Are you Smart?

キ〜ン、コ〜ン、カ〜ン、コ〜ン…

日が燦々と照る、アカデミーの正午。
鳴り響くチャイムは、生徒達に安息の時の到来を告げる。
それに呼応して大半の生徒は教室から去り、知識欲を満たす間に生じた食欲を埋め合わせるべく、食堂へと足を運ぶ。

だが。

「う〜…」
教室の中に、未だその安寧を得られず戦う生徒が一人居た。
普段なら真っ先に食堂に突撃している筈の女子生徒――ユリである。

食欲がないわけではない。
食事を買うお金がないわけでもない。
かといって居残り勉強をしているわけでもない。
だが彼女は、空腹を意志の力で無理矢理抑え付けようとしていた。

何を隠そう、彼女はダイエット中なのだ。

普段はご飯を欠かすことなど考えられない彼女が、何を思ってダイエットを始めたのか。
そもそものきっかけは、今から10日ほど前に遡る。

その日、ユリは食堂でいつものように御機嫌なランチタイムを満喫していた。
昼からの授業に備え、しっかりと栄養補給しておかねばならない。
別に、昼からの授業に運動の時間があるわけではない。
が、自分にとって椅子に座って難しい勉学を頭に入れるのは、同じぐらい疲れるのだ――
それを大義名分に、今日も今日とて大盛りにしてもらったおかずに舌鼓を打つ。
そして、あっという間に皿は空になった。
しかし、満腹中枢は未だストップのサインを出してこない。
食後には甘〜いデザートを食べようと思っているとはいえ、それは別腹である。

「どーしよ…おかわりしよっかなぁ…」
ニヤニヤしながらそんなことを思案していた矢先、左後方から覚えのある話し声が聞こえてきた。

「あれ?ルキアちゃん、少食だね?」
「うん…ちょっとダイエットしてんの」
「そうなんだ…別に太ったようには見えないけど…」
「私もね、気にしてなかったんだけど…男の子って、意外と見てるんだよね」
「もしかして…レオン君が?」
「そ。流石にちょっとショックだったから。アロエもクララも、気をつけといた方がいいわよ?」
「え〜、なんか怖いなぁ…」

「…」
別に、自分に向けられた言葉ではないのは分かってる。
けど、自分でも少し気になっていただけに、その言葉は妙に耳に引っ掛かって消えない。

ぷにゅ。
こっそり、お腹の肉をつまんでみる。
…。
……。
………。

微々たるものだ。微々たるものだが、やはり…。
特に、ウエストが露になってる格闘系学科の制服の場合は、尚更。

加えて、さっき耳に挟んだ言葉。

『男の子って、意外と見てるんだよね』

さほど敏感なタイプには見えないレオンでも、殊こういうことには鋭い…という見解。
それは彼が彼女に関心を寄せているからでは…と考えてしまわないこともない。
とはいえ、もしかするとレオンにはそういった才覚があるのかもしれない。
それに、クラスという限られた空間で日々接触する相手なら、見たくなくても目に付く…というのも道理だろう。
だとすると、彼よりも鋭い洞察力を持ち、常に周りに気を配るような、あの人なら――

「あ、今日も早いですねユリさん、もう食べちゃいましたか。隣の席、良いです?」
あの人、急襲。
しかも、女子の観察眼を認められた彼までご同伴ときた。
そんな二人に至近距離で見られたら、何をどうやっても看破されてしまうに違いない――
最悪の未来が読めてしまった…!

「〜〜〜〜ッ!?ご、ごごご、御馳走様!!」
半ばパニック状態のユリは、食器を片付けるのも忘れ、椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで食堂を飛び出していった。
後に残されたのは、

「…レオン、僕、何か悪い事言いましたかね?」
ユリ逃亡の直接原因と、

「…俺に聞かれてもなぁ」
間接原因のコンビである。
二人は揃って首をかしげながら、気まずい昼食にありつく羽目になった。

一方のユリは、固く固く決意した。
彼に見られても恥ずかしくない、弛みのないスタイルに戻す、と。
それが僅か数ミリでも、彼女にとっては死活問題なのだ。
そのためなら、どんな犠牲でも払ってみせる。
そして、最も効率よくその目的を達するためには――食べなければ良い。

