演題 「ある日突然・大黒柱が倒れる」 体験発表
 
場所 山形県立中央病院大講堂

2010/10/25(月)




の闘病中(脳出血)のプロセスと病気との闘い

                                   1.脳出血で倒れて家族に大きなショックを

 

私は平成8年11月当時52歳で、脳出血によって倒れた。一瞬にして家庭をどん底に陥れ、自分、家族が苦難の道を歩むことになった。これも自分の生活習慣病の欠如が原因かもしれません。

 当時、私の仕事は高校教師で仕事が忙しく、夜遅くの帰宅もあり不規則な生活を送っていたのと同時に自宅を新築しばかりで心労も重なり入居後3ケ月目の出来事でありました。

当日は庄内あつみ温泉に研修に行く予定であった、そして外は寒く冷え込んでいたが犬の散歩をさせ自宅に上がり同僚の迎えを待っていたが。

家に入り洋間で立っていたところ自然に左足の力が抜けて床に座り込んだままで、立ち上がり電話をかけようと試みたができなかったので仰向けに寝ていたところに
妻が同僚より少し早く帰ってきた。

妻は大きな声でどうしたのと驚きで救急車を呼ぶのに慌てていて様子を記憶している、直ぐに救急車で市立病院搬送し
CTで確認、出血していたため済生病院に転送しオペの準備に入った。

 一番ショクを受けたのは子供で、当時中学生であり思春期の難しい年頃でもあったので自分も心配でした。

私が脳卒中で倒れ、子供は強いショクを受けたと同時に、精神的なダメージで学校に行く事が困難になり精神的負担かけ大変申し訳なく思います、後日妻から息子の状況について聞かされた。


さて本日、私が皆さんの前にいると言う事は自立して、職場復帰を終え退職したと理解していただいて結構です。

2.闘病についての諸問題(リハビリも含む)

 

自分のオペが終わり部屋に入り麻酔が切れてからショクで、どうしたらいいのか判断できる状況ではなかった。頭が重く混乱状態が10日間以上続いたと思う。オペ後は何もする事ができない状態、ベットで身体、手、足を動かすことは出来ない状態でした、脳出血の恐ろしさを嫌と言うほど思い知らされたのはこの瞬間でした。

数週間後、自分はいろいろな問題で精神的に追い込まれ、また座っている事もできない状態で自分自身を見失しない、まさに真っ暗闇の人生であったと記憶しています。

私は苦痛から逃れたい一心で死を覚悟(
大きな理由は障がい者になったという精神的なプレシャーです、これはなった人でないと理解できないと事だと思います。)したことも何回かありましたが、子供や家族の事を思うとどうしても決断できなかった。

 

妻も勤務終了後、毎日のように雪道を寒河江から病院に来てくれたことが自分の一番心の大きな支えになった。時間になると部屋から車椅子で廊下に出て窓際に行き妻が来るのを何回待ったことか・・・

 

また、兄弟、親戚、友人に優しい言葉をかけられると自然に涙があふれ出て止まらなかった。(脳の後遺症だと考えられます)

 病院で言葉の禁句は「がんばれ」の一言だ

この言葉は闘病中自分で考えついたのです、言葉は精神的に患者を追い込むので絶対言うべきでないと。(代わりに今日顔色いいとか、元気言いね方がむしろ患者にとっていい)

 

何をすれば良いのかは本人が一番知っているからだ。日々一生懸命努力しているのに・・・がんばれを更に言われると何もする気持になれないのが当人の本音だと思います。

「そして自分は重大決意し、必ず自立、職場復帰する目標を決めた」前途には多くの困難も予想されたが・・・

リハは装具を付けて日々訓練に打ち込んで一日も早く回復することを願ったが思うように回復出来ない事に苛だちを感じて病室で気持を沈めるのに時間がかかった。

メンタル的にもネガテイブになり、なぜ、どうして、俺がと自分を責める日々が続いた。また同時に精神的に浮き沈みが大きく気持をコントロールするのが非常に難しかった。(当時は自分で解決する方法しかなかった)

3.転院(復帰の準備に向けて)

