BGM:BLOOD QUEEN (美郷あき)



「あ〜っはっはっはっは〜っ!」
 “災厄の街”トーキョーN◎VA。
 そのグリーンエリアに存在するアーコロジー“ウェットシティ”傍に面する高級ブティックで、テレビドラマのキザぶったカブキが上げるような妙に芝居がかった笑い声が響いた。
 休日午後のショッピングのひとときを楽しんでいたセレブな方々が、一斉に声の方へと振り向く。
「に、似合わねぇ〜!」
「……」
 視線の先には、まだ腹を抱えて笑い転げているフォーマルスーツ姿の日系人と、新品の蒼いドレスを身にまとった金髪黒人の少女――少女はドレスの長い裾を掴みつつ、真っ赤な顔で目の前の日系人を睨みつけていた。
 日系人は周囲の視線が集まりきったのを確認すると、ようやく笑い声を抑えつつ涙目で少女の右肩を叩いて満面の笑顔でサムズアップ。
「ホント、色々とCDな意味でグッジョブだぜ“NEURO-KID”」
「るっさい、死ねっ!」
 少女は裾から手を放して極端に重心を落すと、神経系に埋め込んだ加速装置を起動して残像を残すほどの超高速で肘鉄を放った。
 日系人は肩に当てたままダンスでもするように少女の左側へと回りこむと、空いてる手で少女の左手を取って回避運動を本物のダンスへと昇華する。
「怒るなよ、折角のキレイなドレスが台無しだぜ。……ドレスがな」
「やかましい〜っ! いいから地獄で二度死んでこ〜いっ!」
 少女は観客の視線を気にして一層顔を赤くしたかと思うと、八重歯を覗かせ吼えながらハイヒールを掲げ、隣でニコニコとスマイルを浮かべている店員ドロイドに衝撃が伝わるほど思いっきり日系人の足を踏み抜いた。
 日系人はニューロタングにない単語を喚き散らして埃一つない清潔な床を転げ周り、少女はドレスの乱れを直すふりで観客の冷笑を聞き流しつつ店員ドロイドへ振り向く。
「……この服でいいや。支払いはあのバカのキャッシュで」
 少女は投げやりな感じに宣言すると、親指を立てて肩越しに床の日系人を指した。
 店員ドロイドはプログラム通りの営業スマイルを浮かべたまま、うやうやしく頭を下げる。
『かしこまりました。本日は当店をご利用いただきまして、まことにありがとうございます』





−− あるマネキンとマネキンの話 −−





「“NEURO-KID”。明日一日、ちょ〜っと付き合っちゃくれねぇか?」
 いつもの邂逅場所、深夜のアサクサ“アンモニアアベニュー”。
 肌寒さに防弾ジャケットの襟を立てていた金髪黒人のジルは、開口一番にそんなことを口走る歌舞いた日系人の狐塚誠司の顔をしばらくぽか〜んと見つめた。そして思案するように顎に手をあてると、あっちを見てこっちを見てと視線を彷徨わせてから、ハッと気がついて自分の体を抱きしめつつ三歩ぐらい飛びのく。
「とうとうソッチ系に目覚めたのっ?!」
「たとえそうでもてめぇなんかに手を出すか、ボケが」
 狐塚は苦笑交じりにわざとらしく毒づいた。
 ジルは若干ムッとしながら腕を解いて元の位置に戻ってくる。
「んじゃなんなのよ。あたしもそんなに暇じゃないんだけど」
「手間賃なら払うぜ。……そうだな、シルバー2枚ってあたりでどうだ?」
 狐塚はVサインのように指を立てて、曰くあり気に口元を歪めた。
 お金の話が出てくるとは思っても見なかったジルは反射的に満面の笑顔を浮かべ、我に返ってぶんぶんと頭を振りながらVサインに親指を追加して狐塚に突き出す。
「3枚払うなら、話ぐらいは聞いてやるよ」
「……ホントかわいくねぇガキだぜ」
 それくらいは想定の範囲内だったのか、狐塚は特に気を悪くするでもなく肩を竦めて嘆息した。
 リアクションを同意の証と受け取ったジルは、今度こそ心の底からの笑顔で狐塚の腕に飛びつく。
「んじゃ、細かい話を詰めようぜ。 ……勿論あそこの屋台でね」
 ジルは手早く傍の焼き鳥の屋台を〈知覚〉すると、狐塚の了承も得ずにぐいぐいと引っ張り出した。
 さすがにその行動は想定の範囲外だった狐塚は、引き摺られながらもおいおいと非難の声を漏らす。
「てめぇなぁ、仕事はどうすんだ?」
「大丈夫大丈夫。まだ時間早いし、一杯引っ掛けてからでも見つけられるって――おっちゃ〜ん、大ジョッキと盛り合わせ! あ、砂肝は抜きでね!」
 暖簾を潜るが早いか、ジルは自分の注文を叫んだ。
 ……さすがにそろそろこの図々しすぎるニューロキッズへきっつく言い含めておいた方がいいのだろうか?
