A 軍、アメリカ占領軍、都、国から隠蔽された空襲

 久保田医長が朝日新聞に掲載した文(S61年3月5日)。
 41年前の東京大空襲は首都の東半分を壊滅した。日本の調査機関も、なるべく内輪に報告しようと努めた節がうかがわれる。独立後も、正確な調査を試みた形跡はない。
 また、その後10数日にわたって連日、隅田川を流れて海に注いだ膨大な数の死体、都内の凹地や湿地帯などに投げこまれ、その上に土砂をかぶせて片付けられた数千の遺体、あるいは負傷した身体で近県の親類縁者を頼って東京を脱出し、避難先で死亡した無数の死者も、東京空襲死者として数えられていない。
 3月10日の被害は死者、負傷者、被災範囲ともに原爆の被害に匹敵するか、それを上回るほどのもので、人類が経験した史上有数の惨劇ということができる。
 しかもこのような首都の被害がほとんどの人々に知らされず、国家的な慰霊祭も行われずに伏せられているのは、一体どういうことだろうか。
 政府はこの悲惨事を積極的に国民に知らせ、犠牲者の冥福を祈ると共に、戦争の愚をふたたびくり返さぬ資料にすべきである。

 3月10日以降、救援隊長として活躍した久保田医長の言うとおり、戦後40年が経過しても、原爆の匹敵する空襲の実態はほとんどの人々に知らされなかった。空襲死者の氏名の調査もしなければ、追悼碑も資料館もない。国家的な慰霊祭もない。軍人にはある補償も援助も一切なかった。戦後、日本が経済大国になっても何一つない。戦後50年の節目の年にも、空襲はマスコミ関係にとりあげられなかった。まるでこの世界最大の空襲が何もなかったようである。なぜなのか。