成等山正覚寺は、江戸時代の元和年間(西暦1615〜1624)に大阪の江戸堀に一寺を構え約三百年間その地にて過ごした後、昭和17年、住吉区東粉浜へと居所を移し現在に至っている。正覚寺の抱える記憶に寄り添うものとして正覚寺内部に銅版画を宿し、銅版画の居所を得ようとする試み「piacer d'amor bush 正覚寺」は、四年後の法要にあわせた完成を目差している。プチボワでの本展覧会は、正覚寺本堂正面左右三枚立て襖二組、及び、座敷の十枚組み障子のためのエッチングによるドローイング等を提示し、正覚寺に向かう過程を提示する第一回目のものとなる。