連載4回目 ※

夢について彼是

 最近奇妙奇天烈・奇奇怪怪な夢ばかり見ている。そんなの夢を見ているんだから当然だと云われたらそれまでなのだが。兎に角、最近見る夢はどれも変ったものばかりだ。

 例えば先日、こんな夢を見た。出だしが夏目漱石の『夢十夜』っぽいのは多分気のせいだと思う。

 私は高層ビルの20階位の所に居て、下に広がる高架駅を見下ろしていた。高架駅は2面4線で、20メートル10両の電車が難なく入れるくらいの長さになっている。その日(夢の中の日)はどうも風が尋常じゃないくらい強いらしく、駅周辺に植え付けられていた木は強風によって片っ端から枝がちぎれ、そのちぎれた枝はちり紙の如く空中を舞っていた。そんな光景を自分はただぼんやりと眺めていた。そしてふと目を高架駅のホームに移すと、そこで物凄いことが起こっていた。

 ホームに居た人達(多分4・50人ぐらい居たのではないか)が一斉に傘をさし始めたのだ。4・50人もの人が一斉に傘をさす光景はなかなかのものだったりする。そしてそのホームに居た人達が傘をさすや否や、突然強風に煽られ、空を舞いはじめたのだ。これはやばいんじゃないかと内心焦りながら自分はその奇観を眺めていたのだが、その焦りは一瞬のうちに消え去った。なぜなら、その傘を持って空中を舞っている人達の顔は恐怖に満ちておらず、逆に悦び、そして恍惚に満ちた表情で舞っていたからだ。確か思い出す限りでは、あまりの嬉しさについ我を忘れ、よだれを垂らして放心状態のまま風に舞っていた人も居たはずだ。

 すげーなぁと思いながら眺めていたが、私もやってみたいとは思わなかった。ごみや木の枝と共に空中を舞うのは、あまり気持ちのいいものではないという結論に達したからだ。

 そのあと、なぜか突然舞台が自分の学校の教室に移ったのだが、強風に煽られた人達の光景が強烈だった所為か、教室での出来事はろくすっぽ覚えていない。

 そんな感じでその日の夢は終わった。

 あとこんなサイトなんで、それっぽい夢も一つ語ってみよう。

 私はある地方私鉄の中核駅ともいえる様な駅に居た。2面4線の駅で、地上駅ではあるものの、駅周辺の町が廃れていた所為か、ホームや屋根、そして駅舎が灰色がかった色彩に満ちているように見えて、どことなく薄暗い感じがした。私はその駅の改札をくぐり、構内踏み切りを渡って、一番奥の乗り場へと足を運んだ。そこには、ぱっと見ロクサンの原型顔を有した電車が停車していた。お、ロクサンじゃんと思いながら電車に近づいたのだが、何かが違う。そう、形や窓配置はロクサンそのものであるものの、作られていた素材が実物とは全く異なっていたのだ。私がそこで見たロクサンはステンレス製で、東急の初期ステンレス車のように、側面はコルゲートだらけだった。

 あれ、国鉄ってこんな電車製造したことあったっけと半ば混乱しながらも私はその電車内に足を踏み入れた。これがまた面白いもので、車内はニスの香りはぷんぷん漂う木製だったのだ。私は驚きの所為か、知らないうちにしゃがみ込んでしまい、暫く何も考える事が出来なくなった。我に帰った頃には、ロクサンは発車間際だったので、私はそそくさと車内から退散した。

 車内から出て、向かい側のホームをそれとなく眺めていたら、有楽町線の07系がどこからともなく入線してきた。しかも10両編成で。ええ、なんでお前がここに居るんだよと思いながら段々意識が薄れていき、その日の夢は終わった。

 んー、やっぱり夢というものは面白い。こういう夢ばかりだったら、見ていて飽きないのだが、ごくたまに現実的な夢を見たりする。例えば、テストで出来が良かったと内心思っていたのに、思ったより点数が低かったとか、満員電車に乗ってブレーキがかかる度に押される夢とか色々。そういう夢を見た後の朝って大抵ろくでもないものだったりする。

 アメリカに『ウェイキング・ライフ』という名前の映画がある。夢、現実、意識、存在、思想、本質、自由などの哲学的な要素を扱った映画で、そこで夢についてこんなことをいう人が居た。確か、自分が夢を見ているということを自覚さえすれば、夢は無限の可能性に満ち溢れ、自分の思うままに操ることが出来る、と言う様なことを云っていた。

 そして自分が夢を見ているか否かを判断する基準として、電気のスイッチの点滅が挙げられた。もし電気のスイッチを切ろうとして、電気が消えなかったら、夢を見ている確立が高いということになる。これは確かにそうで、自分も良く其れを経験する。電気を消そうとするのだが、何回スイッチを弄っても消すことが出来ず、最初は絶望するのだが、暫くしてから自分が夢を見ていることに気付いて流れに身を任せている。それがスイッチの夢を見るときのパターンである。そこからは本当に自由で、自分の思いのまま操ることが出来る。ただ、操るにはサーフィンの様にコツが必要で、自分も時に操るのに手こずる場合がある。映画に出てきた人のように完璧に操るまでには相当な時間が必要だと思う。



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