東京空襲死者数 さまざまな統計資料
 
 昭和17年4月18日の初空襲から、昭和20年8月15日までの人的被害の統計が、
各所から出されている。人数が全部違っているのである。同じ空襲被害でありながら、最低と最高とでは4万人の違いがある。こんなことでよいのであろうか。何も知らない市民は疑いもせず、これらの資料データを信用してきた。
 
   東京空襲の人的被害の統計資料
  死亡数 重傷
消防庁調査 72.489 20.891
警視庁調査 88.793 40.913
帝都防空本部調査 76.056 97.961
米国戦略爆撃調査 89.400  
東京都(平成7年12月) 76.000  
経済安定本部(昭和24年4月) 96.318  
東京都戦災誌 94.225 38.974
東京都総務部調査(昭和28年3月) 92.778 30.404
東京都慰霊協会(昭和27年5月) 104.908  
東京新聞(平成6年8月14日) 115.000  
 
* 東京新聞調査
 「空襲犠牲者数を正確に把握している所は少ない。戦争、空襲を記録する会など、民間団体や個人が、必死になって数字を復元しているのが実情である。本紙は経済安定本部などの既存の全データを参考に、各地の民間団体や研究者の協力を得て、現在わかる範囲の犠牲者数をまとめた。この紙面をきっかけに、さらに記録の補充が進むことを期待したい」。

* 都公園課(慰霊協会)調査
 「この数は当時、収容処理した体数である。行方不明(おそらく灰やガレキになった遺体であろう)、防空壕などに埋没した遺体、川から海へ流失した遺体は、算入してない」。
と述べている。収容されなかった行方不明者はどのくらいいるのか。現在も不明のままである。
 
  空襲死者の氏名調査をしなかった国、自治体
国、自治体が空襲犠牲者の氏名調査をしていれば、正確に近い死者数がわかったであろう。
 阪神淡路大震災の遺族が、碑に刻まれた家族の名を、涙を浮かべ撫でている姿が目に浮かぶ。震災、自然災害はすべて氏名の調査をしている。
 戦争、空襲では家、財産のすべてを失った上に、命まで奪われたのである。氏名調査は戦争の犠牲になった国民への、人間として最低の悼む気持ちであろう。氏名はこの世に生存した証である。その「あかし」もないのである。