 狐塚はそんな表情で暖簾の前に立ち尽くす。
「ど〜したの、先に始めちゃうぜ?」
 ジョッキを手にして口周りに泡を貼り付けたジルがひょっこりと頭を出した。
 狐塚はジルの顔に思わず表情を緩めてしまいながら、「ま〜別にいいか」と憂鬱を笑い飛ばして暖簾を潜る。
「親父。冷酒と、あとは塩で適当に頼む」
「――っぷは〜! うんめぇ〜!」
 本当に美味そうにジョッキを飲み干すジルを眺めて、狐塚はニヤニヤとわざとらしい笑みを浮かべた。






「……千早のパーティー?」
 狐塚の説明を受けたジルは脂ぎった皮串をかじりつつ、その内容を復唱した。
 同じく焼き鳥に口をつけていた狐塚が同意して頷く。
「正確にはSSS主催の、まあ専属契約結んでくれてる上流階級のお偉方を招待して、幹部総出で媚びへつらおうって目的の社交『会』ってとこだな」
「そんなとこに、なんであんたが呼ばれんのよ」
「こっちにも込み入った事情があんだよ。雇い主の善意を踏みにじるってわけにもいかねぇだろ」
 狐塚は面倒そうに眉をしかめた。
 狐塚の現在の仕事はフリーのバウンティハンターである。警察が賞金をかけた犯罪者を捕まえ、それを引き渡すことで報酬を得ている。
 しかし危険中毒者である狐塚が選択する賞金首というのは、普通のハンターが敬遠するような重武装のサイバーサイコやテロリスト関係者に絞られてくる。結果として仕事の内容も派手になり、成否に関わらずSSSの覚えが良くなるのも当然である。
 特に最近は大量破壊兵器を扱った犯罪に対応する部署“スリーイース”と協調行動を取ることが多く、今回もその“スリーイース”を通してお誘いを受けたのだ。大方、社交の類を苦手とするあそこの隊員たちが、一人でも多く道連れを増やすべく狐塚を引きずり込んだのだろう。
 さすがにそこまでの事情は知らないまでも、ジルはジルなりに狐塚の境遇を想像して同情の視線を向ける。
「あんたもいろいろ大変ね」
「そうそう、俺もいろいろ大変なんだよ」
 狐塚は自棄酒を呷りながら苦笑した。
 ざまあみろ。と、したり顔を浮かべていたジルだったが、ふと議題を思い出して首を傾げる。
「それで、どうしてあたしが出てくんのさ」
「……いや、それがだなぁ」
 途端に狐塚は歯切れを悪くして視線を彷徨わせた。
 ジルが怪訝な表情で覗き込むと、狐塚は観念したようにジルを見る。
「今のIDにするときにだな、家族構成に冗談で『妹一名』って設定しちまったんだよ」
「は?」
「いや、一人身でフラッとN◎VAに来てフリーランスになるってのも何か変な話だと思ってな? 生き別れていた妹とN◎VAで再会して、そのままここで暮らすことにしたとかそんな感じで……」
「あんたねぇ〜。……バカもそこまで行けば、いよいよ〈芸術〉もんよ?」
 ジルは呆れた顔で狐塚から目を外して焼き鳥に手をつけた。
 珍しく恥かしそうに苦笑している狐塚は、本当に馬鹿なことしちまったと頭を抱える。
「で、運の悪いことに御上がそれを目に留めたらしくて、招待状が二枚届いたってわけさ」
「それで、カゲムシャ代わりにあたしを連れてこうってことか」
