気づくとあの音は鳴り止んでいて、代わりに誰かが自分に話しかけてきていた。
はっとして声がする方向を向くと、声を掛けてきた人物はブランコに腰掛けていて、自分を見ていた。
「何か探し物かな?」
話しかける口調が幼い子どもに対するそれと似ていることに、少しムッとする。
確かに俺はまだ小学生だけどもうすぐ中学生になるのに。
キッと睨みつけて首を横に振ると、相手は興味を失くしたのかゆっくりとブランコをこぎ始めた。
キィ、キィと一定の間隔て鳴る音は紛れもなくさっき俺が辿ってきた音だった。
「あ…」
話しかけられたときは相手が止まっていて見えなかったが、こぎ出したことでその奥がちらちらと見える。
ブランコの柱の根元に、バッグが立て掛けられていた。
薄暗くても分かる、独特の形をしたそれ。
「…あの、テニスやってるんスか?」
「え?…あ、うん。そうだけど、よく分かったね」
「それ、テニスバッグだろ?」
漕ぐのを止めずに顔だけでバッグを見て、「なるほど」と漏らす。
俺はなんだか一気に親近感が沸いて目の前のプレーヤーに訊いた。
「スクールっスか?」
「いや。自主練。スポーツは毎日やっていないと鈍るから」
「…毎日、スか」
「本気だったらね。それくらいしないと」
こんな寒い日にも自主練習しているのかと驚いたが、夏に観た試合を思い出すと季節・気温なんて関係ないのだと思い直せた。
テニスに限らないが、上に行くには常に努力し続けなくてはならない。
俺は白い塊を吐き出した。
そうだ。終わったことを悔いても仕方がないんだ。
前をしっかり見据えて進んでいかないと、目標には辿り着けない。
「君、そろそろ帰った方が良いんじゃない?」
よっ、とブランコから飛び降りてプレーヤーは言った。
途中までしかボタンを留めていないダッフルコートが翻って、中に着ている服が見える。金の校章入りボタンが街灯の光を反射した。
よく見れば黒いスーツではなくて、学生服だ。
「アンタ、もしかして青学の生徒っスか…?」
推測をそのまま言葉に出してしまって、口を押さえた。けれど出た言葉は戻らない。
案の定、怪訝に見られる。
「…どうして青学だって思った?」
「えっ…その、詰襟だし……」
「不動峰中もだろう」
「…それは、…そう、だけど……」
確かに不動峰中も詰襟だ。そしてこの辺りの公立校だから、そっちが先に思いついても不思議じゃない。
俺は青学を受験したから、意識が青学に向いていたんだろう。けれど、それを言うには憚られた。いくら学生だろうが、今会ったばかりのよくも知らない相手に情報を洩らすのは躊躇する。
言いあぐねていると、ガチャガチャと何かがぶつかり合う音がした。テニスバッグを持ち上げた時の音だ。
「意地悪したかな?正解だよ。俺は青学のテニス部員だ」
「!!」
「君は今日、青学を受験したんじゃないか?面接の順番次第でこのくらいの時間になってもおかしくない」
ゆっくり近づきながら言われた推測に、俺は驚いて何も言えなかった。
「…間違ってるかな?」
目の前に立てば、思ったよりずっと背が高かった。170cmぐらいあるんじゃないかと、呆然と見上げた。視線の先には野暮ったい黒縁眼鏡もあった。
「どうかした?」
「あ……びっくりしただけっス」
「推測合ってたから?それとも、俺の身長に?」
またしても当てられた。この人、一体何者なんだろう。
「…どっちもっス。アンタ何年生っスか?何食ったら中学生でそんなにでかくなれるんだよ」
「遺伝と、牛乳と、運動」
俺の些か不躾な物言いに、平然と答えられるのは年上だからか。俺は何故か悔しくなる。
「もう帰った方が良いんじゃないか?日が落ちて大分経つ。身体を冷やすのはアスリートにとってタブーだ」
「俺は別にアスリートじゃない!」
「そう。だけど、少なくともテニスに興味はあるんだろう?だったら覚えておいて損はない」
「〜〜〜っ!」
ダメだ。もとより口下手な俺がこの人相手に言葉で敵うはずがない。
歯痒さに唇を噛んだ。
そんな様子に気づいたのか、相手は笑ったようだった。街灯の弱い光だけじゃ本当に笑っていたのかは分からないけれど、雰囲気が笑っていたんだ。
直後、肩を叩かれる。
振り払おうとしたら、身体ごとかわされた。長身が遠ざかっていく。
「キサマっ…!」
「そういう言葉は先輩相手に使うものじゃないよ」
「誰が先輩だ!」
「あれ?青学に入るんじゃないのか?」
「そんなの、まだ分かんねぇよ!!」
一々気に障る言葉。俺は俯いた。そうしないと、何かが堪えられなかった。
「……結果が出ない内から諦めてるように聞こえるけど」
足音が止まった。じゃり、と砂が擦れる音がして、振り返ったんだと分かった。
けれど俺は前を向くことができない。
「君は、誰かに促されて受験したのか?」
違う。
俺は、俺の意思で受験したんだ。どんなに不利だろうが、挑戦したかった。
俺は静かに首を横に振る。
「…じゃあ、きっと受かる」
「え…」
弾かれたように顔を上げると、プレーヤーは真っ直ぐに俺を見ていた。
「受かるよ、君は。俺が保障する」
もう一度その言葉を告げると、今度こそ公園を出て行く。
俺は言葉も無くその姿を目で追った。
「……試験監督でもないくせに」
あの声は、妙に確信に満ちていて、うっかり信じてしまいそうだ。
「変な奴………」
だけど、少しだけなら信じてやってもいい。
蟠っていた思いを一言で溶かしてくれたから。
もう、結果なんて構いやしない。
受かってたら、笑って前に進むだけ。
ダメでも、悔しがりながらも前に進んでいける。
だって、この件は最初から最後まで自分が決めたことなのだ。
キン、と冷える空気を胸いっぱいに吸い込んで、伸びをする。
冬の終わりの空に、月が昇っているのが見えた。
「帰ろう」
俺が何所にいたって、目標はきっとずっと輝いているから。