周りにやさしい竜巻


今日の午前中の保健室利用人数、二人。
俺は今しがた使用した脱脂綿を処分しながら溜息を吐いた。
最初の一人は登校中に転んで膝を擦り剥いたらしいのだが、来たのは何故か一時間目。
そして、もう一人はついさっき、体育の持久走で足を捻った拍子に転んで擦り傷を負って保健委員に連れてこられた。
二年六組の保健委員、つまり不二と菊丸がにこにこと気まずそうな顔をした負傷者の両側に立っていた。 肩を貸しているのかそれとも無理矢理腕を取ってきたのか分からないような笑みだった。 実際そいつの左足首は二人がかりで連れて来るほどの怪我じゃなかった。

あいつらの意図は何となく分かっている。
そそくさと逃げるように退室したクラスメイトを妙に明るく咎める菊丸に、 馬鹿丁寧に手当ての礼を言う不二。
あいつらは俺に気を遣っているらしい。
確かに俺は生徒からあまり良く思われていなくて、その所為で保健室の利用もめっきり減った けれど俺は本当に必要な時だけ利用してくれれば良いと思ってるし、サボりが来なくて助かってもいる。
だから利用数が少ないのを気にしているわけじゃない。
だけど。

「限界まで我慢するなよな‥‥」

それだけが気掛かりだった。
今朝の奴を始め今まで利用しに来た奴はほとんど、怪我や頭痛やら何やらの症状が出てすぐには来なかった。
別に病は気からとも言うし、頑張れる範囲なら構わない。だけど、それも限界ってものがあるだろう。

「それも、俺の所為なんだろうな」

中には二、三人ぶっ倒れた奴もいて、そこまで俺が嫌かと流石の俺もショックを受けている。
養護教諭は教師とは違う立場で生徒に接することができる職業なのに。 今の俺は本当に生徒のことを思いやって接しているのだろうか。
ふと、気づいた。
あいつらはもしかして俺のそんな考えに気づいているから気を遣ってたのか。 思えば、あいつらのクラスの奴らは比較的素直にここに来る。

「‥‥情けねぇな」

自嘲的な笑みが溢れた。




「あー、暑いーー!せんせ、クーラーつけて」
「‥まだ四月なのにつけれるわけないだろうが。 それにお前らは体育やったすぐ後だから暑く感じんだよ。現に俺は平気だ」
「あ、海堂先生、やっと開口一番に『用が無いなら来るな』って言わなくなったね」
「なっ‥!こ、これから言おうと‥」
「今から言っても説得力ないって薫ちゃん」
「薫ちゃん言うな!!!」
「ケチーーー」

最初っから思ってたが、こいつらとあの馬鹿城はノリが似ている。
どうもその辺が他の生徒と違って比較的気を張らずにすむ理由なのかもしれない。
本来俺は人間関係が不得手で、この職業も向いてないことは自分でも分かってる。
そんな俺が親しく付き合えるのなんて、長年同じ部活で汗を流してきた仲間たちくらいだ。
中でも桃城は実力が均衡するライバルで、だからこそ一番お互いを知っている。 そうは言っても反りが合わない部分の方が圧倒的に多く、間違っても仲が良いとは言えないが。

「それよりお前ら、何でまだ体操着のままなんだ?来るなら着替えてからにしろ」
「着替えは持ってきてますよ。クラスよりここの方が落ち着いて着替えられるので」
「時間勿体無いじゃん」

この図々しさといい、保健委員に立候補した物好きさといい、少々お節介なところといい。 桃城に似ている部分があるからきっと俺はこの二人を本気で追い出せないんだと思う。

「ここは更衣室じゃねぇんだよ」

こいつらとの関係は教師と生徒より寧ろ悪友に近いのかもしれない。




「菊丸。涎が垂れてるぞ」
「にゃ!マジ!?」

指摘してやると、勢い良くゴシゴシと制服の袖で口元を拭う。

「ったくそんなとこで拭いたら制服が汚れるって何度言えば分かんだ」

そう言っても反省なんてしたこともなければ、改善しようとすらも思わない菊丸に最近はやや呆れ気味だ。
なんだって俺が高校男子の世話を焼かなきゃならないんだと思いつつ、 冷蔵庫から今朝作って冷やしておいたアールグレイの入った容器を取り出した。
既に弁当を食い終えた悪がきコンビは茶を強請りやがったので渋々出すことにしたのだ。 先に茶菓子を出してやったら菊丸はこの有り様。
菊丸が目をキラキラと輝かせて眺めていた先にあるのはアメリカン・マフィンだ。 そわそわと俺の許可が出るのを待つ菊丸は本当に子どもで、どこか微笑ましい。
不二もそう思っているのか柔和な笑みを向けていた。

