14時32分 6時限目・体育。
「さて、ポップン学園高等部2年B組諸君。今日の体育はドッジボールやでー」
「ほぉ…ドッジボールか…」
「ってぇ俺たちはどこの小学生だよ」
臨時と言えどいつの間にか一応体育教師・エイトの声が体育館に響き、ナカジが何故かニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、サイバーの突っ込みがそれに続く。
まぁそうだよなー、今時高校生がドッジボールとかで盛り上がったりしないよなー。
「で、何で国語のハジメちゃんが体育の授業にいんの?」
などと内心で思っていると、俺はタローに指差された。
「あー…それは…」
まさかそんな、たまたま自分の受け持ちの授業がなかったからってダイエット代わりに参加、なんて、言える訳がない。
「あんなぁ、最近運動不足のハジメちゃんは体育でダイエッ」
ばきっ。
「何バラしてんねやエイトぉ!」
「ったぁ…ハジメちゃん、言葉遣い言葉遣い」
「ぁ」
しまった。どうもエイトを相手にすると関西弁が出てしまう…。
「という訳で、みんなでハジメちゃんのダイエットに協力すべく今日はドッジボールやでー」
「エイトっ!!」
繰り返すな!強調するな!メロンパンばっか食ってるせいだと思われる!!
「えーっとチーム分けは…面倒やから、男子女子別れて出席番号の奇数偶数でええやろー」
コイツ…無視しやがった。まぁ、いいか。折角だ、運動する時間は長い方がいい。ような気がする。
早速生徒達がエイトの指示通り出席番号別にチームを作っていく。
と、一見平和なその作業中に悲鳴が上がった。
「えーっ!!ナカジと別々のチームとかありえないよっ!!」
タローだった。見れば、タロー自身は偶数のチームに、ナカジは奇数のチームに入っている。どうでもいいけど、ナカジって体育でジャージでもマフラー外さないのな。ある意味予想通りなんだけど、エイトはこれ容認してんのか?
「愛し合う二人を引き離すなんてありえなっ」
「やっかましい!誰がいつ貴様とそんな関係になった!」
あ、タローがナカジにどつかれた。気のせいかナカジの顔が少し赤いような。
…そういえば、前から思ってたんだけど。
「なぁエイト、あの二人って仲悪いのか?」
よく喧嘩―――というか、タローが一方的にナカジにジャレついては殴られている場面を見るんだけど。
よく挫けないよなぁ、タロー。
「あー、あの二人はちゃうねん」
訊ねてみれば、エイトはどこか面白がっているようなからかっているような、笑みを隠せないって感じの表情で手を振って否定する。
「なんつーか、こう、嫌よ嫌よも好きのうち?喧嘩するほど仲がいい?みたいな?」
「―――ふーん…?」
よくわからないが、どうやら仲が悪いわけではないらしい。
なんてやり取りをしてるうちに、騒ぐタローを同じ偶数チームのリュータが引き摺っていって、どうやら無事にチーム分けは終わったみたいだ。俺は人数の少ない奇数のチームに入れてもらう。なんか、久しぶりだしわくわくする。体育っていかにも青春って感じだよなぁ。
「いいよ、こうなったらナカジ狙ってやる…って、あれ?ナカジ外野なの?」
「あぁ」
内野で息巻くタローの決意虚しく、真っ先に外野に回ったナカジがやっぱり意地の悪そうな笑みで答える。
…何だろう、こう、ナカジはドッジボールって聞いた時から妙に目が据わっているというか、微かな殺気みたいなものを纏っているような。気のせいか?
因みに、勿論俺はたくさん動き回るために内野。…やっぱメロンパンの食い過ぎかなぁ。
「じゃあ、用意ええなぁ?よっしゃ、プレイボー」
コートの中心、エイトがホイッスルを吹いてボールを真上に高く放り上げ、ジャンプボールでいよいよ試合開始。身長にものを言わせたリュータが競り勝って、ボールは相手チームの内野へ。
が。
「ぁ」
タローが拾い損ねたそのボールは、奇数チームの外野として構えていたナカジが拾った。
途端、ナカジの口の両端が吊りあがってその顔には歪んだ笑みが形作られる。おいおいおいおい。
「タロー、覚悟はいいか?」
「ぇ、ちょ、」
―――ナカジのヤツ、完全に目が据わってる。その周囲には、殺気にも似た凄まじいオーラが燃え上がっている…ように見えた。たぶん目の錯覚。
「ナカジなにす…」
タローの言葉を完全無視。ナカジ、第一投振りかぶって―――投げた!
べしっ。
「あぅっ!!」
見事、タローの頭に命中。…ん?頭?
