6.国民保護法
現在もイラク、アフガンの戦争で孤児が生じている。戦争のあるところ必ず孤児が生じる。日本も憲法を改悪して、戦争のできる国になれば、ミサイル弾が市民の頭上に降りそそぎ、誰がどのような被害をうけるかわからない。それが戦争の恐しさである。
戦争を経験しなくても「もし、戦争で自分の子、あるいは孫が、たった一人残されたとしたら、どうなるだろう」と我が身に置き換えれば、想像できるのではないだろうか。
現在、日本はきな臭い戦争の匂いがたちこめてきた。戦争とは核だけではなく、しょうい弾、劣化ウラン、枯れ葉剤、毒ガスなど、人間を殺傷する兵器が開発され使用される。戦争は人災である。天災とはケタ違いの被害をうけ、誰が孤児にされるかわからない。そして、その後遺症は66年すぎてもつづくのである。
国民保護法
日本にも有事(戦争やテロ)のさいの「国民保護法」が2004(平成16)年にできた。この国民保護法、第160条には「国から要請を受けて協力したものに補償を行う」となっている。市民の補償にたいする条項、文言が一言も存在してないのである。このことは戦争に協力したもの(軍関係者)のみの補償であり、一般市民が戦争やテロで殺されても、半身不随にされても、孤児にされても補償はしないということになる。私たちの空襲被害者には「法律に何も書いてありませんから、援護は出来ない」と言われつづけてきたのである。
この「国民保護法」は国民を護るための法律ではなく、「国民を護らない保護法(法律)」である。このような国民の生命を尊重しない法律が、なんの議論も、疑問もなく、現在の国会で成立されたことに、私に戦慄が走った。私にも子や孫がいるが、また有事のさい、「法律がありません」といわれ、私たちと同じ目にあうかもしれない。
先の大戦で、旧軍人、軍属には、戦後いち早く戦没者遺族年金法や恩給法をつくり、手厚く補償、援護してきた。現在まで約50兆(年平均1兆)円を支給してきたが、空襲被害者の補償は全くゼロ。民間人も同じ戦争で犠牲になった戦没者ではないか。
欧州諸国(ドイツ、イギリス、フランス、イタリアなど)は「軍と民は平等に補償」してきた。アメリカは、9、11のテロを戦争と位置づけ、犠牲者に莫大な国家補償金を支給した。このテロで両親を喪った孤児に3億円の国家補償がされたという。
日本だけが軍人だけの補償で、民は切り捨てられてきた。民間犠牲者への援護法があったなら、孤児たちも世間から差別されず、バカにされずに、将来への希望を持って生きてこられ、これほどの辛酸をなめずにすんだのである。
民間被害者の救済を無視してきた国の姿勢が、民主国家になった現在も引き継がれている。「民の命は消耗品、軍人だけが尊い」という軍人優位の政策が、現在もまかり通っていることを、戦争を知らない人たちはご存じだろうか。
これは私たちだけの問題でなく、未来につながる問題である。市民の誰がテロか戦争の被害をうけるかわからないのだから、「自分とは関係ない」とはいっていられなくなる。
*「路傍の空襲被災者 戦後補償の空白」池谷弘治著。クリエティブ21出版社より
2010年3月にだされた。これには「補償問題」が詳述されている。