喜蔵独り 作、歴史侍 平成19年11月

喜蔵は生来きまぐれ者だ。物事に執着するということがない。
この日も裏山の白岩にぶらりと登り、眺めの良さを楽しんでいた。
「尾崎城主が勝手に城を抜け出て物見とは、気ままなものだな」
不意に話し掛けられ振り向くと、男がひとり不敵な笑みを浮かべている。
喜蔵はおもわず腰の刀に手を掛けた。

「抜くな抜くな。抜いたところで切れやせぬ」
男は近付きながら喜蔵を制し、ごろりと横になった。
(生意気な)
喜蔵が抜く手も見せず男の首めがけ斬り付けると、男は素早く飛び退いた。
「無駄だというに」
斬り付けられたことなど気にもしない様だ

「はははは、よく避けたな。おぬしここらの者ではないな、それにその身のこなし、忍びだな」
喜蔵は刀を鞘に納め、またもとのように景色を眺めた。遠くに津軽為信の居城、堀越城が見える。
「おおかた為信殿に様子を見てくるよう言われたのであろう。近頃雇われた浪人、服部某とはおぬしのことか」

「さすがは尾崎喜蔵よ」
時代は戦国。まもなく始まるであろう徳川家康と石田三成の戦が、天下分け目になるといわれている。
服部はさらに言う。
「燻る野心を冷ますには外の空気が一番かな」
北の果ての津軽の地の、一領主にすぎない喜蔵もまた、否応なくこの戦に組み込まれていくのだった。

「野心など。俺はただ尾崎の領民の暮らしを案ずるだけだ」
「まあよい。それより為信殿が、今宵話がある故一席設けてほしいとのことだ」
(話・・・)
喜蔵はなにやら不安をおぼえたが、すぐに打ち消した。
「ならば麓に『元』という焼き鳥屋がある。戌の刻に待つとお伝えしてくれ」
「心得た」

「わははは、愉快愉快!」
為信は、酒は好きだがめっぽう弱い。この夜も一刻も経たないうちにしたたかに酔っていた。
「・・・・」
服部にいたってはすでに酔い潰れ、泥のように眠っている。
(何なのだ一体・・)
喜蔵が酔えぬまま杯を重ねていると、為信は言った。
「喜蔵、命を掛けてはくれぬか。」

為信は確かに酔っている。しかし髭面の奥の眼差しは相変わらず強かった。
「此度の戦、どちらが勝つか油断がならぬ。家康の勢い侮り難しといえども、義は三成にある。
我が津軽の所領を認めてくれたのも秀吉殿だからな。
 わしはもはや家康方として出陣せねばならぬ。しかしもし戦に負けわしが死んだら、
この津軽の地はまたよそ者に蹂躙されることになろう。そこでじゃ、
 喜蔵、おぬしは三成方としてこの地に残るのじゃ。」
服部の体がピクリと動いたようだった。

服部は喜蔵の後に続き山道を登っている。昨夜の酒が汗となって抜けていく。
「何処へ行くのだ。白岩とは違うようだが」
喜蔵は答えず登って行く。しばらくすると開けた場所に着いた。相当な広さで自然のものとは思えない。
そしてそこには、たくさんの石が奇妙に、しかし整然と並べられていた。

「こ、これは・・?」
服部は今までこのような物を見たことがなかった。
「ここは太師森といってな、我々にとっては太古よりの神聖な場所だ」
円状に並べられた石の中心に、一つ大きな岩が置かれている。
「我々の先祖はその昔、まつろわぬ民と呼ばれ、大和の神々とは違う神を崇めていたそうだ」

整然と並べられた石の向こう、霊峰岩木山が見える。
「まるでこちらが山に見られているようだな。・・・!そうか、まさしくあの山こそが神・・!」
「よくぞ気付いたな、服部」
出会ってまもない二人ではあったが、互いに通じるものを感じ合っていた。

喜蔵の館の中。服部は最近、毎日ここでごろごろしている。
「いいのか服部。為信殿はすでに出陣されたぞ」
「構わぬ。美濃など俺の脚なら三日で着くわ」
為信と共に美濃大垣城攻めに向かわねばならぬ服部であったが、
これでは為信に仕えているのか喜蔵に仕えているのかわからぬ有様だ。
「御館様、客人がお見えなのですが・・」
「どうかしたか?」
「それが・・」
「何、虚無僧とな」
服部は姿を消した。

その虚無僧は尺八を吹きながら待っていたが、喜蔵の顔を見るなり深くかぶった天蓋を無邪気に脱いだ。
「俺だ。源次郎だ。」
「おお源次郎!上がれ上がれ!」
隣の新屋城主、新屋源次郎とは幼なじみであった。
「喜蔵、おぬしの身を案じて参った。三成方につくとは誠か」
「三成も家康もない。我ら領主は領民の為に働くだけだ」
「危険すぎる。もし家康が勝ったら・・!」
喜蔵は遮った。
「それでこの尾崎の、そして津軽の領民の暮らしが立つというなら、この喜蔵独りの命など安いものよ」