「なぁサイバー、ドッジボールって基本的に頭に当たってもセーフだよな?」
「うん。基本首から上はセーフだから、普通は足元とか狙うじゃん」
思わず同じチームのサイバーに確認。やっぱそうだよなぁ。って事は暴投か?ナカジってそんな運動神経いい訳じゃないらしいし…。
あ、タローに当たったボールがまたナカジのとこまで転がってった。
「悪い悪い、手元が狂った」
…だったら何故、邪悪だろうと何だろうと普段滅多に見せる事のない笑顔でボールを拾うのだろうか。
どうしよう、俺、今初めてナカジが怖いとか思ってる。
「今度はちゃんと狙ってやる」
いいながら、ナカジの第二投。
べちっ。
「えぅっ!!」
またしても、タローの頭に命中。
…あれは、どう見ても。
「狙ってる、よな?」
「頭を、な」
「狙ってる…」
俺の確認にサイバーがわざわざ注釈を入れて、敵チームであるリュータが顔を引き攣らせて呟いた。
結局。ナカジはボールがまわってくる度に、例え他にどんなに逃げ遅れている敵がいようとも、執拗にタローの頭だけを狙い続けた。それもかなりの命中率。
本当に、仲がいいのか悪いのか。…悪いんじゃないのか?
15時36分 清掃。
「兄さん、少しいい?」
あまり訪れることのない高等部の校舎、私が訪ねてきたその人は、自分のクラスである2年B組の教室前の廊下を掃いていた。
さすがに角帽はかぶっていないけれど、校舎の中でもマフラーを外さない、少し風変わりな人。
「…珍しいな、さゆり」
ナカジ兄さんは、箒を動かしていた手をとめてこちらを見る。何だか、前よりほんの少し視線の位置が高いような気がする。背が伸びたのかな。
「あ、さゆりんいらっしゃーい!」
「こんにちは、タロー先輩」
教室の中を掃除していたタロー先輩が、私を見つけて両手を大きく振る。失礼にならない程度に軽く手を振り返したら、途端に嬉しそうな笑顔になってこちらに近づいてきた。
タロー先輩は、いつも大袈裟なくらい自分の感情を身体全体で表現していて、それが全然嫌味じゃなくて、見ているとこちらも素直になれそうな気がしてくる不思議な人だ。
「で、何か用があったんじゃないのか?」
「あ、うん。えっと…」
まるでタロー先輩を無視するみたいに、兄さんは私の言葉を促した。
何だろう、最近少しずつ雰囲気の柔らかくなってきた兄さんだけど、何故かタロー先輩には少しぎこちないと言うか、冷たいというか、他の人に接している時とは何となく何かが違っているような。
でも、それは仲が悪いというのとは違うような。
「あのね、今日うちでお鍋するから来ないかって、母さんが」
「ぇえっ!?ちょ、え、お母さんがって、え、二人一体どういう関係なのっ!?まさか付き合っ」
「っさゆりちゃぁん!俺も是非自宅鍋パーティーにご招待してくれYO!」
「俺とさゆりはそんな関係じゃねぇ!そしてどこから沸いた仁木!!」
母さんからの伝言を伝えたら突然、何故かタロー先輩が驚きの声をあげて、どこからか仁木君が登場。途端兄さんが弾かれたみたいに鋭い声で二人を牽制する。
ところで、
「…仁木君、今週は教室の掃除当番じゃなかった?」
私は今週は掃除当番ではないので、その時間を利用して兄さんに会いに来たんだけど、仁木君は教室の掃除当番に当たっていたはずだ。
「まぁまぁ気にするなYO!ところで鍋パーティーに俺も…」
「来るな。別にパーティーじゃねぇ」
いつも通りちょっと調子のいい仁木君に、私よりも先に兄さんが答えてしまう。…そういえば、何故か兄さんは仁木君にも刺々しい。あまり馴れ馴れしいのが好きじゃないのかなぁ。
「パーティーじゃないのにわざわざさゆりんのお母さんに呼ばれるってことは、ナカジってばさゆりんの両親にも挨拶済み!?俺出遅れたっ!?例えさゆりんが相手でもナカジは渡せな」
「一体何の話をしている!」
「げふっ」
何か勘違いしているタロー先輩が兄さんに背後から抱きついて、肘打ちを食らってしまった。…大丈夫なのかな。
「あの、兄さんとは」
「兄さん!?さゆりんってナカジの妹だったのっ!?」
「貴様は人の話を最後まで聞けないのかっ!」
また勘違いしてしまったタロー先輩を、兄さんが今度は殴ってしまう。あ、これは「殴る」というより、「どつく」だと前にサイバー先輩が言っていたっけ。じゃれてるようなものだって言ってたけど…本当、どこか微笑ましいやり取りに見える。
兄さんは確かに短気なところがあるけど、それでもこんなふうに声を荒げたり感情的なところを表に出すようになったのって、結構最近の事。…タロー先輩効果、なのかな。
「お義兄さん!俺これからさゆりちゃんと仲良くさせていただこと思ってるんで、是非4649!!」
「やかましい!」
あ、仁木君も殴られちゃった…。
そろそろちゃんと説明した方がいいよね…。