…乙女のショート気味な思考回路が、短絡的な判断を引き出すのも無理からぬことだったのかもしれない。

こうして、彼女の昼の断食が始まったわけである。
普段ならいっぱい食べる昼食も、何よりの楽しみであるデザートをも我慢し、教室でひたすら空腹を堪えるユリ。
加えて、痩身の更なる高効率化を図り、いつも以上に身体を動かす。
辛いけど、その先にある勝利の栄光を夢見て、彼女はぐっと耐え続けた。

数日後。

「よしよし…減ってる減ってる」
効果が現れていることに、一人にんまりとするユリ。
大嫌いな体重計すら、今なら好きになれる気がした。
このペースで行けば、数日のうちにこの試練ともおさらばできそうだ。
その暁には、豪勢なランチで自分を祝福――

「――って、こんな時に食べたくなるようなこと考えてどうすんのよ!」
ゴツン、と自分の頭にパンチを喰らわせて、彼女は戦闘継続の意志を再び固めた。

しかし、胴周りの贅肉は、思った以上の強敵であった。
さらに数日後。

「おっかしぃなぁ…体重は減ってんのに…」
そう。
痩せてはいる。
いるのだが、本来の目的であるお腹の脂肪は、一向に取れてくれないのだ。
彼女の理想とする、引き締まったウエストのラインに近づく気配が感じられないのである。
流石にこうなると、もう少し良い方法があるのではないか…と思うのも仕方ないだろう。
しかし、挫折を嫌う彼女は、初志を曲げることを良しとしなかった。
この艱難辛苦を乗り越えねば、負けだ。
自らを叱咤し、萎えそうな気持ちを奮い立たせ続けるユリ。

こうして、ユリの苦行は10日目を迎えたのである。

「う〜…」
それでも、お腹が減るのは人間の生理現象である。
辛いものは辛い。
その葛藤が、知らないうちに唸り声になっていたりする。

キ〜ン、コ〜ン、カ〜ン、コ〜ン…
果てしなく長く感じられた休憩時間の終了を告げるチャイムがユリの耳に入る。
どうにか、今日も耐えられた――
自然と、安堵の溜息が漏れる。

今日の次の授業は体育だった。
身体を動かすことは自分の得意とするところだ。
着替えてグラウンドに出た彼女は、妙な感覚を覚えた。

身体が軽い。
何だか、背中に翼でも生えたかのように、フワフワした感じ。
これこそダイエットの効果だろう、とぼんやり納得する。
それにしても、何だろうこの浮遊感は。
今なら、ジャンプしたら、雲の上まで飛んで行けそうで――

ドサリ。

そんなユリの耳には、大地が自分を受け止めた音は、聞こえていなかった。

「ユリさん!?大丈夫ですか!?ユリさん!!」
そして、彼女を抱き起こす、あの人の声も――。
 

…。
ホント何なんだろ、この感じ。
っていうか、さっきジャンプしてから、全然着地する気配がないんだけど。
幾ら身体が軽くなった…っていっても、これって軽過ぎじゃない?
しかも、何か白いモヤモヤの中にいるみたい。
生クリームじゃないし…雲…かな。
もー、ダイエット中なのに、何で生クリームとか思い浮かぶかなー。
…。
……。
………。
って、雲!?
ホウキに乗ってもないのに、何で雲の中にいるわけ!?
もしかして、ここ…天国!?
やだやだやだ、私まだやり残してることいっぱいあるのに………!!

