歴史侍 八の太刀 作、工藤 麗 平成17年12月

 幕末の英雄坂本龍馬。作家司馬遼太郎氏の代表作「竜馬がゆく」によりその人気は不動のものとなり、しばしば理想の上司や酒を呑みたい歴史上の人物などに挙げられる。私も竜馬ファン司馬遼ファンの一人だ。

 龍馬が成し遂げた維新回天の業といえば、薩長同盟や大政奉還の原案ともいうべき船中八策、日本初の貿易会社亀山社中などがある。スケールの大きさに驚くばかりだが実はこれらはみな龍馬の独創ではない。薩長同盟は薩摩藩から長州藩へ働きかけたもので龍馬は薩摩藩の使者にすぎなかったと思われる資料が発見されているし、船中八策や亀山社中も河田小龍や勝海舟、横井小楠といった知識人からアメリカの議会政治やカンパニーなどの情報を得、それを手がかりとしている。さらに十代の頃の龍馬が詠んだ歌に「世の人はわれを何とも云はばいへ わがなすことは我のみぞ知る」というのがあるが、これも龍馬の独創ではなく当時の教科書「論語」を手がかりにしていると私は考える。論語の最初の文の中に次のような一節がある。「人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや」 龍馬の詠んだ歌も論語の一節も両方とも大意としては「人に理解してもらえないことを気にすることはない」ということだ。これは今私たちが読んでも大いに勇気づけられる言葉だ。龍馬もまた論語の一節に強い感銘を受けたことだろう。

 龍馬の価値を下げようとしているのではない。英雄龍馬でさえ書に学び、人に学び、成長していくのだ。英雄を盲目的に英雄視するのではなく、できるだけ実物大に近づけることによって、より身近に感じることができる。私たちも龍馬を見習い少しでも成長することができたなら、維新回天とまではいかなくとも何かできることがあるはずだ。

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