「おらよ。約束の茶だ。ありがたく飲みやがれ」

グラスに注いだアイスティーを二人の目の前に置いてやる。

「ありがとうございます」
「ありがと薫ちゃん!ね、もう食べても良い?」
「ああ。でも食いすぎるなよ」
「ほーい!」

俺の許可を得ると嬉々としてマフィンに手を伸ばして、食べ始めた。

「うわ‥!桃センセイの言った通りおいしいにゃ!」
「海堂先生、これ、何のマフィンなんですか?」

不二が一口齧って訊いてきたので、説明してやった。

「それはおからチョコレートで、菊丸が食ってるのはヨーグルトピーチだ」
「僕の姉さんがお菓子作りとか好きだからマフィンもたまに作るけど、 これは初めて食べた‥」
「口に合わねぇか?」
「ううん。美味しい。マフィンっていろいろアレンジがきくんですね」
「あ、こっちもおいしいにゃ」

既に菊丸は二個目に手を出している。 不二もアイスティーを飲みながらも割りと食が進んでるみたいだし、多めに作ってきて良かった。
二人とも弁当を食べたすぐ後とは思えない食べっぷりだが、もう一人、二人よりも食べる奴がいる。 いつもは五時間目終わり辺りに来るのだが、奴の野生の嗅覚は侮れない。

「薫ちゃんは食べないの?」
「ああ、俺は‥‥」

後から食べる、と続けようとした言葉は扉が開く音に掻き消された。
やっぱり来やがった。

「俺を仲間外れにしちゃあ、いけねーなぁ、いけねーよ!」
「出やがったな!この迷惑教師が!」
「あ、桃センセイだ」

ほんと、どっから嗅ぎつけてくるんだか、俺がいつ休憩しようが必ずこいつは現れる。 流石に授業やってる時は来ないが、次の休み時間にどかどかとやって来て、匂いを嗅ぎつけ、強請るのだ。 大抵は余ってるから嫌々ながらもやるが、ほんとどんな嗅覚と勘を持ってやがるんだか。 呆れて仕方ない。

「てめぇの所為でこいつらに茶を出さなきゃなんなくなったんだぞ! いらんこと吹き込むな!」
「ええー、俺の所為かよ!?約束したのはお前じゃんか」
「てめっ‥!!」

特定の生徒に茶を出すなんて、贔屓以外のなんでもない。 誰かに見られたらあっという間に噂が広がってしまう。
そんな面倒なことになるのは御免だ。

「だーって桃センセイだけこんな美味しい休憩してるなんてズルイもん! 俺だって薫ちゃんのお菓子食べたい!」
「ず、ずるいって‥俺は別にこいつのために出してやってるわけじゃ」
「でも結果的には一緒に食べてるんですよね?」

にっこりと笑って言う不二は妙に威圧感がある。 何故か逆らってはいけないと思ってしまう。生徒相手に情けないことだが。

「そ、それは‥‥」
「手作り菓子なんて、誰かに食べてもらってなんぼだろ?」

空いていた椅子にどかっと座り込み、さっそくマフィンに手をつけ始めた桃城の頭を叩いてやった。
さも当然のように食うな!

