに及ぶ準備書面などを作成し、口頭弁論において熱弁をふるわれた。その熱気は満員の傍聴席のひとり一人を感動させる迫力のある内容であった。

 それに引きかえ、国の代理人は無表情で、こちらの話は何も聞いていない。法廷では国からの返事は一言もない。「事実認否をする必要がない。ただちに棄却せよ」とそれだけの答弁書だけだった。どんな事実があったかさえ認否しようともしないのだ。私たちは「証拠調べに反対の国」に抗議して、21万5千人の署名を集めて裁判所へ提出した。
 そして1月12日、国の反対を退け、原告4名の証拠しらべが、2月28日と4月20日に確定した。杉山千佐子さん(長年、援護法制定の活動してきた。著書に「お見捨てになるのですか」がある)や荒井信一先生と逸見先生の証拠調べは保留になった。
 私たち原告団も高齢で、残り少なくなった人生だが、命がけで闘っている。