 ジルはジト〜ッと軽蔑の眼差しを狐塚へ向けた。
 狐塚は申し開きもできないと大人しく視線を受け入れる。
「カーライルの頃は俺も結構暴れてたからなぁ。昔の経歴を掘り返されでもしたらピンチでね」
「こういうときに助けてくれる“お友達(バディ)”もいなそうだもんね、あんたって」
「だからおまえに頼んでんじゃねぇか。なぁ、“お友達”?」
 狐塚はわざとらしく微笑みかけた。
 ジルの方は、もはや嘆息しか出てこない。
「たとえ演技でも、あんたの妹なんてゴメンだぜ」
「……んなら今度はアンジェリーナちゃんにでも頼んでみるか」
「寝言はST☆Rでしてな」
 ジルはビールを飲みながら、狐塚の冗句に本気の殺気を返した。



 そんな昨日の出来事を振り返りながら、ジルは手渡されたオレンジジュースに口を付けた。
 本当は同じトレイに並べられていたスクリュードライバーの方が良かったのだが――もっと贅沢を言うならキンキンに冷えた合成ビールの方がなお良かったのだが――今日の自分の立場は『孤児院で育った狐塚とは腹違いで純真無垢の上に世間知らずな可愛げのない見た目も可愛くない妹』なので、しぶしぶ我慢しておく。
 って言うか、後半の設定は別に要らなくないか?
 ジルは今更言っても仕様のないことを考えると、顔を上げて会場を見回した。
 場所はホワイトエリアのど真ん中に居を構える千早グループの巨大アーコロジー173階。
 こんなことでもなければ、自分のような人間など足を踏み入れるどころか目で見ることも適わない桃源郷だ。元凶の狐塚も、やって来た当初から仕事仲間に連れられて挨拶回りへ出かけてしまった。
 通りのテーブルに並べられている料理はどれもこれも高級そうではあったが、なぜだか一向に食欲が湧いてこない。こんな天上界に知り合いがいるはずも当然なく、その結果としてやることがなくなってしまったジルは、寄り掛かるのも躊躇ってしまうほど純白の壁に恐る恐る体重を預けてジュースをチビチビと舐めていた。
 端から端まで往復するだけでひと労働な広さと人ごみを眺めて、あまりの世界観の違いに溜息を漏らす。
「……何やってんだろ、あたし」
 溜息混じりの無意識に、ジルはぼやいた。
 こうしている間にも、ストリートでは同じ境遇の子供たちが餓死していることだろう。自分だってアサクサで客引きをしていて、早ければこの時間から変態親父の胸の中だ。
 向こうでは、タキシードを着た中年紳士がウェイターを呼びとめ、味付けが濃すぎるとまだ一割も箸をつけられていない料理の皿を下げさせていた。
 果たしてあれ一皿の費用で、自分たちの何十食分の食料をまかなえることだろうか。
 そこまで考えて、ジルは自分の妄想の馬鹿馬鹿しさに気がついてブンブンと頭を振った。
 そう、こんなことをここで批判しても仕方のないことなのだ。
 世の中は上尊下卑。強きが弱きから搾取する。そんなのはトーキョーN◎VAじゃあたり前の話で、それに文句を言うのは現実の見えてないただのアホか、口ばっかりは“お上品”で自ら這い上がることをしないウェット野郎ぐらいのものだ。