 私は寒河江市立病院から済生病院に転送され闘病生活も3ケ月近くなると済生病院側から転院の話が打診された。病院では脳の治療は終わったからと)また転院する時はMSW、主治医からは何のアドバイスもなかった。転院の話が出た時は本当に悔しい思いで一杯でしたが、そして内心転院先が寒河江で精神的ホットした気持でした。

(済生病院ではリハは今日よりも明日と一歩前進と常に前向きに打ち込んでいたので愕然とした気持でした)。

自分はもっと長く同じ病院でリハ継続をお願いしたが受け入れられなかった。

私は一家の大黒柱として生計を立て直し、子供に与えた精神的なダメージを少しでも和らげてあげたいと思った事。更に障害者でも自立、復帰して仕事出来る姿を父親として息子に教える責任があったからです。(今後の息子の人生のために)

 

自分には職場復帰と言う一つの大きな目標にひたすら前向きに

やるしかなかった。足、肩の痛さで夜も眠れない日も数日間続く日が何回かあり、痛さを止める事は出来なかったし(薬も飲んだが効かず)、何とか耐えることしか方法はなかった。リハだけに専念するため地元寒河江に転院した。病院2階からは我が家も見える位置なので精神的にも楽になり落ち着くことが出来た。(自分の場合は特休と休職利用してリハ専念をしました)

 

寒河江市立病院に1ケ月入院し、リハに以前より積極的に取り組み、徐々に身体機能が改善する事が見えるようになりOTPTの熱意ある指導と同時にケアしていただき感謝しています。

あっと言う間に1ケ月が過ぎ去り病院を退院し、「
自宅に戻り、自立復帰に向けての心の準備や自己リハをスタートさせた。」
(オートマの購入や運転の練習、職場までの早朝の運転練習等も何回となくやったが冬期間が一番大変だった。)倒れてから一年4ケ月後に職場復帰をする前に、復帰準備として
病院の方が職場に行って復帰可能か確認してくれた(バリアフリーも含めて)。

更に自己リハを(道路、済生病院めぐみのプール、長岡山で)寒河江病院退院後も外来で病院のリハを約10ケ月継続出来たことは自分自身の自立、復帰に力強い支えになった。私には復帰の言葉は重く右手一本で出来る事は何でも挑戦してできる事を証明するまでは強い意志と根性が必要な事は勿論、それなりにリハの指導も当然長いスパンが必要になります。

ただし個人的に病状にもよりますが自分の場合は病状も重いので長いスパンと自立、復帰大前提にあるので必要でした。また上記で言ったように休職期間
(外来で)も継続してリハを継続し自立、復帰に向けて着実に進んだと思います。

だから日数制限は障害者に取って切りすては死の宣告と著書で言い残し、この言葉は東大免疫学者多田先生が言われてもので今年4月に旅立ちました。(リハ日数問題は、後から言いますが)

私は更に復帰後も外来リハで指導を受けた。その間メールで「厚労省に苦言や提案を何回となく送り、1回だけ返事を頂いています」

 我々卒中患者の身体は一生リハの維持が必要だと常に言っています。退院には個人的にいろいろ病状も異なり見解があると思いますが患者が望んでいる事は、ただ一つ新たな人生の気持で働く事すなわち、自立、復帰する事を願い退院するのだか、障害者の仕事が限定されている中でどうのようにして仕事を見つけ出すか、どうすれば仕事に安心して仕事につけるのか不安材料で判断できない状況だと思います。
だから地域のサポート体制を急ぐようConcept(発想、考え、着想)を提案します。私は病院のリハサポート、MSW役割は以前よりまして重要になって来ていると思います、「ここで重要な事は各セクションでやるのでなくチーワーク(病院ではリハとMSWで)やるべきです。若年卒中は特にサポート側の積極的な関わりが必要です。」その利用方法が患者に理解されていないのではないかと思います。(日頃から個人面談で患者とのプログラムを作り自立、復帰の準備段階をすべるべきだと思います、そして個別に仕事に対するモチベーションをどう位置づけするのかが問題です)。また介護保険ができても、本人の認定制度、内容の知識が理解されていないと思います、むしろ本人よりケアマや病院サイドから利用する要請があるのでは・・・

