3月10日以前の死者数(=国の発表の4倍)

 たとえば3月9日までの東京空襲死者数はどのくらいあったのか。(3月10日以前)
戦災死者は警察官の検死をえて、都が用意した棺桶に入れ火葬に付し、遺骨を遺族に手渡すのが原則で、3月9日まではこのような手続きがとられ、死者氏名は全員判明している。都公園課霊園係の井下清氏が3月9日までの死者数を調べ、10、695体と、都へ報告した文書がある。(「戦災殃死者改葬始末記」41ページ)3月9日までの死者数は10、695人が正確である。それが2、633人になっていた。
 東京空襲日報(「東京空襲の記録」より)民間人が苦労して作成されたと思う

    
東京空襲日報 「東京大空襲の記録」より
年月日 区、町村名 死者
17.4.18
19.11.24
   11.27
   29〜30
   12.3
   12.6
   12.10
   12.11
   12.12
   12.21
   12.27
   12.30
   12.31
20.1.1
   1.5
   1.9
   1.27
   1.28
   2.2
   2.14
   2.16
   2.17
   2.19
   2.24
   2.25
   2、26
   3.4
   3.5
 荒川、王子、小石川、牛込他
 江戸川、荏原、品川、中島飛行場、杉並
 渋谷、城東、江戸川他
 神田、本所、城東、芝他
 杉並、板橋中島飛行場、江戸川、中野
 江戸川
 城東、浅草、麹町
 大森、品川
 豊島、小石川。東京湾
 江戸川
 板橋、中野。中島飛行場、杉並、王子他
 浅草、本所、日本橋
 神田、本郷、下谷、本所。向島他
 本所、向島、浅草。下谷他
 城東
 麹町、芝、牛込、深川、大森他
 麹町。日本橋。京橋、荒川他
 本郷、浅草、荒川、蒲田他
 深川。下谷、
 向島
 大森。渋谷、中野。蒲田。杉並他
 赤坂、大森、淀端、中野他
 神田、京橋、赤坂、四谷
 浅草、下谷
 下谷
 荒川、足立
 豊島、滝野川、城東、向島
 城東、江戸川他
  39
 222
  41
  82
 185
   3
   1
   1
   6
   8
  51
   3
   1
   5
   3
  28
 540
  15
   4
  47
   3
 211
 163
 102
 195
  22
 650
   2
 (空襲があっても死者がでなかったところは削除した) 合計 2、633人

 井下氏調査の4分の1である。確実な死者数まで、極端に少なくしているのはなぜか。


3月10日の空襲死者は罹災者の一割だったのか
 現在3月10日の死者数は10万人以上といわれている。これまで述べてきたように、1、流失。2、ガレキ。3、埋没、の行方不明。さらに4、重傷死。5、直後の火葬。を合計すればどのくらいになるだろうか。さらに3月9日までの死者も4分の1になっている。3月10日以後の4月、5月の山の手空襲やその他も同じだろう。

米国戦略爆撃調査団
 アメリカは「戦略爆撃の効果を知るため」1945年10月から、米軍人850人、日本人300人が動員され、約1ヶ月かけて調査活動が行われた。結果は「信頼できる資料がなく、とくに空襲中の死傷者についての調査資料は絶無だった」と報告されている。
「日本は調査というものがまったく欠けている。驚くべきことである。信じることができない」と報告書はくり返し述べているのである。(早乙女勝元著「東京大空襲」より)