何だ、この距離は。
ともすれば唇が触れ合いそうな近さに、海堂は思わず視線を下に外す。
「そう、そんな感じだ。だけど少し眉間に力が入りすぎ」
「あ、あんたなぁ!」
細かく指示し出した乾にたまらなくなって声を荒げるも、顔を上げることはできない。
「…海堂、首が真っ赤だ」
空気が揺れて、乾が笑ったのが海堂に伝わった。
羞恥と情けなさに海堂の上肢が傾く。
乾の言動一つひとつに、こんなにも振り回されている自身の状態と、乾の余裕とも取れる振る舞いと。海堂はその差にただ困惑するしかない。
あまりにも近すぎる。
今の物理的な距離も。心理的な距離も。
何もかもが海堂にとっては未知の領域だ。
「海堂?」
「……本人に、やってもらえばいいじゃないっスか」
「え?」
思い出すような、そんな相手がいるのなら、自分でなくその相手にやってもらえば。
そう海堂が口にするなり、乾はあーとかうーとか呻き声を漏らした。
そして、海堂の肩を掴んでいた手で、今度は海堂の両の頬に添えて、上を向かせた。
鼻先が触れる。
極限まで近づいたために、レンズの奥まで見通せた。乾の瞳が申し訳なさそうに揺れるのが見える。
「俺は最初から本人に頼むつもりで、実際に頼んだんだけど。海堂にはそう伝わらなかったみたいだな。肝心なときに言葉が足りなくてごめん」
「………は?」
だからね、と前置きを入れて、乾は言葉を付け足していった。
「海堂の、何か考えているときの目の伏せ具合だとか、何かを決断したときに瞼が上がって前を見据える様子だとか…」
何を言われているのか、俄には理解できない海堂だが、のぞき込んでいる真摯な瞳に、徐々に受け止め始める。
乾が想っていたのは、海堂の動作だということを。
「……すごく、惹きつけられるよ」
「〜〜〜っ!!」
なんてことを、なんて眼差しで、言われたのだろう。
ここまで口にしないと、ここまで近づいて、伝えないと。
海堂には正確に伝わらないと乾は分かっている。
「格好いい、可愛い、艶やか…いろいろ表現がつけられるけど」
海堂はもう、耳を塞いでしまいたかった。
思ってもいなかったことを次々に言われて、容量がパンクしそうだ。
乾の逸らされない真摯な瞳が、拍車をかける。
「すべてひっくるめて。…好きだよ。海堂の何気ない仕草、一つひとつが、好きなんだ」
「……っ…」
「海堂が、好きだ」
殊更甘い響きで囁く乾の声には不思議な力が宿る。
海堂はこれ以上喋らないでほしいと思う一方で、この心地がよい低音をずっと聞いていたかった。
お互いが、お互いのどこか何かに惹かれているのに気づくのは。
取り敢えず、海堂がもう少し素直になれた時だろう。
◇おわり◇
2007.06.07 収納