 

 

4.職場復帰するに当たって

 

私の言う復帰は、簡単な事ではない事だけ強く言っておきたい、行く手には様々なバリア(精神的、肉体的)を覚悟が必要です。(時間的に余裕があれば話したいが)

私は病院関係者、家族の協力でついに職場に復帰出来て嬉しい反面、精神面での不安と諸問題を抱えての復帰でした。
復帰後
は自分で乗り越え解決する事ができた。(労働時間、給与、仕事の内容等)

 先ほども言ったように復帰するにあたっては障がい者(半身麻痺や言語障害、車椅子利用)の場合、復帰出来る仕事に制限(職種)があると思います。比較的復帰しやすい仕事は公務員関係、民間企業でも事務(IT)関係でしょう。

自分は仕事にも恵まれ(学校)無事に復帰できて、自分の当初の目的を果たせたのは今後の人生上大きな自信になった。

そして自分の目標であった5年間一日も休むことなく職場復帰を無事終え、人生のカジを大きく転換し余暇を選択し今は人生を大いにエンジョイしています。

 

5.若年卒中が多いと言われているがその対策と自立と復帰

最近若い世代の卒中が多いと聞きますが、食生活に問題があると考えられますが、Self-Medication(自己管理)の徹底と食生活の改善をすることによって予防が可能になると思います。(脳卒中協会資料によると年に25万人、最近は梗塞が多い。)

 自立や復帰は私の時代と違い、現在のリハは医療改革、医療報酬も絡み発症から180日間、日数制限されリハは現在非常に難しい環境になっています。

自立、復帰についてもサポート体制が出来ていないのが現状だと思います。(厚労省でもかけ声は障がい者の自立や復帰と言っているが対策が具体的に指示されてのが現状です。)
自分なりの対策としては各自冶体や地域セフテイネットを・・(病院、ケアマ、行政)で支え合うサポートシステムを早急に立ち上げるべきだと思います。

全国的に自冶体、地域での動きが始まっています、その例として

(兵庫県では兵庫県立リハビリセンターの澤村先生が中心に地域ユニバーサル(誰でもが主体的に生き、支え合うあらゆる目的にかなう)社会作りをしています。また、参考まで終末期リハまでのシームレスリハ(医療と介護を連携して)をサービス出来ることが重要だと言っています。更に知事から兵庫県全域にリハサービスを受けられるように中核病院を指定し兵庫県リハ地域システムを実行に移しました。

 

脳卒中の回復には個人差がありますので一概に言えないが、若年卒中の方は傾向として精神的に難しい面があると言われています(諦めが早い、我慢出来ない、根性がない事等)があると聞いています。地域で若年卒中を支え支えるシステムない現在では一層自立、復帰が難しくなる中で、地域対策や組織作りが益々重要な課題だと思います、どんな状態におかれようと本人の復帰するという強い意志とやる気が一番大切であると言うことを経験上強く言いたい。

 

6.病院で患者のたらい回しと介護保険の適用

 

大変言いにくいことですが、あえて言わせてもらいます。「自分の日頃の目線で(実際に卒中患者の話も聞いていますが)言うと病院で早期退院させ、病院で患者のたらい回して責任転化してないのか」誰が患者の責任負うのか明確にすべきだと思います。このような状況では自立や復帰は、出来ないと思います。

 私は弱者の切り捨てではないかと言いたい。今日出席されている皆さんが、もし障がい者になった場合どうして欲しいかを考えてみればすぐに答えは出てくると思います。皆さんも他人ごとでなく一緒に真剣に考えて欲しい問題だと思います。

北欧の福祉の発想のノーマライゼーションの理念と条件整備は世界の福祉のベースになっている事はご存知の通りです。

(障害者と健常者が生活出来る環境の整備を)そして障がい者にも積極的に
ITの活用、利用方法等の指導を訓練させ、地域での情報入手し、各自冶体の情報(障がい者になるとバリアができ全てが閉ざされてしまう可能性があるので)を理解してもらい、広く利用しやすく、わかりやすいコンテンツの内容にすべきです。そこから人生の新たな道が開ける可能性もあるからです。・・・

