歴史侍 初太刀 作、工藤 麗 平成16年7月

 先日、弘前文化センターに、津軽為信公の銅像が建てられたのはご存知の方も多いはず。持てる武勇知略のすべてを賭け、津軽平定に成功した為信公もここ平賀では二度の窮地に落ちています。一度目は1574年「館田林の戦」です。大光寺城を攻めるべく本陣を構えた為信公は不意の攻撃を受け単騎城に逃げ帰るほどの敗戦を経験します。二度目は1579年「六羽川の戦」です。大光寺城を追われた南部勢の反撃に合い、忠臣 田中太郎五郎が身替りの戦死を果たし、その窮地を脱しています。

豊かな穀倉地帯である平賀は攻める側にしても守る側にしても重要な拠点だったはず。もしかしたら津軽の中心地は平賀になっていたかもしれません。「十万石の城下町平賀」「日本一の桜の名所、大光寺城」そうなっていたかもしれませんね。

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