服部は疾風の如く駆けていた。しかし真直ぐ美濃へ向かう体とは裏腹に、心はそこには無かった。
(領民の為などと・・、それが一体何になる。所詮人など独りではないか。
愚かな民どもの為に、あたらおぬしほどの器量を捨てるかよ)
物心もつかぬうちに忍びとしての厳しい修業に耐え、己独りの才覚で生き抜いてきた服部には、
人の為に生きるなど理解の外だった。
日本六十余州の野心家の思惑をよそに、関ケ原の戦いはたった一日で家康の勝ちとなった。
しかし大垣城は未だ落ちずにいる。
(このまま手柄をあげなければ、家康に怪しまれるな)
三成方としての布石も打っている為信は焦っていた。
「服部、どうにかならぬか」
「ならば今宵丑の刻、城の門を開けてみせましょう」
服部はやはり不敵な笑みを浮かべていた。

服部にとって、城に忍び込むことなど自分の屋敷の庭を歩くようなものだ。
すでに天守に忍び入り、中の様子をうかがっている。
城内では敗報が届き動揺していたが、三成の娘婿福原長尭が独り息巻いていた。
(ここでこやつを殺すことなど訳はないが・・、為信に手柄を取らせねばならぬだろうな)
服部は音もなく天守を後にした。

服部は人々が寝静まるのを待った。そして見回り兵達の規則的な動きを把握した。
物陰に隠れながら一人やり過ごし、また一人やり過ごす。城門は近い。
その時、一人の兵が不意にきびすを返してきた。隠れる場所はない。
(ちぃっ)
服部は壁に寄り添い、大胆に棒立ちし、袖で顔を隠し目だけ出して息を止めた。
「観音隠れ」だ。

見回り兵は服部の目の前を気付かず歩いて行き、そしてまた戻っていった。
(そろそろ丑の刻か)
城門の見張りは二人。服部は飛苦無(とびくない)という武器を二つ同時に投げた。
「どうっ!」
二人が倒れた音を聞き付け他の見張りが駆け付けたとき、城門はすでに開かれていた。
「今ぞ者共!!かかれーっ!!」
為信の掛け声と共に津軽兵が傾れ込み、大垣城は遂に落ちた。

(喜蔵があぶない)
服部は城門を開いたその足で津軽へと駆けていた。
(俺の正体も、為信には感付かれているようだしな)
浪人として自らを売り込んだ服部だが、実は家康が為信を監視するために送り込んだ隠密であった。
(己の行動が、この俺を通して家康に筒抜けなのを承知だとすれば、次に打つ手は只一つ)
服部の脚はさらに加速する。
(地元の反乱軍、喜蔵を討つことだ)

喜蔵は為信の留守を守るという名目で堀越城に入りつつ、まもなく三成方の旗印を掲げていた。
(それにしても守りにくい城だな)
為信は攻めに攻めを繰り返し津軽を平定したため、城の守りを堅くする必要が無かった。
そして喜蔵に対し、そのような城に入るよう仕向けたのも為信だった。
(今頃どうしているかな)
ぼんやりと服部のことを想っていたそのときー
「尾崎喜蔵!為信殿の留守を狙って謀反とは何事か!成敗いたす!!」

討手の将は金小三郎、喜蔵よりまだ一回り以上も若い。
城はみるみるうちに囲まれていき、もはや逃げようもない。喜蔵は叫んだ。
「待たれよ!申したき儀がござる!」
「問答無用!その素っ首、たたっ斬ってくれるわ!」
喜蔵には金小三郎がなにやら焦っているようにもみえた。
(丸く収められては困るという訳か)
城内はあっという間に乱戦となった。

事ここに至っては喜蔵は戦うより他無かった。だがもともと腕は立つほうだ、次々と討手の兵を倒していく。
「何をしておる!さっさと討ち取らんか!」
小三郎の焦りはさらに募る。すでに日は暮れ、月が出ていた。
喜蔵が討手の刀を受けたとき、別の討手が背後に回った。
「喜蔵覚悟!!」
刀を振り上げた刹那、その討手はどさりと崩れ落ちた。
「見ちゃおれんな」
月明かりに照らされ、服部が不敵な笑みを浮かべて立っている。

「服部!おぬし何故ここにいるのだ!?」
「何処であろうと自由自在よ」
「家康の隠密のおぬしが、三成方の俺と共に戦っていたのではおかしかろう!」
喜蔵はすべて見通していた。
(こいつ)
服部も自分が何故こうしているのか解らなかったが、そんなことはどうでも良かった。
「喜蔵!生きろ!俺に付いて逃げるのだ!」

二人は完全に押し包まれていた。いかな服部といえど、これでは敵わない。
喜蔵はかなりの手傷を負い、意識も薄れてきた。
「服部!おぬしこそ生きるのだ!そして家康に伝えろ!為信殿は立派に反乱軍を鎮圧したとな!!」
最後の時が近づいている。
「我は喜蔵!!取って手柄とするが良いぞ!!」
喜蔵は自分に討手を集中させるためにそう叫び、走りだした。
そして、服部からは見えなくなっていった。

ここは広船志賀坊高原。眺めの良さは筆舌に尽くし難く、津軽平野はおろか遠く権現崎まで一望できる。
服部は大垣城攻めの功を認められ、家康から新しい名を与えられていた。
服部長門守康成
(つまらん名だな)
眼下には完成したばかりの高岡城が見える。
(喜蔵よ。おぬしが愛でたこの津軽のために、俺も生きてみるかな)
服部の心の中を、一陣の風が吹き抜けたようだった。

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