 「各自冶体には格差が広がり福祉制度、介護制度のあり方を各自冶体で地域の人々に理解される事(HPでの情報公開)が大変重要な課題の一つだと思います。」

介護保険について一言

病院から直ぐ家族に介護保険で認定させて介護保険施設を利用させたり、また介護保険申請して早くケアマネジャーをつけるようと指導されて退院を促すやり方にも自分はいささか疑問を感じています。

ケアマネの仕事されている方も施設に入れたり、介護保険サービスを利用させたりするばかりでなく、介護保険の発想は何で、目的は何か、原点に戻って考えるべきだと思います。

デイケア(通所リハ(OTPTSPなどのサービス)デイサービス(介護、療養サービス受ける)の質の改善、施設の問題点、も含めて考えて欲しい、勿論若年卒中は「自立」「復帰」を目指すのは当然です。

 厚労省は介護保険でリハをと言うが、施設(OTPTST人材の確保、一人当たりのリハ時間の確保等)でのリハと我々の求めているリハとは大きなギャップがあります。(実際利用している知人の話を聞いています)

自立、復帰させれば介護保険料の軽減にもなります。
の指導は現場の事情、患者を無視した机上の空論にすぎないと思います、もっと国民、患者を含めて真摯に向き合い話し合いをすべきです、それを意見として介護保険に反映させるべきと思います。それがお互い支え合う介護保険でしょう)

 7.若年卒中の各自冶体、地域の支えはどうあるべきか

 障がい者(若年卒中)にも家族、住宅問題(銀行からの借入金)があります、職場復帰しなければ生計がなりたたない(最終的に自己破産を含めて)。最悪の場合は家庭崩壊も・・・これはあってはならい事です。

自分の経験から障がい者は自立、復帰を願い目的を達成するために、若年卒中の方、家族の方は誰に相談すればいいのか、また復帰の交渉を誰にお願いすればいいのか困っているのが現実だと思います

 自分の場合は病院でやってくれましたが、現在は病院の代わりに誰がコーディネーターの役割をするか連携の組織を早急に立ち上げ、行政中心に連携を組織化して(病院、ケアマネ、行政)サポートをすべきだと思います。

 

更に患者の家族のケアも同時に(ストレス解消とメンタルサポートも合わせて行う事が必要と思われる)最近家族の悲惨な事件が各地で起きています。・・・原因はケアでストレスが原因とも言われている。

 

誰にでも病気や障がい者になるリスクはあります。なってからでは遅いのです。私も微力ですが、(自立や復帰の経験から)出来る範囲内で今後も協力したいと思います。
自分の体験談を振り返って、山形県や各市町村でもっと対策されることに期待したい。山形県の脳卒中患者数も全国的も多いのにも関わらず、その対策が後手に回っているように思います。
我々は今後も脳卒中の運動を続けながら日々同病の方が苦しみ、悩み続けている現状を県や厚労省に訴えてリハビリテイションの改善に向けて運動をして行きたいと思います。
また、2010年6月に東京で財団・憲政記念会館でアビリティーズ主催の会に民社党党首の福島瑞穂代議士を迎えて懇談会の席上、自分はリハビリテイションの継続を強く直接訴えて来ました。

党の事情で民主党の政党政策の問題で連立を離脱され閣僚を離れたことは我々障がい者に取っても大きな問題です、福島党首は障がい者に非常に理解のある方であったので大きな力を失った。自分は今後も東京での会議に出席し今後も訴えて行きたい

最近の脳卒中の患者の死亡数が多い事に現閣僚からもこの対策に乗り出す意見が出てきたことは我々に取っても大いに期待したい。「更に自立や社会参加(復帰)」の対策にも具体的な積極策を打ち出して欲しい。



上記の写真のように障がい者の差別禁止法や自立や復帰に向けての情報交換や諸問題に活発な意見交換が行われた。