ガバッ。

「あ、気が付いたみたいです」
…聞こえる筈のない、あの人の声。
やっぱり、ここは天国か。
ユリ的には、仮に幻聴だったとしても、あの人の声を聞けたという意味では、天国だったのだが。

「ユリちゃん、大丈夫?」
…天国にはミランダ先生みたいな天使がいるんだ。
っていうか、先生も天国にご同伴?
私より一足先に逝っちゃった、とか。

…本人に聞かれたらおしおき確定の失礼な思考がひとしきり頭を巡った後、ユリの頭脳は暴走から立ち直った。

「…あれ?」
目を白黒させ、辺りを見回すユリ。
白いシーツに包まれて、簡素なベッドの上にいる自分。
格闘系学科に付き物の擦り傷や打ち身を治療してもらう際にちょくちょく訪れているので、見覚えのある部屋。
そう、ここは保健室。

呆然としつつも、ユリはできる限り頭を整理して、現状把握に努めた。
昼過ぎだった筈が、いつの間にか放課後になっている。
その間、およそ3時間の記憶はすっきりさっぱり欠落していた。
そういえば、今『気が付いた』とか『大丈夫?』とか言われてた…ということは…

「ビックリしましたよ…元気なユリさんが、体育の最中に倒れるなんて」
…あぁ、やっぱりか。
ご飯も食べずに、元気なんか出るわけないよねぇ。

それにしても…
保健室なんだから、ミランダ先生がいるのは分かる。
けど――もうこんな時間だっていうのに、何で、カイルがいるの?

も…もしかして…!?
私を心配してずっと枕元に…って、そんなわけないか。
倒れたショックからか、さっきからユリの思考にはちょっと妄想という名のノイズが混ざっているらしい。
ところが。

「フフフ、放課後真っ先にここに来るなんて、授業中は気になってしょうがなかったんじゃない?」
「ええ、まぁ…一応、ここに連れて来た身ですからね」
「それにしても、お姫様抱っこで駆けてくるカイル君、なかなかカッコ良かったわよ」
「か、からかわないで下さいよ…僕も必死でしたから、ああするしか思いつかなくて…」

二人の間で交わされる、当事者のユリを埒外に置いた会話からは、彼女の想像以上のシチュエーションが連想された。
…何か、物凄く恥ずかしいんだけど。

「…ところでユリちゃん、絶食ダイエットしてたんでしょう」
不意にミランダから図星を突かれ、ユリはうっ、と言葉に詰まる。
その後、彼女は先生から数分の間お説教を頂戴する羽目になった。
絶食ダイエットは、身体と精神に大きな負担を掛ける。
よしんば体重を減らせても、リバウンドの弊害から免れ得ない。
そして犠牲になるのは、贅肉ではなく、筋肉のほう。
ちょっと冷静になって考えればすぐ分かる話なのだが、その時の自分には冷静になれるだけの心の余裕がなかった。

しかし、先生も人が悪い。
倒れた原因が絶食ダイエット…なんて格好の付かない話を、彼の目の前でばらしてくれるなんて。
これでは、体裁を繕う言い訳すら使えそうにない。

「じゃ、先生ちょっと会議行ってくるわ。すぐ帰ってくるから、もう少し休んでるのよ」
そう言うと、ミランダは保健室から出て行った。
後には、ベッドの上のユリと、その横の椅子に座るカイルだけが残された。

「…」
「…」
メチャクチャ、気まずい。

「あの…」
沈黙に耐えかねたのか、カイルが遠慮がちに口を開いた。

「…何で、ダイエットなんか、思い立ったんですか…?」

乙女の重大な懸案事項に『なんか』とは何事か。
それに、彼の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった彼女は、取り乱して反論する。

「だ、だって、カイルは私がちょっとデブっちゃったことぐらい分かってたんでしょ!?」

「へ?…いや、僕、そんなこと少しも…」

…。

ユリは、アカデミーに入学してこの方、これほどやるせない気持ちになった日はなかった。
でも、よくよく考えてみたら、カイルが太ったことに気付いているというのは、先日の食堂でルキアが言った
『男の子って、意外と見てるんだよね』
という言葉を自分が鵜呑みにしただけで、別に本人からそんなことを言われたわけではない。
要は、単なる思い込みだったわけである。
でも、ユリとしては、何だか誘導尋問に引っ掛かったような気分で――もっとも、完全な自爆だったのだが。

