空襲とは

 昭和16(1941)年12月8日に第二次世界大戦がはじまった。アメリカ軍は最初のうちは軍事施設を狙った精密爆撃だったが、効果が上がらないので、戦略を住民皆殺し作戦に変更した。昭和19年11月よりマリアナ基地から発進したB29が、日本の都市住民を標的にした本格的な空爆をするようになった。日本の人口が密集している大都市、東京、大阪、神戸、名古屋、横浜をはじめ、中都市が空爆され、都市は戦場になり廃墟になった。

日本の空襲は住民標的爆撃であった。
    「日本空襲に関する米軍資料」中山伊佐男氏調査より
 中山伊佐男氏は1972年に解禁された「日本空襲に関する米軍資料」、目次だけでも317ページもおよぶ膨大な資料を、徹底的に調査、検証された。まさに執念を感じる。
 それによると「アメリカは1943年から、日本への焼夷弾攻撃データを作成。1931年の関東大震災の火炎地図まで用意し、サンプル住宅を建て燃え方の実験までしている。
日本の人口が多い20都市に、焼夷弾のもろい地域を詳しく精査し、住民を攻撃目的とした。市民である人間の生命を奪うことを前提にした爆撃であったことが米軍資料から判明した」と、米軍資料には詳細に日本空襲の立案から実施まで記載されているのである。
 「無差別爆撃とは工場と民家が混在する地域の爆撃であるが、日本への爆撃は無差別爆撃というより、もっとひどい非人間性を拡大した爆撃であった。3月10日をはじめ多くの都市の空襲は、住民を攻撃目標とした爆撃であると断じざるをえない」と述べている。 さらに「日本は空襲について間違った報道を何十年もつづけ、それを信用していたわけだが、米軍資料は日本の空襲資料より信頼生が高いので、正確に次の世代に伝えたい」と。
(「日本への住民標的爆撃の実相」中山論文より)
ぼう大な資料、難解な専門文やデーターなどの英文を解読した努力、熱意に敬服する。

天災と人災の違い
 世界各地で地震、津波などが起きている。自然災害はテレビ、新聞などに大きく取り上げられ、その悲惨さが直に伝わってくる。家が地震でペチャンコになり、その下敷きになった人たち、水も食料もなく寒さ飢えに震えている人、などの報道に世界各国が援助活動を行っている。
 人災である戦争は、自然災害の何十倍の被害である。家々は一軒もなのなり、焼け野原になった焦土だけがどこまでも「一望千里」に広がり、いたるところに黒こげの死体だけが転がっていた。空襲被害は隠され、写真を撮ることさえ禁じられたため、その実態を知る人は少ない。援助も一切ない。これが戦争の恐ろしさである。

一般孤児は戦災孤児である(親の行方不明)
 戦災孤児は空襲と密接な関係がある。空襲を語らずして孤児を語れない。これまでに
一般孤児は戦災孤児。すなわち戦災で親が行方不明になった孤児が多い。と述べてきた。なぜ、親たち家族が死んだと判っていながら行方不明なのか。不思議に思う人も多いと思う。空襲後の死者がどのように扱われ、遺体はどう処理されたか、その実態を知ることによって、理解してもらえると思うので、これから空襲の実態を述べていく。