 自分は運が悪くも猿山の最下層に生まれてしまっただけのこと。雲の上のそのまた彼方におわす“天上人”の方々を羨ましがるなんて、的外れにもほどがある。
「はぁ〜」
 理屈は重々承知しているながらも、ジルはついつい深々と溜息を吐いてしまった。
 いつものジルなら、こんな話は鼻で笑って二秒も掛からず忘れてたことだろう。
 しかし、今のジルは“雲の上”をその目で目撃してしまっていた。この桃源郷が天界から聞こえてくるおとぎ話などではなく、眼前に確固として存在する現実なのだ。その光景は『おまえは搾取される側だ』と《真実》を告げているようで、ジルの心を重く溶かしていく。
 なによりジルが苛立たしかったのは、何かの間違いさえあれば自分もこんな世界の一員に成れるのではないかと、それこそ馬鹿にもほどがある幻想を抱かされてしまうということだ。
 ……明日に希望を抱くことほど愚かな行為などないというのに。
「やあこんばんは、御機嫌いかがかな?」
 快活ながら上品で色っぽい乙女の音色――そんな、ジルが常々理想とするマネキンの声が聞こえてきた。
 我に返ると、ジルとは対照的な鮮赤のドレスをまとった同年代の少女が、あははっと朗らかに笑う。
「ゴメンね、いきなり。でも、キミがすごい寂しげな顔でいたものだから、ついつい声をかけちゃったよ」
「い、いや、べつに……」
 ジルは若干混乱する自我をまとめながら、目の前の少女のことを観察した。
 ジルより頭ひとつ分くらい背が高く、肌は健康的な純白。そのくせ抱きしめたら折れてしまいそうな細い腰。栗色の髪は綺麗にセットされ、鮮やかな青緑の瞳が赤いドレスと形容できないほどマッチしている。屈託ない笑顔も組み合って、まるで少女の存在そのものが絵画のようだ。
 “本物の御嬢様”とは、正にこんな乙女のことを言うのだろう。
 内面で淀み続ける嫉妬心を抑えながら、ジルは少女に合わせてニコニコと愛想笑いを浮かべる。
「こちらこそ、ごめんなさい。あた――私、あまり人と話すのに慣れてなくて」
 ジルは昨日からシミュレーションしていた通りの返答を返した。
 少女はジルの隣でクルッとターンすると、真似をするように壁に腰を預ける。
「えへっ、実はボクもそうなんだ。どこに行っても一人ぼっちで仲間ハズレなの」
 言っている事とは正反対に、少女は心の底から楽しそうにジルへウィンクして見せた。
 ジルは想定とは違う奔放な態度に戸惑いながら、それでもボロを出さないよう言葉を選ぶ。
「……実は私、貰われた子で。こういう場所って今回が初めてなんです」
 こう言えば金勘定で行動するエグゼクという人種はすべからくドン引きするはずだ。どうせ一期一会にも程がある出会い、無駄な会話などとっとと打ち切ってしまうに限る。
 すると、少女は唐突に「“Jackpot(大当たり)”!」と声を上げてジルへ指鉄砲を発射した。
「あははっ、本当に奇遇だね! ボクも実は貰われっ子なんだ!」
「え?」
「キミと違って『初めて』ってわけじゃないけどね?」
 少女は小さな舌を覗かせながら微笑む。
