【ポップン学園2年B組のとある平和な一日】




 8時5分 始業前。

「うっわ、余裕だ〜」
 自分でもよくわからない感嘆の声と共に足早に校門をくぐって、下駄箱にほとんど靴を投げるようにして入れる。ポケットに手を突っ込んだまま階段を一段抜かしで駆け上がり、教室を目指す。
 やっと辿り着いた教室の前、面倒だと思いながら手を出して扉を開けた。
「さっみぃー!はよー」
「お、今日は早いなサイバー」
 暖房の効いた教室内で、リュータが軽く手をあげて答えてくる。隣には教室だろうと青いマフラーを外さないナカジ。はっきり言って変人だ。
「珍しいな、ギリギリじゃないなんて」
 挨拶代わりのナカジの嫌味に、俺は今朝の恐怖体験を思い出した。
「…朝、起きろって言う兄貴の声がやけに近いと思ったら……あの変態、布団に入り込んでやがってな…」
 おかげでいつもなら必ずと言っていいほどする二度寝もなく、まだ余裕のある時間帯にばっちりと目が覚めてしまったので、とりあえず兄貴を殴っていつもより早く家を出たのだ。
 思わず明後日の方を向いてしまった俺に、二人の同情混じりの視線が注がれる。自分で作っておきながらなんだけど、いたたまれない感じの微妙な空気だ。
「おっはよーなかじぃ!」
 そんな雰囲気なんか情け容赦なくぶち壊す、やけに明るい声が教室中に響き渡る。って言うか、朝の挨拶がナカジ限定かよ。
「おはようタロー」
「おっはよーリュータ!あとサイバー」
「ついでかよこら」
 今にも走り出しそうな勢いで教室に入ってきたタローは、その勢いのまま足早にこっちにやってくる。…いや、まぁ、こっちというか、正確には。
「今日も寒いね、ナカ」
「朝っぱらからまとわりつこうとするんじゃねぇ」
 自然な流れのまま抱きつこうとしたタローに、ナカジの綺麗な正拳突きが決まる。かなり痛そうだ。俺だったら絶対朝からあんな攻撃は食らいたくない。
「ちょっ…痛いよナカジ!寒いんだから抱きつくくらいいじゃん!人肌!」
「やかましい!毎朝毎朝うっとおしんだよ!」
 そのまま、毎朝恒例になりつつあるナカジVSタローの攻防戦が始まる。
 どうにかナカジに構ってほしいタローと、朝から絡まれたくないナカジ。懲りないタローもタローだが、いつまでも諦めないナカジもナカジだ。
「朝からよくやるよなぁ…」
 隣にいたリュータが、呆れたみたいに言う。それを毎朝止めずに見てる俺達も俺達だけどな。
「つぅか、タローが来てからナカジ変わりすぎだろ」
 13回目のポップンパーティーの後から少しずつ雰囲気のやわらかくなってきたナカジだけど、タローが転校してきてからの変化ははっきり言って劇的過ぎだ。
 タロー登場以前のナカジのイメージ。
 格好よく一言で言えば、一匹狼。
 角帽やマフラーや下駄を愛用する独特の格好からしてもうあからさまに、誰も話しかけるな俺に関わるなオーラを全身から立ち昇らせて、クラス内で浮きまくっていた。クールというか、何事にも無関心な感じ。
 不良とは違うが、真面目とは間違っても言えない。成績はいい方だけど、授業態度とかが良いわけではないから、どっちかというと教師達からも問題児扱いされていたような。
 見るからに気難しくて近寄りがたくて、誰とでも一線を画している。
 そんな感じだったのが、今や。
「…見る影もねぇ…」
 俺に関わるな一匹狼オーラなんて、タロー相手にはまるで効果なし。クラスで浮いていようが問題児扱いだろうが、そんな事も関係なしなタローの連日のアタックに、ナカジも連日声を荒げて全力抵抗。眼鏡を奪ったタローを追いかけて、二階の教室の窓から飛び降りたこともあったような。
 近寄り難いやら無関心やら、そんな印象は一体どこへ行ったのか。
「でも、今の方がずっと素なんじゃないか?」
 苦笑混じりのリュータの声に、そりゃそうだと同意する。
 そこへ重なるナカジの怒声。
「こんの…馬鹿タロー!!」
 なんていうか、いつも通りな平和な朝だ。