「いってぇーーーー!!何すんだてめぇ!!」
「誰が食べて良いって言った!?これはこいつらに作ってきたんだ!」
「こんなにあるんだから一つくらい良いだろ!?」
「てめぇの場合一つじゃ済まねぇだろうが!」
「じゃあ最初から少なく作って来いよ! いっつも狙ってくださいって言ってるような量作ってくるじゃねぇか!」
「っ!んだとこらぁ!」
「ぁあ!?やんのか!!?」

「桃城先生と海堂先生が仲が良いって、本当だったんですね」

いつの間にか胸倉を掴み合っていた俺達は、ヒートアップし過ぎてこいつらの存在を忘れていた。
先生同士の取っ組み合いの喧嘩なんて、教育上よろしくない。
慌ててお互いに離れた。

「や、不二‥!これはだな‥」
「全然、全っ然俺たちは仲が良くないからな!」
「そうだぜ、誰がマムシなんかと!」
「誰がマムシだ!!ざけんじゃねぇ、馬鹿城!!」
「マムシにマムシって言って何が悪いんだよ!マムシ!!!」
「ぁあ!!?」

「ほら、やっぱり仲良いにゃ」

はぐはぐと五つ目くらいになるんじゃないかと思われるマフィンを頬張りながら菊丸が言った。
どこをどう見たら仲が良いと見えるのか不思議でならない。 それより、鳥肌が立つ。

「でも先生方のコミュニケーションの取り方って、せいぜい中学生までじゃないんですか?」

ぐさり、とナイフが刺さったが、言った本人は俺達の負った傷に気づかず、アイスティーを飲み干していた。

「英二。そろそろお暇しよっか。あと五分で予鈴なるし」
「う〜〜もう少し居たい。サボろっかな」
「教師の前で堂々とサボるとか言うんじゃねぇよ。おら、さっさと教室行け!」

空になったグラスを片しながら、桃城が座る椅子を軽く蹴る。

「ゲホッ‥!なっ、何だよ!?」
「お前ものんびりしてんじゃねぇよ。次、一年のクラスで保体だろ」
「あー、わーってますって!」

がたりと席を立つと二、三個マフィンを掴んでいるから、呆れた。 どんだけ食い意地が張ってるんだ、こいつは。
そのままで校舎を歩かれても、まして教室に持ち込まれても困るから、一応用意しておいたラッピングの紙袋を渡してやった。

「随分と用意が良いですね、海堂先生」

その様子を見ていた不二に突っ込まれて何も言えない。 不本意ながら甘やかしてる自覚はあるからだ。
最後の一個とばかりに口にマフィンを詰め込む菊丸の横をすり抜けて、不二は紙袋を一枚手に取りながら言った。

「一種類ずつ持ち帰っても良いですか?」

見ればちょうど一種類ずつしか残っていない。
まだ俺は一つも食べていなかったが、作り手としては喜んで美味しく食べてもらったという満足感があるので、許可した。

「クラスの奴らに俺から貰ったって言うんじゃねぇぞ」
「心配しないでください。分かってますから」

確かに、こいつに抜かりはないだろう。
お開きとなったところでタイミングよく予鈴が鳴り響いた。

「おっと、俺体育教官室に授業の用意置きっぱなしだ!」
「なら、さっさと行け!そして二度と来るな!」
「じゃあな海堂!明日はゼリーとかプリンが食いてぇな!よろしく!!」
「だから人の話を聞けーーーー!!!」

俺が叫ぶと同時にわたわたと出て行かれてしまった。
肩でぜいぜいと息をしながら、明日こそは追い返してやると心に固く誓った。

「じゃ、僕らも失礼しますね」
「俺らのわがまま聞いてくれてありがとね!美味しかったにゃ」
「ご馳走様でした」
「あ、‥ああ。お粗末様」

一気に押し寄せる疲れに俺は逆らえず、椅子にどさりと座りながら対応した。
そんな様子が可笑しかったのか、奴らは笑いながら保健室をあとにした。




「なんだってこんなに疲れるんだ‥‥」

だけど、嫌じゃない。
あいつらとばかをやっている時は嫌なことを考えずにすむから。

「‥これも逃げ、なんだよな」

いつだって真っ向から立ち向かっていけた。 だけど世間はそう甘くないってことを大学を出てから幾度となく思い知らされてきた。
そんな中で俺はいつの間にか気持ちが弱くなっていたのだろうか。

屑がぱらぱらとしか残っていない籠の中を見て、知らず笑みが零れた。
全然擁護教諭らしくない俺だけど、それでも近づいてきてくれる奴らがいる。 だけど相手から近づいてくるのを待つだけじゃいけないんだ。
それが分かりかけてきたのは、たぶん、あいつらのおかげだ。

少しずつでいい、俺からも歩み寄っていくんだ。

ゆっくり、ゆっくりと。




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