歴史侍 十二の太刀 作、工藤 麗 平成18年11月

 軍師。主君を補佐し、緻密に計算された戦略戦術により自軍を勝利へと導く。時に主君よりも優れた才能を現し、天才と称される者も多い。古くは周の太公望呂尚、「孫子の兵法」で名高い孫武、そして三国志の諸葛亮孔明などはあまりに有名だ。日本にも津軽為信に仕えた沼田面松斎などがいるが、軍師に留まらず自ら天下を狙った男がいる。黒田如水だ。

 黒田如水は豊臣秀吉の軍師だ。もともとは備前福岡庄(岡山県)の人だが織田信長の進出により秀吉の配下となる。有名な備中高松城の水攻めを考え、続く四国征伐や九州平定など数々の戦で活躍する。小田原北条氏の降伏も彼の説得に依るところが大きい。その知謀は主君の秀吉をも恐れさせる。信長が本能寺の変で倒れた時も秀吉に対し平然と「天下を狙う機会ですな」といった意味のことを言っている。後に秀吉に「自分の後は徳川家康ではなく黒田官兵衛(如水)であろうよ」と言わしめる所以だ。その言葉を伝え聞いた如水は権力者に近付きすぎる危険を悟り、息子長政に家督を譲り隠居してしまう。しかしその如水に天下取りの機会がおとずれる。関が原の戦いだ。中央での混乱を機に自らの居城豊前中津城(大分県)を拠点とし、九州を手中に治めようとするのだ。火の如く隣国を席捲し始めるのだが関が原の戦いは一日で終わってしまい、如水の野望も儚く消える。家康にこのときの動きを怪しまれるも切り取った領地は何のためらいも無く返上し晩年はのどかに過ごしたという。

 如水の才能は秀吉や家康のそれを上回っていたかもしれない。しかし頭抜けた才能の持ち主はそれ故に生きにくい。周囲の嫉妬や疑念の目に常にさらされるからだ。また、才能に驕り、才能では補うことのできない「徳」に気づかずにその力を活かしきれず自滅する者も多い。だが才能のある人はそれらの困難を乗り越え、才能に恵まれたことに感謝し、その力を出し切らなければならない。才能を磨く努力や意志はその人の功績だとしても優れた才能を持って生まれつくことは努力や意志では成しえないからだ。さらにいえば誰であろうと己の器量に合わぬ地位や名誉を求めることは罪なことだが、与えられたその人なりの資質を自分や世の中のために還元しないでいるということもまた、罪なことなのだ。

 老子は言う、「上善は水の如し(良い人生は水のようなものだ)」と。すなわち水は器に合わせて形を変える柔軟さを持ち、高いところから低いところへ流れる謙虚さを持つ。それでいていざという時には大きな力を発揮するというのだ。 黒田如水。その生き方はまさに水の如し、彼こそ人生の達人だ。

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