拍手御礼SS 「繋いだもの」


   暦の上で春を迎えたとしても、現実にはまだまだ寒いこの時期。
 ひんやりとした夜の空気の中、乾と海堂は共に帰路に着いていた。
 学年が違う彼らだが、このように帰りが一緒になることは珍しくはなかった。
 途中まで帰る方向が同じだということに加え、乾が中学三年に上がってすぐのランキング戦後から海堂の自主トレーニングのメニューを作っていることやダブルスを組んだことで、必然的に一緒に練習をする機会が増えたからだった。
 それは乾が部活を引退しても変わらなかった。
 内部推薦入試までは受験勉強の合間を縫って。
 それが終わってからは、頻繁に部活に顔を出すようになり、後輩指導にあたっていた。部活が終われば海堂の自主トレーニングに付き合う。そんな毎日の繰り返しだった。

 この日も乾は部活に訪れていた。
 しかし自主トレーニングは行われずに帰ることになった。
 珍しく海堂の方に用事があったためだった。

「海堂は、チョコレート好きか?」
 ずり下がってきた眼鏡を押し上げながら乾は言った。
 今日一日のテニス部員の行動を面白おかしく伝えていた乾の口から出た質問に、海堂は一瞬目線を上に上げた。
「……特に、好きでも嫌いでもないっス。手元にあれば口にするくらいで」
「そうなの?俺は甘いものが好きだから、結構頻繁に食べるよ。だけど、さすがにこの時期は買いづらくてね…」
 それはそうだろうと海堂は思った。
 二月といえばこのイベントだ。一月後半から店先に並ぶ様々な種類のチョコレートには男子は縁がない。製菓会社の策略とはいえ、このイベントにかける女子は真剣で、ある種の恐怖を覚える。
 そんな中に、飛び込める勇気はない。
「…けど、今日は先輩にとって幸せな日なんじゃないっスか?チョコレート貰える日なんスから」
 恥ずかしくて購入できなかった期間を差し引いても多いくらいの量を乾は貰ったはずだ。それはチョコレート好きの乾にとって嬉しいことのはずと、単純に海堂は思った。
 乾は歩みをゆるめた。
「………俺、なんか間違ったこと言いました?」
「間違ってはいないけれどね。海堂、ただより高いものはないという言葉を知っているか?」
「はぁ。そんな言葉もあるっスね…」
「貰えるものがチョコレートだけだったら大歓迎なんだけど…。生憎バレンタインデーは愛の告白をする日と日本ではなっているから。素直には喜べないんだよ」
 モテない男性諸君が聞いたら袋叩きに遭いそうなことを言いながら、乾は昇りゆく月を見上げた。
 テニスバッグの中から小さなくぐもった衝撃が断続的に発生している。
 乾は今日貰い受けた少なくない数のチョコレートを無造作にテニスバッグの奥底に詰め込んだ。粗雑に扱われたことを抗議するかのように響くそれに乾は無視を決め込むことにしている。
「……海堂は、四つだったか。貰ったの」
 対して海堂が貰ったチョコレートは、小さめの紙袋にきっちり収まっている。
 紙袋からリボンの端が飛び出していて揺れる様を見つめながら乾は呟いた。
 海堂は乾を睨み付けて、乾の目からそれを隠すように反対の手に持ち替えた。
 一見不機嫌そうに見えるその仕草。
 しかし、街灯に差し掛かる度に判る頬の赤みは凍えた外気の所為だけではなかった。
「…好意を一方的に押し付けられている気がして、好きじゃないな。俺は」
 今すぐというわけではないが、こうして二人で過ごす時間が誰かによってなくなってしまう可能性が多分にあることを目の前に突きつけられた気がした。
 乾の胸に鈍い痛みが広がる。

 誰の気持ちも欲しくはない。
 ただ、二人でいることの方が自然で、楽しくて、愛しくて。
 それ以外は要らないと思ってしまうのだ。
 そう感じているのは自分だけだと乾は分かっているので、拗ねた言葉を吐き出すことしかできないのだ。
「………っ…か…」
「え?」
 海堂が歩みを止めた。
 気づくのが遅れた乾は海堂より数歩前で立ち止まり振り替える。
「ごめん、海堂。もう一度言ってくれないか?」
「…だから!好きとかじゃなくて、感謝の気持ちなら快く受け取るんスか?」
「……どういう、意味だ」
 乾が海堂の真意を測りかねていると、海堂はテニスバッグから徐に小箱を取り出した。
 シックな黒の箱に濃紺のリボンがかけられている。
「………………」
 乾は黙って海堂の手元と海堂の顔を見比べた。
 何が起こっているのか思考が追いつかない。
 これは、誰が、誰に宛てたものなのだろう。
「先輩に、スよ」
「…………海堂から?」
「俺じゃなくて。俺の母親からです」
 たっぷり一分。乾は黙り込んだ。瞬きすら忘れて。
 その様子に海堂は嘆息して手を引っ込める。
「…要らないなら、俺が責任持って処理しておきますんで……」
「要る!欲しい!食べたい!」
 普段の乾らしからぬ態度に海堂は目を瞠って、次いで吹き出した。
 あまりにも乾が真剣に訴えるから。
「…いや、その…だな!海堂のお母さんの気持ちを無碍にはできないし」
「さっきと言ってることが違うんじゃないっスか?」
「う…、違わないよ。違わない。だって海堂のお母さんは俺に恋してるわけじゃない」
「当たり前だろ!」
 あまりにもな言葉に海堂は声を上げた。
 しかし、乾は至って冷静に答える。
「そう。それは当たり前のことだ。だから安心して受け取れる」
「何でっスか?」
「俺は今が一番楽しいと思っている。海堂とこうして一緒に帰ったり、テニスしたりする時間が大事だから、誰かの恋心なんて邪魔なだけなんだ」
「………っ!!」
 乾の言葉を飲み込んで、海堂の頬は一気に紅潮した。
 それは、まるで。

 告白のようなものではないか。

「だからそのチョコレートは貰うよ」
「………勝手に貰ったらいいじゃねぇか」
 いつの間にか乾の腕が伸びてきて、海堂の手を捕らえていた。
 触れた部分が別の生き物じゃないかと思うくらい熱くて。海堂は益々困惑した。
 力強い脈動が伝わらないように、ゆるゆると深呼吸を繰り返す。

 ただ、日頃の感謝を渡してきてと頼まれただけなのに。
 そして、橋渡しただけなのに。

 仲の良い後輩の母親からの感謝の気持ちだと分かっているのに。
 橋渡した後輩とは切り離して考えるべきなのに。

 何故、手を放せと言えないのか。
 何故、抱き締めたいと思うのか。


 答えは、互いの鼓動だけが知っている。



Happy Saint Valentine's Day ?





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