 ジルはパチパチと目を瞬かせ、釣られるように口元を緩めた。
 それを見た少女はしてやったりという表情で頷く。
「うん、やっぱりキミは笑ってた方が素敵かな。こんな壁際で、ひとりでいるなんて勿体無いよ」
「貴女こそ……いや、あんたこそ“壁の花”なんて似合わないよ」
 少女のあまりに明け透けな態度に、ジルはキャラを作っているのが馬鹿らしく感じてしまい、一気に緊張を解いて普段通りの言葉遣いで苦笑した。
 それを待ち望んでいたかのように、少女はより一層の笑顔で肩を竦めて見せる。
「いいんだ、ボクはいつでも“壁の花”だからね」
「そりゃ〜男どもに見る目がないだけさ」
 ジルはニヤニヤと笑いながら会場の自称紳士たちへ目を向けた。
 今のセリフは少女に対する正直な感想である。見た目の美しさも然るものだが、こうして少女の言動を見ていると彼女が本当に純真無垢な“高嶺の花(ハイランダー)”だと分かる。それでも“壁の花(手付かず)”というのだから、きっとその辺の男じゃダンスに誘うことすらできない家柄の養女なのだろう。
「そうだ、どうせだったらボクと踊らないかな?」
「はい?」
 間抜けな面で顔を戻したジルは少女に手を取られてようやく言われたことに気がついた。
 少女はジルの都合など欠片もお構いなしといった感じでステージまで引っ張っていき、周囲の視線を気にしたジルは慌ててブンブンと首を振る。
「ちょ、待ってって! あたし、ダンスなんて踊ったことないし!」
「大丈夫、ボクがちゃんとエスコートしてあげるから」
 今日だけ特別だよ? と少女がはにかんだ。
 失敗した、あんな言い訳より女同士で踊るのは変だと伝えるべきだった――などとジルが後悔する暇もなく、少女はジルを連れてステージの中央を陣取る。
「ほら、ボクにステップを合わせて!」
 少女はジルの肩に手を置くと、とても初心者をエスコートするつもりとは思えない足捌きでクルクルと回転し始めた。ジルは遠心力でふっ飛ばされてしまわないように、少女の手を強く握り返して精一杯地面を踏ん張ったが、それでも耐え切れずに踏鞴を踏んでしまう。
 幸か不幸か、道場での摺り足の訓練のおかげで、何とかスカートの裾を引っ掛けたりはしなかった。
 そんな一生懸命なジルを見て、少女はステップのペースをさらに上げつつ楽しそうに笑う。
「あははっ! そうそう、その調子だよ!」
「……っ!」
 少女の言葉に答える暇もなくジルは必死に足捌きを続けた。
 最初は珍妙な物を見る目で二人の踊りを見守っていた周囲の人間も、次第とその空気に感化され、やがてダンスと呼ぶには激しすぎる舞踏へ拍手すら送り始める。背後のBGMも、いつの間にか二人の動きに合わせた激しいロックに毛色変わりしていた。
 舞台の中央で少女は艶やかに微笑み、汗だくで息を切らせたジルも思わず不敵な笑みを返す。
 頭が真っ白になるほどのランナーズハイに陥ったジルは、まるで道場で掛かり稽古をしているような奇妙な錯覚に囚われながらも、心底愉快に少女とのステップを続けた。



 何分何十分の間、二人は踊っていたのだろうか?