 朝、俺の布団に兄貴が忍び込んできたこと以外。




 11時22分 3時限目・英語。

「〜と、変化する。よく覚えておけよー気が向いたらテストに出すからな」
「出るのか出ないのかハッキリしようぜ、修せんせー」
 柴場の野次を軽く聞かなかった事にする。それをハッキリ答えてしまったらテストにならないからな。
 3時限目の英語の授業。そろそろ腹も減ってくる時間帯に担任を受け持っているクラス、いつもどおりの生徒の囁き声やその他諸々。生徒の無駄話を徹底的に注意して戒めさせる教師もいるが、俺はどうにもそんなざわめきひとつない教室での授業というのはぞっとしないので、パス。
「じゃあ、32ページの例題を・・・」
 言いながら教室を見回して、誰に読ませようか生徒を物色。明るい茶色の髪の生徒ひとりと目があった。
「連、立って音読」
「ぅえぇえっ!?」
 がたん、と大袈裟な音を立てて指名された連が立ち上がった。まぁ、奴は英語が苦手だからな、その反応は解らなくもない。というか、連は英語に限らず勉強全般が苦手なんだが。
 しかしまぁ、当てちまったし。
「解けっつってる訳じゃねぇし、とりあえず読むだけ」
 連は教科書を眺めてしどろもどろ。どうやらと言うか、やっぱりと言うか、読めないらしい。
「えぇ〜〜っとぉ〜…」
「おーい、頑張れよタロー」
 いつまでも頭を捻っている姿に、周囲から声援が飛び始める。が、みんな微妙に意地悪なのか、読み方を教えてやるやつはいない。
 まさかこんなところで授業が止まるとは。
「タローあれだよあれ、最近CMで流れてる曲に似た歌詞あんじゃん!」
 ようやく読み方のヒントを出したのは、クラスでも連と並んでお調子者の柴場だった。
 しかし、似た歌詞は似た歌詞であって、同じ読み方じゃないんだがなぁ。まぁいいか。
「えーどれだよサイバー」
「あれだよあれ、えっとー、ちゃら〜らら〜ちゃらら〜♪ってヤツ!」
「あ、わかった!」
 お。…まぁ、この際少し違っていてもいい事にするか。折角解ったらしいし。
「おいかける〜おぃ〜かける〜この夜を越えて〜♪ってやつだ!」
 …。
 どうやら解ったのは英文ではなく曲の方だったらしい。しかも歌い出し。英文があるのはサビの部分だったはずなのに。
「そうそれ!いま〜こそ〜伝われぇこのおも〜い〜♪ってやつな!」
 柴場が立ち上がって続きを歌う。…まぁ、このまま放っておけばいつかはサビに辿りつくわけだし。少し様子を見るか。
「君の場所までぇ〜走る心ぉ〜抑えぇきかぬ〜しょうどぉ〜♪」
「抱き締めたぁ〜あの温もりぃ〜忘れられずにぃ〜♪」
 いつの間にかデュエットになっている。教室に響き渡る歌声、っていうか隣の教室にも廊下にも聞こえてるだろうなぁ。
 ―――まぁ、いいか。次がサビだし。
「「あの日からっ♪」」
「うるせぇっ!!!」
 ごかしゃんっ。
「いってぇ!!」
 二人が綺麗にハモリつつサビに入った直後、教室後方から中嶋の怒声と同時に連の後頭部に向かってペンケースが飛翔、見事にヒット。歌われるはずだった英文歌詞の変わりに、連の悲鳴が教室に木霊した。
 …短気だなぁ中嶋。なんつーか、連が関わった時は特に。
「なっ…なにすんだよナカジ!せっかくサビだったのに!」
 ペンケースから飛び出し、辺りに散らばった筆記具を拾いながらの連の反論。―――コイツ、もしかしてそもそもの目的である英文の事は忘れてるんじゃないだろうか。
「やかましい!授業中に馬鹿でかい声で歌うな!こっちは新曲の作詞中なんだよ!」
「―――中嶋ぁ、今一応英語の授業中なんだが」
 いや、中嶋は授業態度はともかく成績の方は問題ないんだが、そういう事を仮にも教師がいる授業中に大声で言うなよ。
 因みに、柴場はこの隙にちゃっかり着席している。抜け目ないなぁ、長生きしそうだ。
「ぁ…ご、ごめん…邪魔して…」
 しゅんとする連。中嶋の授業中の作業についても、それを大声で暴露した事についても疑問はないらしい。集め終わったらしい筆記具をペンケースに詰めて、中嶋のところまでわざわざ返しに行く。まるで忠犬だ。
 あ、手元の歌詞覗き込もうとして殴られた。
 しゅんとしたまま自分の席に戻ってきて座ろうとするのを、止める。
「ちょっと待て連」
「え、修せんせーなにー」
 なにー、じゃないだろうが。
「英文の音読は」
「あ」
 やっぱり忘れてたか。

