授業中は休み時間と打って変わって静かだ。
体育や技術家庭科や理科の実験をやって怪我をした生徒や
具合の悪くなった生徒が時々来るが、基本的には静かだ。
静寂や独りと言った空間は俺にとって安息の場で、
その点ではこの仕事は俺に合ってると言える。
‥その他では合ってるとは言い難いが。
そろそろ時間だな、とティーポットの蓋を開けてスプーンで一度くるりと中をかき回してカップに注ごうとした時、 廊下から足音が聞こえてきて、数秒後ドアが勢い良く開いた。
「おっ、ちょうど良い時に来たな、俺。海堂、俺にも一杯!」
「桃城‥‥」
いつもいつもいつも、どうしてこいつは俺の静寂を壊すんだ!
怒鳴り散らしたい気持ちを寸でで抑えて、その代わり地を這うような声を出す。
だからといってそれが効くような相手じゃないことは百も承知だ。
その証拠に桃城は全く気にせずに出してあったクッキーを一枚口に放った。
「いつも言ってるだろ!ドアくらい静かに開けろって!」
「へいへい。次から気をつけますよー。あ、これうめぇな、どこの店のだ?」
「何だその返事は!それに昨日もそう言ったよな?‥俺が焼いたんだよ」
律儀に答えてやる俺もどうかと思うが、こればっかりは性格だ。仕方ねぇ。
「あー、おふくろさんも料理上手いもんな」
そう言ってもう一枚食べた。
「‥椅子にくらい座って食べろ。だらしねぇ」
諦めてそう席を勧めれば、にかっと笑って礼を言ってきた。
こういうところが憎めないんだよな、とは口が裂けても言えねぇ。
溜息を一つ落として、俺は紅茶を二人分注いだ。
どうでもいいが、最初から二人分用意していた自分に少し腹が立った。
「しっかし人来なくなったよなー。一ヶ月前なんて凄かったぜ?
三年が卒業して一、二年が開放的になっちまってよ。俺も随分注意したんだけどよ」
紅茶をがぶがぶ飲み干し、二杯目を催促しながら桃城は言った。
一ヶ月前といえば三月だ。
確かに三月は上級生が居なくなってタガが外れやすい時期で、授業も定期試験は終了しているから比較的のんびりしている。
それに加えその一月ほど前に養護教諭が退職していたものだからやりたい放題だったろう。
その頃、保健室がサボりで溢れ返っていたという想像は簡単にできる。
「いやー、あの頃がピークだったな。
校長も頭痛めててさ、急遽保健室の番人やらされてた先生も毎日泣かされててすっげー可哀想だったぜ」
「臨時でも何でもいいからすぐに雇えば良かったんじゃねぇのか?二ヶ月も養護教諭が居ないなんて話聞いたことねぇぜ」
「んー‥でもよ、ぴったりくる奴がいなかったんだよ。‥お前みたいなさ。
ほら、私立って公立と違って異動がないだろ?」
ヤカンから熱湯をポットに注ぎながら、ああ、と思い至って頷いた。
一時的なものではなく、持続させたかったのだ。
だから「こいつだ!」と思える奴に出会えるまで採用を決めなかった。
それが俺だったっていうのも笑える話だが。
「ま、どっちにしろお前が職に就けたんだから良いじゃねえか」
「母校で働くなんて思わなかったぜ」
「いーじゃんよ!ばあさんもまだ居るしさ。お前だって顔見知りが居たほうがやりやすいだろ?」
「竜崎先生はともかく、お前と同僚になるのは嫌だ」
「てめえ、せっかく俺が紹介してやったのに何だその言い草は!」
「ほぼ毎日俺の菓子を食いに来る奴に言われたくねぇ。‥カップよこせ」
桃城はぐっと黙ってカップをよこした。 それを受け取って紅茶を淹れる。
「‥それより、桃城。あいつらどうにかなんねぇのか」
カップを桃城の前に置いて席に着きながら言った。
「あいつらって?」
「菊丸と不二だ。ここ一週間昼休みに必ず来やがる‥弁当持って」
「あー、あー、あいつらね!分かっちゃいたけど、あいつらチャレンジャーだな」
「‥どういう意味だ」
凄むがやはり通用しなかった。からから笑って流された。
「良いじゃん。生徒に慕われてて。保健室はただ怪我や病気を治療する場所ってだけじゃねえだろ?」
