HONDA Dream CL250

<2004年3月初稿>

 W1が再起不能になってからしばらくの間(約1年間)は、バイクなしの生活を送っていたが...
 翌昭和52年(めでたく結婚した年)に、ひょんなことから友人のCL250をもらい受けることになった。
 このバイク、元はその友人のお兄さんが乗っていたバイク。
 お兄さんは当時自衛官をしていて転勤のため、弟(私の友人)に引き取らせた。
 で、弟がしばらく乗っていたのだが、彼はもう一台CB250(これもお兄さんから貰い受けた)を持っており、CLの方は手放す(売却)ことになった。
 売り先も決まり(同じ会社の仲間)完全整備をして引き渡すその日に...
 なぜか、「やっぱ、いらない」っと、ドタキャン。
 親しき仲とはいえ、思っても見ない事態に彼は...ブチっ!
 キレてしまった。
 バイクなしの生活をしていた私のところへ来て...
 「マンモスさん、このバイクのらん?..あげるわ」
 目がテンになりつつも、私は遠慮なくいただいてしまったのだ。
 こんなことがあって、いいものだろうか...ラッキー..そのものである。
 元は、どノーマルのオレンジ・クリームのツートンカラー。(左のカタログ参照)
 エンジンその他、走行系は彼の整備により絶好調だったが、彼のお兄さんはこのバイクを海辺で乗っていたため、金属製のフェンダーなどそこここに錆が..
 一念発起、再塗装をすることにした。
 フロント・リヤともフェンダーは黒に、タンクは赤、このバイクの特徴弁当箱マフラーはカバーをつや消し黒に...
 見違えるように生まれ変わったところに間髪を入れず...
 タイヤ交換...中村ゴム商会まで出向き、W1と同サイズの前後タイヤを購入してきた。
 中村ゴム商会って、モーターサイクリストかオートバイを見て、いったんだけど...当時は蕨市(埼玉県)にあったと思ったなあ。
 現在もあるのかどうかはわからない。
 はるばる行ってみたら驚いたことに老夫婦(失礼)がやっており、しばらく世間話をして帰ってきた記憶がある。
 で、バイクの話に戻ると..リヤはもちろんダンロップK87MrkU。
 上の写真は2枚ともその状態で撮影したもの。
 風防がなんともゾクっぽいが、当時の流行り。
 リヤのみバンパーを装着して...フロントをつけなかったのはちょっとしたこだわり。
 前後ともに着けるのが本来の姿だが、フロントだけ着けているライダーが結構多かったご時世...
 よしっ!人のやらないことを...ってなノリである。

 結婚後、相原(町田市)に移り住んだ私は豊田(日野市)にある職場への通勤の足として約2年間愛用した。
 その間、このバイクを駆って富士スピードウェイにレースを観に行ったり、ツーリングにも何度か出かけた。

 昭和54年冬、通勤が山越えであり、自らの体重も若干増え気味で、250ccではちょっと力不足を感じてきた。
 おりしも、このバイクの提供元である友人は、その時点でバイクなしの生活になっていたため、このCLは彼に返し、私は少し大きいのを新調することにした。

<2004年4月初稿>

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