日本にも戦争孤児がいたの?

 戦争のあるところ必ず孤児が生じる。現在もアフガニスタンやイラクで、うつろになった目、魂の抜け殻になった戦争孤児の姿を写真などで見ると、日本にもあった戦争孤児と重なる。65年前、日本に戦争があった。国内の人口密集地帯(都市部)にアメリカ軍の空からの爆撃をうけ、都市は戦場になり、焼き尽くされ廃墟になった。そして1千万人が家を焼かれ住む所を失った。この世界第二次大戦で、民間人60万人が殺されたのである。日本の国内では10数万人の戦争孤児が生じた。しかし弧児たちは子ども故に訴えるすべがなかった。60年すぎてから、ようやくごく一部であるが話しはじめたのである。
 戦争を知らない若者や子どもたちから「日本に戦争孤児がいたの?。ウソでしょう」といわれる。中国残留孤児のことは知っていても、国内の孤児のことは、日本の歴史に残ってないので、知らないのも無理ないかもしれない。
 戦争を知らない世代は、空襲の話を聞いたこともない。しょうい弾、防空壕?。学童疎開、戦災孤児?。浮浪児ってわからない。現代使われていない用語が多いから説明に苦労する。飽食時代に育った子は「ごはんが食べられなければパンを食べればいいのに」「親って小言ばかり言うから、いない方がいい」「どうして戦争を早くやめなかったの」「自分と関係ないから暗い話はききたくない」という。
 どのように戦争を知らない若者や子どもたちに伝えればよいのだろうか。学校では何も教えていないから、理解しにくい。それでもあきらめずに伝え残していかなければならないのだ。また戦争になるかもしれないから。

 戦争孤児とは第一章で述べてきたように戦争に起因して孤児になったものの総称である。当然ながら戦争がなかったなら孤児にならずにすんだのである。断っておくが、戦死者の子でも母親が生きていれば孤児ではない。あくまでも両親がいない子を孤児という。 現在は戦争がないから戦争孤児はいないが、地震や交通事故などで孤児になった子がいるかもしれない。しかし数は非常に少ない。交通事故の場合、両親を一挙に喪った悲しみは深いと思うが、家や財産まで失っていない。補償金や生命保険などもあると思う。
 自然災害(地震など)で両親を亡くした場合も、災害の様子は世界すみずみまで詳細に報道されるから、国内はじめ世界中から義援金が寄せられる。ボランテアの人々が駆けつけ、仮設宿舎が建てられ、食料品も配られる。餓死、凍死などはない。
 戦争は被害を隠される。現代でもイラク、アフガンなどの空爆をうけた悲惨な状況の取材は拒否される。新聞記者から「写真を撮ってはならぬ。取材はダメ。と追い出されるから、事実を報道できない」と嘆きの声を聞いた。とくに先の大戦で、日本国内の民間人の被害は一切報道されなかった。戦争は地震のように1、2日ではなく、昭和16年12月8日からはじまり昭和20年8月15日まで約4年近く続いた。東京は9ヶ月間、130回も空襲を受け、人々は火の海になった下を逃げ回ったのである。その劫火で親たちを殺され孤児になったものが大発生し、浮浪児になった子が大勢いた。私が「第二章、遺体処理」「第三章、隠蔽された空襲」を克明に書いてきたのは、戦争孤児がなぜ生じたのか、空襲の実態を知らなければ「戦争孤児の説明」ができないからである。