「‥‥‥けど、」
「ま、お前が戸惑うのも無理ねぇけどな。
普通ならお前みたいなしかめっ面の強面養護教諭になんて近づいて来ないだろうしな」
真理なので言い返さないでおいた。
だけどあいつらは何を思ったのか俺に積極的に働きかけた。
『かいどー先生!俺ら保健委員になったから!これからよろしくにゃ!!』
『手に負えないような奴がいたら言ってよ。僕たちが良い子にしてあげる』
何故わざわざ保健委員になったのか。疑問だ。
クラスを持ってる教員が保健委員になりたい奴がいなくて困ってるのを知っていたから。
すごく変わった奴らだと思った。けれど。
「結構助かってる」
憎まれ役は慣れている。そうは言ってもやはり苦い部分も心に存在していた。 だからあの二人が俺と関わりたいと思ってくれたことは俺にとって嬉しいことだった。
「‥良い後輩持ったよな」
桃城がにかっと笑った。俺も素直に頷く。
「そうだな‥」
「あいつら‥特に不二はすっげーテニス強いんだ。手塚の次くらいにな」
「ああ、知ってる」
俺は時間を決めて校内を見回ったりもする。
放課後に見回っていたときにテニス部の方にも足を向けるので少しなら練習風景を見ることができた。
青学はテニスの強豪校として知られているが、特に手塚を筆頭にその学年はレベルが高かった。
練習を眺めているとあの頃を思い出す。
今は遠くから見ることしか出来ないコートで、桃城と張り合いながら互いに高め合った。
日が暮れるまで自主練もした。懐かしい思い出だ。
「‥なあ」
昔に思いを馳せていると、不意に桃城がらしくない声で呼びかけてきた。
「何だ?」
「えー‥とな、俺もよく分かんねぇんだけど、」
「?」
視線を彷徨わせて言葉を探してるみたいだった。
「何だ、はっきりしろ」
「乾って知ってるか?」
クッキーに伸ばしかけていた手を反射的に引っ込めた。
乾。俺が着任式の朝に出会った奴だ。その何日か後に保健室に一度訪れた。
「‥あいつがどうかしたのか?」
「何て言えば良いのか分かんねぇけどよ、ちょっと気をつけて見てやってくれねぇか?」
「え‥」
「あいつ結構優等生でさ、だけど昨年度はたまに保健室利用してたらしいから」
桃城が言う気をつけてはどういう意味だろうか。
俺は考え込んだ。こいつはこれで結構頭のきれる奴だ。
伊達に中・高・大とテニス部時代に曲者と呼ばれていない。その洞察力は俺も認める。
だからこそ考えた。それに、俺は言われるまでもなく気をつけて見ていたから。
「‥理由は?」
「だから分かんねぇんだって!ただ、特に体弱いわけじゃねぇってのに利用回数が多い気がしてよ」
「頻度は?」
「たぶん、週一くれぇだな。だけど一時間だけとかだし、誰も気にしねぇ」
それはそうだろうと思った。
なんといっても成績も良し、素行も良しだ。教師受けは頗る良い。それなら誰も気にしない。
そういえば、この間来たとき、授業は自習だと言っていた。‥もしかして、狙ってやってるのか。
「別に疑ってるわけじゃねぇんだよ、俺は。だけど、まあ‥一応な」
「分かった」
了承すると桃城はほっとした顔をして、クッキーを掴んだ。
「あ!てめぇ最後の一枚!!」
「へへっ。ごっつぉーさん!じゃ、頼んだぜ、海堂先生!」
がたがたと席を立って紅茶を一気飲みすると慌しく保健室から出て行こうとした。
「待ちやがれ!」
「次は授業あんだよ。また明日な」
「もう来んじゃねー!この大食漢が!!」
「だってまだまだ食べ盛りだもんよ」
そう言うとだーっと走って逃げていった。
腹が立つが、残された空のカップとクッキー籠を見ると多少静まる。
俺も自分の残りの紅茶を飲み干すと、それらを片した。
「乾、な‥‥」
任されたは良いが、俺ができるのは見守ることだけだ。
積極的に動けば、きっとダメになってしまうだろう。
それだけははっきり分かっている。
椅子にどっぷり腰を下ろして、息を吐いた。
「長期戦になるだろうな‥」
五時間目終了の鐘が、鳴った。