 ようやく少女のダンスから解放されたジルは、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら再び元の壁際へ戻ってきた。その姿を見ながら、まったく疲れた様子の見えない少女がおどけて笑う。
「キミ、思った以上に頑張ったね。国でも、ここまでボクについて来れた人はそうはいないよ」
「……そりゃ〜どうも」
 ジルは膝をガクガク揺らしつつも、してやったりと口端を歪めて笑った。
 少女はそれとは対照的な太陽の笑みを浮かべて、ジルへ手を差し出す。
「今日はありがと。できればもう一回踊りたかったけど、ボク、そろそろ帰らなきゃいけない時間なんだ」
「……」
 それは良かったぜ――と言ってやりたかったのだが、呼吸がままならない。
 ジルはとりあえず少女の手を取ると若干の悪意を籠めてブンブン大げさに振り回した。
 ジルの意をどれだけ受け取ったのか、少女はクスクスと慎ましく喉を鳴らす。
「次に会ったら、今度は“ちゃんと”踊ろうね? ……ボク、期待してるから」
「……あ〜そうね。……次に会うことがあったら、ね」
 肩で息を続けるジルは、少女の顔を見上げながら投げやりに相槌を打った。
 それを聞いた少女は急に艶っぽい表情に変わったかと思うと、ジルの顔を引き寄せてその頬へキスする。そして、目を白黒させたジルにウィンクを返しながら離れた。
「これでキミはボクのものだよ。他の男になんて絶対に渡さないんだから」
 少女は子供っぽく笑いながら、色っぽく舌なめずりをして見せた。
 酸欠とは別な理由で頬を赤く染めたジルは、キスの痕を隠すように頬へ手を当てて目を見開く。
「え、あ、はぁっ?!」
「あははっ! それじゃあまたね、かわいい“子猫”ちゃん!」
 悪戯が成功したニューロキッズの表情を残して、少女はあっという間に人込みの中へと消えて行った。
 ひとりぽつんと取り残されてしまったジルは、頬を押さえたまま「うぅ〜」と唸り声を上げる。
 不思議な少女だった。
 しかし不思議と嫌悪感を感じたりはしなかった。
 自由奔放で、天真爛漫で、でもどこか気高く妖艶な少女……たぶんきっと、自分が男だったならあの少女に惚れてしまっていたに違いない。
「ま〜女にゃ興味ないけどね」
 念のため、念を押すため、ジルは自分へ向けて呟いた。
 それを待っていたかのように、少女が消えた場所から狐塚がひょっこり姿を表わす。
「よぉ待たせちまったな。や〜っと開放されたぜ。……どうした、恋する乙女みたいな顔しやがって」
「うぇ!?」
 ジルはまだ頬に手を当てていた自分の姿に気がついて、わたわたと手を振って直立不動に直った。
 訳の分からない狐塚は少し呆けた顔でジルの奇行を眺めていたが、やがてニヤニヤと下品な笑みへ変わる。
「なんだおまえ。人が見てないうちに、どこぞのハンサムに骨抜きにされやがったか?」
「ち、違うわよ! んなことじゃなくて……」
「あ〜あ〜分かった分かった。ちゃんとエスコートしてもらえてたようで、お兄ちゃんも安心だぜ」
「違うっつてんだろ、このバカ!」
 ジルの放った渾身のワンツーパンチは、ケラケラ嘲笑う狐塚に簡単に受け流された。






「……いったい何が悲しゅ〜て」
 深夜のアサクサ“アンモニアアベニュー”。
 その屋台のひとつで、フォーマルスーツ姿の狐塚はぼやきながら味噌ラーメンのスープを飲み込んだ。
 隣では同じく蒼いドレス姿のジルが豚骨ラーメンのチャーシューにかぶりついている。
「むぐむぐ――ふぅ〜。……小腹が減ったんだから仕方ねぇだろ。これくらい黙って奢れよな〜」
「あんだけご馳走の山があったってぇのに、まだ食い足りねぇのかよ」
「あんな“混み入った味”の食いもんなんかで腹が膨れるかよ。逆に吐き気がしてくるぜ」
 ジルはメンマをかじりながら、半分本当の半分嘘を吐いた。
 ま〜いいけどよ〜。と、狐塚が諦め気味に肩を竦める。
「ほれ報酬、忘れねぇうちに渡しとくぜ?」
「ん」
 人目を忍ぶように脇の下から差し出された3枚のキャッシュカードを、ジルは淡々と受け取った。そしていつも通りジャケットのポケットにしまおうとしてから、着ているのがドレスだったと思い出して自嘲する。
「……このドレスはど〜すりゃいい?」
「おまえにやるよ。売るなり着るなり好きにしな」
「ん、ありがと」
 素っ気ないながらも珍しく素直にジルは礼を口にした。
 ……後はそのまま、2人は無言で麺をすすり続ける。
 ドンブリの湯気をぼんやりと眺めるジルの電脳には、あの少女の笑顔がいつまでも焼きついたままだった。





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