空襲被災証言

  目をそらすな。事実を直視しょう。同じ目にあわないために
 
証言1、「隅田公園」隅沢理恵文、抜粋(「平和のひろば」より)
「横なぐりの凄ましい猛火が人々の上を走った、人々が折り重なって倒れれた。その人たちがくすぶりはじめ、ゴウゴウと音をたてて燃えていく。私はわずかな土の窪みに顔を伏せ空気を吸った。人間が生きながら焼かれていく修羅場、その光景が地獄絵さながらに私の目の前にある。あたり一面火の海、焼き殺された左右の腕がつけ根から落ちた。両足が大腿部から焼け落ち、最期に頭がポトリと落ち、五体がバラバラになった。炭化した死体の白い骨が何かを怨み、見据えた目玉のようだった。
 私の着衣は焼けてなくなり、全身に大火傷を負っていた。くすぶりつづける焼死体から異臭がする。私のまわりには誰ひとり生き残った様子はなく静まりかえっていた。チクショウと腹の底からしぼりだす男の人の声が遠くで聞こえた。」
 
証言2、「菊川国民学校」山口治三郎文、抜粋(「東京大空襲戦災誌」より)
「学校正門前の黒こげの男女、子どもの区別もつかぬ死体が重なり、午後2時ごろ講堂の中をのぞいたとき、数百人と思われる白骨死体が重なっておりました。2時間後の午後4時ごろにまた学校へいきのぞくと、なんと骨さえない白灰になっておりました。どうして燃えつくしてしまったのでしょう。とても考えることができませんでしたが、事実の体験です。」
 
証言3、「地下室と共同便所」石倉友次文、抜粋(「防空法犠牲者の会たより」より)
「あたりはものすごい熱と風で一歩も歩けない。6坪ほどの共同便所には30人くらいが避難していた。この建物も燃えはじめた。突然、子ども連れの若い母親が私にしがみついてきた。私はなにがなんだかわからず、ただ手にしたゲートルを、水をひたして火と熱からのがれるだけ、なすすべがなかった。いつのまにか私は眠ってしまっていた。
 気がつくと10日の午後2時ごろになっていた。共同便所の中には昨夜の人たちが、皆からだをもたれあって死んでいる。母子も死んでいた。私は高橋国民学校(鉄筋4階建)の地下室へ行った。廊下は丸焼けの死体がごろごろしている。ひとかたまりの物体と化している。地下室の入り口にくると、まだものすごい熱で中へ入ることもできない。ただ中にいた人は全滅だということだけはわかった。
 地下室は2、3日は入れなかった。それというのも、地下室にあった水道水が膝あたりまでたまり、それがものすごい熱湯になっていたからだ。おそらく熱気に耐えきれなくなって水をだしたのだろう。死体は熱湯に溶けていて、だれの頭か、だれの足であるか、だれの死体であるかわからなくなっていた。」
 
 個人の証言は山ほどあり、一人一人の体験も違うが、焦熱地獄だったことは共通している。子どもを背負って夢中に逃げ、ほっとしたら背中の子は死んでいた。という話も多い。