(空襲死者は)関東大震災の数倍であった 
「この目を覆う惨憺たるありさまは、これより20年前の大正大震災の場合とまったく同じ形相で、さらに数倍も激しく、言語に絶した凄惨な状況であったというほかありません。」
「105、407体は当時数えられただけの数字でありまして、不明のものを加えますと更に大きな数字にのぼりましょう。」
「徹底した大規模の空襲をうけ、大正大震災の数倍する大損害となり、世界の戦争でも例のない莫大の貴重な生命を失ったことは、返すがえすも遺憾なことでありました」
  都公園課霊園係が編集した冊子「ああ三月十日」(東京都慰霊協会発行)より

関東大震災遭難死者は約6万人であった。その数倍なら30万人になる。関東大震災と東京大空襲の両方を経験した人たちは10万人どころではなかった。20万人以上〜30万人はいたという。50万人という人さえいた。
 東京全域の罹災者は300万人、そのうち3月10日の下町罹災者は100万人だった。死者10万人は100万人の1割である。中和地区、菊川地区(墨田区)は住民死者8割以上だった。江東区も約5割、浅草区も3割以上と聞いてている。100万人の2割〜3割としても、空襲死亡者は20万人〜30万人ぐらいになる。
 
この世に生きた証のない死者たち
 国は戦災死没者への差別から、遺族や傷害者へ援助、補償は一切なかった。死者数も氏名調査もしなかった。空襲は疎外され、闇に追いやられたのである。60年を経過してから少しずつ空襲の真相が判明しつつある。なんという長い年月が必要だったのだろう。
 空襲による死というのは、兵士が戦地で敵を撃ち殺すのとは、わけが違う。自分の親が、子どもが、家族が、自分の目の前で殺されるのである。それは刻印され、一生離れない。殺されたあげくに行方不明になり、遺体もない。追悼碑もない。お参りするところもない。民の命は犬や猫より軽いのだろうか。遺族は耐え難い苦しみを背負って生きてきた。
 死者たちの、地下ですすり泣く声が聞こえてくる。 (第四章で追悼を述べる予定)

空襲死者の追悼
 テレビを見ていたら(2010、7、18)大雨のため土砂崩れがおき、多数が行方不明になった。必死で捜索。総理大臣も現地へ飛び、花束をささげている姿が映っていた。天災も人災も未来のある人生が突然断たれたその悲しみは同じである。死を悼み、弔うのは当然で、死者の無念が胸に迫ってきた。早く行方不明者が発見されることを祈った。
 その一方で65年間も放置されている空襲死者に思いが走った。国は戦死者だけは大切にしている。靖国神社に祀られ、毎年、国会議員がぞろぞろ参拝している。空襲死者にはお参りするところもない。同じ日本に生まれ、育った日本人であり、同じ戦争で殺されたが、これほど命に差があるのだろうか。戦争では私たち遺族はこの問題に一生苦しみつつけている。(第四章で追悼を後述する)
私はキリスト教信者でもなければ仏教徒でもなすが、死者の霊が私の背中にとりつき「語ってくれ」と私を口を借りて皆に訴えていると、感じるのである。
 
 二度と戦争の愚をくり返さない、という決意があるのなら、空襲実態を明らかにすべきでないか。なぜ隠すのか。また戦争をするつもりなのだろうか。