「あの、兄さんとは家が近所で幼馴染なの。昔から兄妹みたいに育ったから、それでつい兄さんって呼んじゃって」
「よかったぁ…俺はナカジの事信じてたよ!」
「っ…さっきから…どさくさに紛れて抱きつくなっ!」
…結局、タロー先輩はまた殴られた。兄さんは怒鳴りすぎたせいか、顔が赤くなっている。
って、いつまでもこうしてられないな。兄さんたちの掃除の邪魔だし、掃除サボっちゃってる仁木君も教室に連れて行かなくっちゃ。
「それで、兄さん今日うちに来る?」
「―――行く。おばさんによろしく言っといてくれ」
少しだけ考えた後、兄さんは頷いた。以前はよく家に来ていたけれど、最近はこうやって声をかけないと中々来る事もなくなってしまったから、一緒に夕食を食べれるのはちょっと嬉しい。
「じゃあ、待ってるね」
昔よりほんの少し遠くなってしまったような気がする兄さんに、私は笑顔で言った。
16時47分 放課後。
「あーもう、何やってんだか…」
どういうわけか、本日二度目の登校。…いや、この場合登校って言わないのかな。でもこの下駄箱に靴を入れるのも上履きに履き替えるのも、不本意ながら本日二回目だ。
何でこんな校舎が夕焼けに染まりきって暗くなり始めるような時間帯に、学校に戻ってきたのかというと。
宿題になっているプリントを挟めたノートを、自分の机の中に忘れたからだ。ま…間抜けだ…。バイト先で気付いて慌てて戻ってきたけど、こりゃあかなりのロスだよなぁ。
人気のない校舎内に、足音が妙に響く。ついつい、忍び足になってしまう。別に悪い事をしてるわけでも、隠れてるわけでもないんだけど。
「っと…あれ?誰かいる…?」
辿り着いた2年B組の教室内には、人影があった。廊下と教室内を隔てる扉に嵌め込まれた硝子から中の様子が見えるんだけど、二人という事は分かっても暗くなってきてよく見えない。
ん?あの特徴的な形…角帽だ。ってことはナカジか。もうひとりは外跳ねの髪…タローだ。いつも放課後は音楽室に行ってるらしいけど、何で今日はこんな時間まで教室に残ってるんだろ。
…まぁ、いいか。ノート取って早くバイトに戻らないと。
がたんっ。
扉に手をかけたのと同じタイミングで、教室から大きな音が響いてきた。…椅子を蹴倒したような。
「っ…タロー!ぃ、いきなり何すっ…!!」
続いてナカジの声。怒声とも罵声ともどこか違う、切羽詰ったような調子だった。
「…?何だ?」
開けるのをやめて、硝子から中の様子を伺う。
ナカジの席の辺りで向き合って座っていたのが、ナカジだけが立ち上がっていた。…また何か、タローがナカジの神経を逆撫でるような事でも言ったのだろうか。
「だって、ナカジってばちゅーしようって言っても無視して本読んでんだもん」
「っ…!」
たぶん、教室の中にいるナカジと廊下にいる俺が息を呑んだのは同時だった。
今、タローは何て言った?
「だっ…だからって…ぃきなり…!」
え、ちょっと待て。何だその言い方…なんか、いきなりじゃなきゃしてもいい、みたいに聞こえるんだけど。気のせいか?気のせいだよな?
「じゃー、いきなりじゃなきゃいいの?」
…タローも同じ事を思ったみたいだ。
「ッ…そういう、訳じゃ…」
答えに詰まるナカジ。
…まずい。これじゃあ覗き見なんだけど、何ていうか、立ち去れない。目的の俺のノートは机の中だし、ショックなのか驚きなのか、足が動かない。扉に手をかけたまま身体が固まってる。
かたり、と音がして、タローが立ち上がった。日は暮れかけて、その動きは影絵のようだ。
「ナカジ、キスしてもいい?」
「っ…」
タローの右手が顔に伸ばされて、ナカジの身体が動かなくなる。返事もし損ねたみたいだ。
って、見てる場合じゃない。とにかく一旦ここから立ち去って後からもう一度来ればいい。
「か……勝手に、しろ…っ!」
―――少しずつ解けていた金縛りが、ナカジの台詞を耳にして復活してしまった。
今、ナカジは何て言った?
少しずつ、タローの顔がナカジの顔へと近づいていく。せ…せめて視線を外せ、俺!
後、ほんの少しで影が重なり合うという時。
がこんっ。
「っ!!」
まずい…!
肩からかけていた鞄がずり落ちて、教室の扉をしこたま叩いてしまった…。
「ちょっ…ナカジっ!!」
突き飛ばす音、机や椅子がけたたましい音を立てるのが聞こえて、タローの声。近づいてくる足音。
がらりっ。
「ッ…!!…リュータ…っ!」
勢いよく扉が開いて、出てきたナカジと目が合った。それは一瞬で、ナカジはすぐに俺を突き飛ばして逃げるみたいに走り去っていく。って言うか、実際逃げたんだろうな…。
掠れた声で俺の名前を口にしたその顔は、薄暗い中でも分かるほどに真っ赤だった。
忘れ物をとりに来ただけなのに、とんだ災難というかなんというか…。
明日、どんな顔でナカジに会えと…。