2.ガレキや灰になった遺体

 遺体を公園などに埋めた都公園課のSさんの話では「たとえ黒こげになっていても人間の形をした遺体を、たくあんのように重ね、約300体を一つの穴に合葬した」ということである。人間の形もなくなり灰になったり、ガレキとなった死者は、スコップでトラックに投げ込まれ、どこへ運ばれたか不明であるが、私は海へ投げられたと推測する。

* 横川小学校(墨田区)
 「避難民一千有余人、猛火に包囲され、鉄窓から一挙に火が入り、全員焼き殺され白骨死体となった。翌11日トラックがきて一千死体を投げ上げ運んでいった」と。井上有一氏は倉庫にて奇跡的に生きのこされ、「倉庫内にて聞きし親子断末魔の声、終生忘れなし」と、そのときの恐ろしい情景を書に残している。
 当時、東京下町の学校は関東大震災のおり、木造校舎がペチャンコに潰された経験から、鉄筋コンクリート造りになっており、空襲のときの避難先に指定されていた。この校舎に窓から火が入り、学校内で荷物と一緒に燃え尽きたので、頭も胴体もバラバラになり、ガレキとなったのである。
 前述したように菊川小では約800体の白骨死体が余熱で灰になった。高橋小地下室のように、どろどろに溶けた遺体もある。それらは一体として数えようがなかった。

* 深川区担当東京視学が、空襲後に深川区(現江東区)の小学校がどれだけの被害をうけたかの調査にでむいた。そのときの文 「東京大空襲 戦災誌」より抜粋
「一歩屋内体操場に足を踏み入れがく然となった。死体が積み重なっていて3、4メートルもの赤い焔をあげて盛んに燃えているではないか。その焔は壁から天井にかけて真っ黒い煤のあとをつけながら、うなりを上げて燃えている。下の方には焼けつきた白骨がみえる。わたしは人間の身体があのようによく燃えるのを聞いたこともなかった。全く一面、鬼気が漂っていた。恐ろしくなって急いで逃げ出した。」
江東区の戦災による焼失した学校名一覧 
  城東区 深川区
全焼 一亀、二亀、香取、竪川、水神、一大、二大、三大、四大、五大、砂町、二砂、三砂、四砂、亀高、文泉、釜谷堀(17校) 白河、深川、臨海、平久、東陽、扇橋、石島、高橋(8校)
半焼 東川、川南、元加賀、八名川(4校)
無事 浅間(高等科) 明治、数矢、毛利、明治第二(4校)
 
 江東地区では34校のうち無事だったのはたったの5校であった。下町は台東区、墨田区、江東区である。江東区以外も焼失した学校が多い。(何校焼失したか不明)無事であった学校のほうが少ないのではないか。私の母校富士小(浅草区)も焼失して、校内はガレキ死体が山になっていた。安全であるはずの学校へは主に女、子どもが先に避難していたのだった。このガレキになった遺体が一番多いと思う。