周りにやさしい竜巻


「はい、乾くんお口開けて?あーん‥」
「不二、気持ち悪い声出すな!それ、何なんだ?」

部活前。ジャージに着替えていたら、すっと不二が近づいてきて猫なで声を上げた。 俺の目の前に何やらカップケーキらしきものを突き出しながら。

「心外だね。せっかくこの僕が食べさせてやろうとしてるのに」

既にジャージに着替え終えている不二はロッカーに寄り掛かるとカップケーキを見つめた。

「だから、それは何だって聞いてるんだけど」
「マフィンだよ。ただの美味しいマフィン」

こんがりと狐色に焼けているそれは見た感じ美味しそうだ。
だが、それを持っているのが不二というだけでその存在自体に疑いをかけなくてはならない。
シャツを脱いでTシャツを着ながらさらに質問をぶつける。

「何でお前がそれを俺にくれるんだ?というか、それは誰が作った?まさかお前じゃないだろうな‥‥?」

調理実習もまだ少し先で、誰かが学校で作ったとは考えにくい。 とすれば、買ってきたか家で作ってきたか、ということになる。

「ざんねーん!ハズレっ!」
「お‥っと」

突然誰かが背中に飛び乗ってきたのでロッカーに激突しそうになるのを、踏ん張って堪えた。
そして、こんなことをやらかすのは一人しかいないし、それ以前に先程の声を聞けば誰だか一目瞭然。

「‥‥菊丸」
「不二じゃないんだにゃ。俺でもないけど。あ、市販品でもないから!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

このパターンには覚えがある。
だとすれば、そのマフィンの作り主は。

「ピンポーン。正解。今君が思い浮かべた人が作ったんだよ」

こいつは、本当はサイコメトラーとかじゃないのか。

「菊丸、退け。不二、お前もだ」
「ん?」
「惚けるな。わざと俺のロッカーの前に寄り掛かってるだろ」

バレたか、と笑って不二は退いた。菊丸も俺の背中から降りた。
だけど俺の傍からは二人とも離れなかった。

「まだ何か用か?」

ざわざわとした部室の中に紛れてしまいそうなくらい小さく呟いた。

「用事はまだ済んでないよ。乾、受け取って」

ずい、と突き出してきたマフィン。
俺は戸惑った。

「‥‥何考えてるんだ?」
「さあ?」
「前にも言っただろう。俺はあの人のこと好きじゃないんだ‥」

自分で言ってるのに胸が痛いなんて、おかしい。
上のウェアを羽織ってラケットを持った俺に不二はもう一度言った。

「受け取って、乾」
「‥この前から、何なんだ?変に構わないでくれないか」
「美味しいんだから受け取ればいいじゃんか!別にマフィンと薫ちゃんは関係ないだろ?」
「‥っ!いいから、もうその事で構うな‥っぐ!?」

苛立ちがピークに達した俺はらしくもなく感情に任せて大声を出そうとした。
が、唇を柔らかい何かで塞がれてしまった。
甘い香りが鼻を掠める。

「乾が口つけたからそれは責任とって食べてね。あ、それとついでにもう一種類の方もロッカーに入れとくから」

ぱっとマフィンから手を放したので、落ちるそれを慌てて受け止める。

「お、おい!不二!」

すたすたとドアに向かって歩き始めた不二はこちらを振り返って一言だけ言った。

「乾は何に苛立ってるの?」
「!!」

それだけ言うと部室を出て行ってしまった。
あとには俺と菊丸だけが残された。 どうやらいつの間にか皆着替え終わって出て行ってしまったらしい。

「何に‥‥って‥」
「変なのー乾。なんか、自分は薫ちゃんに会っちゃダメって感じ」
「え?」
「だって俺たち乾が薫ちゃんとこに行くように仕向けたいんだもん。なのにいっつも嫌いだからって話途切れさせて‥」
「嫌いなんじゃない!」
「う?」
「あ‥‥、だから、別に嫌いとか‥そんなんじゃなくて、‥‥」

咄嗟に否定してしまった自分に驚いて、言葉が続けられない。
こんなの自分らしくなくて、嫌だ。

「ふーん?嫌いじゃないんだ?」

にぱっと笑って確認する様に、俺は嵌められたのだと気づく。
だけど、撤回はできないので黙っているしかできない。

「ま、いいけど。それ、本当に美味しいから、食べてよね。おからチョコと、ヨーグルトピーチだったかな?」
「‥‥分かった」

渋々頷くと、満足したのか俺の背中をばしばし叩いて笑った。

「乾って誰のことも悪く言わないのに薫ちゃんのことだけは苦手だって言ったから、気になったんだよね!」
「え‥‥」
「それだけ!」

菊丸の言葉に驚愕してる俺を尻目にひらりと軽やかに離れていく。

「乾もそれ食べるなり仕舞うなりして出て来いよ。早くしないと、走らされるぞー?」
「あ、おい!」

どういうことだと問い質す隙を与えず、菊丸は出て行ってしまった。




俺が、彼だけを、苦手だと言った?
考えてみれば、俺は人付き合いを円満にするために、誰の悪口も言ったことがなかった。
打ち解けた人物とは軽口も叩くが、悪口とは違う。

「苦手って、悪口なのか‥‥?」

決して嫌いなんじゃない。どこが嫌だとか、そんなのもない。
ただ、あの人といたりあの人のことを考えたりすると、自分じゃないみたいな感覚に陥る。
俺はそれが、怖いんだ。

「こんな感情、知らない」

ふと、手元に目がいった。
彼が作ったというマフィンが俺の唇に押し付けられた所為で少々潰れている。
ゆっくりと口元にもっていき、一口食べた。
控えめな甘さが口に広がる。

「‥‥本当だ。美味い」

何故か笑みが零れた。
ふんわりと広がる優しい味は、彼のようだった。




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