1991 |
|
Danza Primavera舞踊作”Taki Maki”舞台背景制作(フィレンツェ) |
1997 |
|
望月辰夫ダンスカンパニー舞踊作「デカメロン」絵画制作(東京) |
2003 |
|
“Colours of Tuscany”「トスカーナの色」 ギャラリー10 (ワシントンDC) |
2005 |
|
神道知子 アレッサンドロ・ヌティーニ2人展 “Terra e Aria” 「大地と大気」イタリア文化会館 (京都) |
2007 |
|
第7回エコロジー・アース・アート21展 埼玉県立近代美術館(埼玉)
|
2008 |
|
EcoArtFestival, “Madre matrigna e Amante tradita”, ヴォルテッラ ヴィラ・パラジョーネ、ポマランチェ展示会場 (トスカーナ) |
2009 |
|
Borse Nere come Rondini, 33 Proposte Prese al Volo, スカンディッチ市図書館(トスカーナ) Borse Nere come nidi, イスティテュート・デッリ・イノチェンティ、(フィレンツェ) |
彼はひたすら描き続ける。ひたすら持続しながら同じところに決してとどまらない。そしてミステリーオーゾ、つまり神秘性というか不思議さを抱えた作家である。
彼とはもう15年来の友人で、僕はその間彼の絵をずっと見てきた。出会ったころ、僕の茶碗をモチーフにしたこともあった。石ころをひたすら描いていた時期もあった。紐のかかった箱にも熱中した。イタリア食文化のシンボルでもあるサラミソーセージ、プロシュットの大腿骨の固まりに執着していたこともあった。それらは情緒性を排除した<物>であって、それ以上でも以下でもない。ようするに理解不可能、不可解な、ある不思議さを伴う<物>であった。
今回初めて彼は風景を描いた。やはり不思議な風景である。モチーフは彼の住むトスカーナの牧歌的な田園風景であるが、それは目の前に広がる美しさではなく、意識化された風景という<物>。つまり風景という歴史を遡ってゆくような不思議さがそこにある。そこにはモナリザの後ろに広がる風景であるような、ピエロデフランチェスカ、あるいはシエナ派の画家達の描いた風景とも結びつき、あるいは寓意性を暗示させ、神秘性を湛えるダンテの神曲、ボッカチオの世界。なるほどと僕は思った。僕は彼の風景画を通じてこれまで描いてきた不可解な石ころや紐の掛かった箱やプロシュット豚が少し理解できるような気がしてきた。
彫りの深い静閑な顔つきに白銀髪、イタリア人らしからぬブルーの目。作品も神秘性を湛えているが、かれ自身も神秘である。彼は心優しい人だから、作品をご覧いただき、ぜひ言葉を交わされては如何だろうか。きっと僕と同じ思いをもたれるだろう。
|
陶芸家 樂 吉左衞門 |
|
|
|