拍手御礼SS 「いつか気づくこと」


「目を伏せる瞬間と、伏せていた瞼を上げる瞬間。海堂はどっちが好き?」
 早朝の公園で、海堂の背中をカウントをしながら押していたはずの乾が、唐突に数字以外の言葉を発した。
 胸まで地面に着けていた海堂がその問いかけにゆっくりと吐き出していた息を止めると、すかさず乾が注意してくる。誰の所為だとかいう文句を海堂は心内だけに留め、10まできっちり数えてから上体を起こした。
 改めて文句を言おうと後ろの乾を振り返るも、見えたのは公園の青々とした木々だけだった。
「俺はな、海堂」
「…!」
 顔を向けた方向と真逆から声がして、心臓が跳ねた。
 急ぎ視界を前に戻し、今度こそ何か言ってやろうと口を開きかけるが。
「瞼を引き上げる、あの瞬間が割と気に入っているんだが…。よく思い出してみると、目を伏せる瞬間にも魅力を感じる。甲乙付けがたいんだよな」
「………………」
 絶妙なタイミングで、言葉が紡がれる。
 海堂の目の前で屈み込んで、腕を組み唸る様は、一見深刻な悩みを抱えているように見えた。
 しかし、内容が内容。
 海堂はそんな乾を眺めながら、呆れの溜息を吐き出した。
 僅かに心に引っ掛かったものを無視して。
「それでだ、海堂。お前、ちょっと実際に俺に見せてくれないか?」
「はぁ?」
 乾の腕が海堂の肩に伸びる。ぐっと強く掴まれて、二人が近づいた。

 何だ、この距離は。

 ともすれば唇が触れ合いそうな近さに、海堂は思わず視線を下に外す。
「そう、そんな感じだ。だけど少し眉間に力が入りすぎ」
「あ、あんたなぁ!」
 細かく指示し出した乾にたまらなくなって声を荒げるも、顔を上げることはできない。
「…海堂、首が真っ赤だ」
 空気が揺れて、乾が笑ったのが海堂に伝わった。
 羞恥と情けなさに海堂の上肢が傾く。
 乾の言動一つひとつに、こんなにも振り回されている自身の状態と、乾の余裕とも取れる振る舞いと。海堂はその差にただ困惑するしかない。

 あまりにも近すぎる。
 今の物理的な距離も。心理的な距離も。
 何もかもが海堂にとっては未知の領域だ。

「海堂?」
「……本人に、やってもらえばいいじゃないっスか」
「え?」
 思い出すような、そんな相手がいるのなら、自分でなくその相手にやってもらえば。
 そう海堂が口にするなり、乾はあーとかうーとか呻き声を漏らした。
 そして、海堂の肩を掴んでいた手で、今度は海堂の両の頬に添えて、上を向かせた。
 鼻先が触れる。
 極限まで近づいたために、レンズの奥まで見通せた。乾の瞳が申し訳なさそうに揺れるのが見える。
「俺は最初から本人に頼むつもりで、実際に頼んだんだけど。海堂にはそう伝わらなかったみたいだな。肝心なときに言葉が足りなくてごめん」
「………は?」
 だからね、と前置きを入れて、乾は言葉を付け足していった。
「海堂の、何か考えているときの目の伏せ具合だとか、何かを決断したときに瞼が上がって前を見据える様子だとか…」
 何を言われているのか、俄には理解できない海堂だが、のぞき込んでいる真摯な瞳に、徐々に受け止め始める。
 乾が想っていたのは、海堂の動作だということを。
「……すごく、惹きつけられるよ」
「〜〜〜っ!!」
 なんてことを、なんて眼差しで、言われたのだろう。

 ここまで口にしないと、ここまで近づいて、伝えないと。
 海堂には正確に伝わらないと乾は分かっている。
「格好いい、可愛い、艶やか…いろいろ表現がつけられるけど」
 海堂はもう、耳を塞いでしまいたかった。
 思ってもいなかったことを次々に言われて、容量がパンクしそうだ。
 乾の逸らされない真摯な瞳が、拍車をかける。
「すべてひっくるめて。…好きだよ。海堂の何気ない仕草、一つひとつが、好きなんだ」
「……っ…」
「海堂が、好きだ」
 殊更甘い響きで囁く乾の声には不思議な力が宿る。
 海堂はこれ以上喋らないでほしいと思う一方で、この心地がよい低音をずっと聞いていたかった。

 お互いが、お互いのどこか何かに惹かれているのに気づくのは。
 取り敢えず、海堂がもう少し素直になれた時だろう。



◇おわり◇



2007.06.07 収納



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