白の波紋


「やはり次元が違うのかな……手塚は」

 左斜め後ろから聞こえてきた掠れた声で俺は現実に引き戻された。いつの間にか握っていた拳は、強く握り締めていた所為かうまく開かない。それだけ刺激の強い試合だったのだと、一人納得した。
 プロテニスをテレビで観たときより強い印象。きっとそれは、同じ年代の奴が、俺の目の前ですごい試合をしたからだ。より現実的だったからだ。
 時間をかけて開かせた手の平を見つめる。この手に、掴めるだろうか。

 俺は、テニスがしたい。
 あのプレイヤーと同じ舞台で。





「…あの、スミマセンっ!」
「え?」

 左斜め後ろを振り向いて思いきって声を掛けたら、その人は緑のジャージを身に纏った中学生だった。一生懸命ノートに何かを書いていたが、見知らぬ俺に声を掛けられたことでペンは止まった。
 俺は真っ直ぐその人を見据えながら質問した。

「い、今の試合に勝った人…」
「ああ、手塚のことかな?」

 さっきもそういやそんな名前を呟いていたな。って、そうじゃなくて。

「どこの生徒なんですか?」
「ああ、」

 声変わりの途中なのか、低さと高さの間の掠れた声がその名前を俺の心に響かせた。

 今、俺の心の中はほとんど真っ白な状態で。その中に一つ、ぽたんと色が着いた雫が落ちる。ミルク色の水面はそれのために揺れて、何重もの色の輪を描いていった。

「青春学園中等部」





「海堂!お前何所に行ってたんだよ!」

 最初に観戦していたコートに戻る途中で富岡と鉢合った。ということは、兄さんの試合は終わったんだな。

「悪い、ちょっと…」

 語尾を濁す俺に深い溜息を吐いた富岡は、少し歩いてベンチにどっかりと座った。

「怒ってるか?」

 俺の問いかけには首を横に振ったが、視線を俺と合わせない。微妙な雰囲気が俺たちを包んだ。俺は何を言っていいのか分からなかったから黙っていることしかできなかった。

「俺、私立受験する」

 拍手の音や歓声が聞こえてくる中、その言葉だけが静かな響きを持っていた。俺は驚くこともなく、寧ろやっぱりなと思って聞いていた。

「兄ちゃんと同じとこでテニスがしたいって、習い始めた時から思ってたから…」
「…そうか」

 あの時、兄の試合を見つめる富岡の目は、どこか羨ましそうに見えた。きっと同じ中学で、一緒に戦っている奴らに妬いていたんだろう。

「…けど」
「?」
「…兄ちゃんも追いかけたいけど、それが一番だけどさ。友達が一人もいないとこに行くのは少し…、嫌かもって思ったんだ」

 それで俺を連れてきたのか。俺にはまだ目標というものはなくて、公立にそのまま上がるつもりだったから、もしかしたら同じところを目指してくれるかもしれないと思ったんだろう。
 けれども皮肉なことに俺はそこで出会ってしまった。富岡とは違う、自分の目標に。

「確かに同学年に知り合いがいないとこに一人で行くのは勇気が要るな。けど、やっぱり自分が本当に行きたいんなら、俺は耐える」
「……海堂らしいな」

 富岡は苦笑したが、俺だけじゃなくてこいつも「寂しいから一緒に来て」というタイプじゃなかったはずだ。
 俺は思うところがあって、さっきの決意を早々に打ち明けた。

「富岡、俺も私立を受験する」
「え!?」

 驚きに目を見開いてベンチから立ち上がる。その反応で、もしかして最初から俺が同じ中学に入らないことを見越していたんじゃないかという考えが浮かんできた。

「違う」
「は?何が違うんだ?」
「お前が行きたい中学じゃない。俺は俺でやりたいことを見つけたんだ」

 一人になるのが不安で、だけどそうなる覚悟を誰かに聞いてもらいたくて俺を連れてきたんだ。たぶん、それで正解だ。だって俺がそうなんだから。

「…そっか。じゃあ、一緒だな。環境的には」
「ああ。ちなみにテニス部に入るから、どっかの大会で会えるんじゃねぇか?そうじゃなくたって家近いんだし、会う気ならいつでも会える」
「ははっ!確かにそうだな!」

 その考えはすっとんでいたのか、今気づきましたという顔をした後いつもの明るい笑顔を見せた。

「それに、お前なら何所に行ったってすぐ友達なんてできるだろ」
「お前と違って俺って世渡り上手だかんなー」

 調子付いた富岡を俺は珍しく放っておいた。ここで我慢するのも成長の第一歩だ。

「とりあえず、受かんねぇことには何も始まらないだろうが」
「あー…そうだったな!」

 問題はそこだ。富岡はともかく俺は中学受験の対策を一切してきていないから不安だ。
 自然と俺たちの足は出口へと向かっていった。

「絶対受かってやろうな!」
「当たり前だ!」

 珍しく晴れた六月の空の下。
 俺は決意を胸に抱いて会場を背にした。





終わり



【あとがき】

 このお話はお読みいただけば分かる通り、海堂が小学校六年生のときのお話です。

 オリジナルキャラが何人か登場しますが、私は海堂にはそれなりに友達がいると思っているからです。
 一見桃城みたいな性質の友人・富岡くん。何故海堂と衝突が少なくやっていけてるかというと、きっとお互いにライバル意識がないからです。あと、思春期の前のすれてなさ故(笑)
 とりあえず、彼が出てくるのはこの回で終わり…かな。たぶん。中学編になれば、桃城とかが出張るのでキャラが被っちゃうからね。

 さて、乾海サイトと言っておきながらこのお話では乾と接触する場面がほんのお情け程度にしかありません。
 一話完結と言っても、全部が全部乾海というわけではないです。すみません。
 順を追って、二人がどういう出会いをし、どんな感情を積もらせていき、共に歩んでいくのか。
 そんな過程をゆっくりと描いていくつもりですので、当分の間はこんな感じですね。

 執筆は遅いですが、どうかこのシリーズを温かく見守ってください。


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