 …そういえば中嶋は、事態を煽った柴場には何も言わなかったな。




 12時58分 昼休み・学食。

「何で根暗眼鏡ごときが、僕の愛しいリュータ先輩の隣で蕎麦なんか啜ってるんでしょうか」
「っ!?」
 耳元、低音で囁いてやれば、根暗眼鏡の肩と啜っていた蕎麦の汁がはねた。
「ハヤト…聞こえてるから…」
「え、何のことですかぁリュータ先輩」
 何故か引き攣っているリュータ先輩に、恋する少年仕様の最上級の笑顔で答える。
 中等部と高等部が共用で生徒がごった返す学食、ようやく見つけたリュータ先輩の隣では、以前僕の最愛の人に手をあげてくれやがった根暗眼鏡―――ことナカジ先輩が蕎麦を啜っていた。
 この人、学食で見かける度に蕎麦ばかり食べてる気がするんだけど、そろそろ身体の主成分が蕎麦粉になってんじゃないのか。
 とか考えているうちに、正直邪魔以外の何物でもなかったナカジ先輩が自主的に席をひとつ横に移動した。いい心がけだ。人の恋路を邪魔するものはなんとやら。
「あ、隣り空いてるみたいなんで、お昼ご飯ご一緒してもいいですか?リュータ先輩」
「いや、それって空いてるって言うか、お前がナカジ脅してどかせたんじゃ…」
「何か言いました?サイバー先輩」
 リュータ先輩の前に座っている正義のヒーロー気取りの水色髪へと笑顔を向けると、何故かあさっての方向を向いて沈黙。余計な事を言わない方がいいと解ってはいるらしい。
「じゃあ、お邪魔します」
 漸く、自分の昼食であるAランチをテーブルへと置いてリュータ先輩の隣りへと座る。
 と、僕の前―――というかナカジ先輩の前でカツ丼とラーメンを食べていたタロー先輩が、立ち上がって改めてナカジ先輩の前へと席をずらした。
「…さり気なく失礼な人ですね」
「え、なに?」
 箸を咥えたまま喋る行儀の悪いこの人が、別に僕を避けたわけじゃないことは解っているけど、何となく面白くない。
「成績優秀・スポーツ万能な上に容姿端麗な僕の正面での食事を拒否するなんて」
「最早どこから突っ込んだらいいのかわからないんだが、とりあえず…ハヤト、タローは別にお前の正面で食うのが嫌だったわけじゃ…」
 こういう場面で友人を庇うところがリュータ先輩のいいところだ。是非その優しさを僕だけに向けるようになって欲しい。
「解ってますよ。単に僕よりナカジ先輩の前で食べたかっただけ、ですよね。―――端正な僕の顔より、目付きの悪い眼鏡を見ながら食事したいなんて物好きな」
「容姿端麗とか端正な顔とか、お前よく自分で言えるよなぁ」
「変態兄貴持ちのヒーローオタクは無駄口叩かずにカレー食べてて下さい」
 斜め前方でサイバー先輩が撃沈、何故か僕の横でリュータ先輩までもが頭を抱えた。
「ハヤト…お前なぁ…」
「ナカジナカジ!いっつも蕎麦ばっかじゃなくてさ、たまには肉も食べないと!はい、あーん」
 空気を欠片も読まず、あまつさえ僕の愛しいリュータ先輩の声を遮って。阿呆…じゃなくて、タロー先輩が、ずれた発言と共にナカジ先輩の口元にカツ丼のカツを差し出す。
 何ていうか、ある意味勇気溢れる行動だ。無謀とも言う。
「なっ…」
「はい、あーんってば」
 しかもしつこい。
 根暗眼鏡が上体を反らし気味に、カツと箸を持ったタロー先輩の顔とを半ば赤面しながら見比べて困惑していてもお構いなし。
 眼鏡の方も食べてしまえば手っ取り早く事態が収集すると解っていつつ、タイミングを完全に逃してしまった上に、そもそも周囲の目があってそんな行動に移れるわけもない、といった感じか。
「…うっとおしいなぁ」
 ぼそりと言った台詞はどうやら誰にも聞こえなかったらしい。リュータ先輩が冷や汗をかいていたり、ヒーローオタクがビクついたのは気のせいだ。
「だっ…誰が食べるか!!この馬鹿タロ!!」
「え〜…おいしいのに…」
 結局いつもの怒声が響いて、カツはタロー先輩の口へと消えていく。
 まったく、
「今時男のツンデレなんて流行らないっつぅの」
「っ!!」
「―――あぁ、自覚があったんですか。意外ですね」
 がたんっ。
 本当に意外にも『ツンデレ』という単語に反応したのを指摘すると、ナカジ先輩は食べかけの蕎麦が乗ったトレイを持って立ち上がった。
「あ、ちょっ…どこ行くのナカジ!」
 そのまま逃げるように去っていく眼鏡先輩の後姿を追って、タロー先輩も席を立つ。あぁ、これで煩いのがいなくなった。
「ふぅ…実際うっとおしいですよねぇあの二人。くっつくんならとっととくっつけってんです」
「ぁー…えっと、その、な……言ってやるなよ…思わなくは、ないけど…」
 やっぱりいつも通りに友人をフォローするリュータ先輩の口元に、僕はクリームコロッケを差し出した。
「はい、リュータ先輩。あーん」
「………」

 勿論、僕は食べてもらうまで引き下がるつもりはない。




6時限目に続く>>>