ずるい。
逆恨みだということは分かっている。
けど、カイルはいつも、ずるい。

してやられた、という気持ちから、へたり込みそうな脱力感に襲われて頭を垂れるユリ。
そんな、勝手に動転して勝手にガックリきてる彼女を見ていたカイル。
ここ最近食堂で彼女を見なくなった理由、10日前に食堂から逃げ出した彼女の行動、先程彼女が倒れたシーン、
そして、その裏から察せられる彼女の気持ちが、彼の頭の中でパズルのピースのようにはまっていく。
同情こそすれ、そんな彼女を笑うような真似はしてはいけない、と思う。
…思うのだが、
『そ、そんなぁ〜…』
という感じで、口に出さなくとも嘆き節が聞こえてきそうなユリの横顔に、あまり行儀の良くない可笑しさがこみ上げてきて――

「プッ」
暴発した。

「あ〜〜〜〜!?笑ったな〜〜〜〜〜!!」
ユリは、その失笑に、怒った。
無我夢中で、ポカポカとグーの下をカイルにぶつける様は、さながら駄々っ子そのものといった感じである。
とはいえ、見た目は微笑ましくとも、鍛えられた腕力で殴られる側はたまったものではない。

「いや、ちょっとあのユリさん、落ち着いて…ぼ、暴力反対です痛い痛い痛い!!」
ちょっと本気入ったカイルの悲鳴にふと我に返ったユリは、二つの拳を止めた。
だが、寄せた眉根の下に貼り付いた半ば涙目の視線が、彼女の気持ちを如実に表している。

カイルは、ユリの拳が複数発直撃した肩の辺りをさすりながら、

「…例えばですよ」
それでも彼女を苦笑気味に見つめ、諭すように話し始めた。

「ユリさんにとって、一番大事な人が目の前にいるとしましょうか」

彼は、喩えとしてそう言った。
だが――ユリにとって、その人はまさに目の前にいた。
自分の気持ちを見透かされたようで、ドキッとする。

無意識のうちに、食って掛かろうとする自分の出足を見事に牽制したカイルに、ユリは文句も言えなくなる。
そんな彼女を見ながら、カイルは少し考えながら句を継いでいく。

「もし、その人が…すごく太っちゃったとします」

彼の言葉を受け、ユリの脳裏にイマジネートされたもの――
それは、ユリとしてはあまり想像したくないものだった。

蒼く長い髪をなびかせ、眼鏡の奥に静かな眼差しを湛える…肥満体。
頬に余分なお肉が付いて、すっかり丸々とした顔面は脂ぎっていて。
ふくよかなお腹を窮屈そうに収めた制服は今にも破れてしまいそう。

そうなるわけがない、と分かってはいる。
現に眼前にいる大事な人は、そんな肥満体質とは無縁の筈だから。
だがそれでも、ユリにとってそれはぞっとしない想像図である。
少なくとも、幻滅しないで済む自信はない。

その時。

「そうしたらユリさんは、その人のことを…嫌いになりますか?」

ハッとした。

もしその問いを肯定してしまったら、私はただの面食い女だ。
それに、幾ら体型が変わったからといって、人格までが変わってしまうわけじゃない。
そうだ。
私が彼に惹かれたのは、姿形じゃなくて――
笑みに秘められた優しさと、その優しさを貫く、心の強さ。
この学校に来たときからずっと、そうだった筈だ。
そうじゃなかったら、今だって倒れた私を心配して、こんな時間まで保健室にいてくれたりはしない。

「うぅん、絶対そんなことないもん!」
だから、全身全霊を込めて、ユリはその問いを否定した。
ブンブンと強く横に振った頭に合わせて、艶やかなポニーテールとそれを結わえた白いリボンも大きく揺れる。

「僕だって、そうですよ」
カイルはそう言って軽く頷き、そして続けた。

「体型だけを気にして、元気でなくなっちゃったら、それこそ台無しじゃないですか。
ちょっとした体型なんて関係ないですよ。それより、いつものはつらつさが見られない方が、よっぽど嫌です。
…少なくとも僕は、そんなユリさんの方が、好きですから」
照れるでも、気取るでもなく、それでもしっかりと、はっきりと彼は自分の持論を口にする。

「…」
それでも、ユリのふくれっ面は収まらなかった。

懸命に痩せようとした、自分の努力が馬鹿にされたようで――
倒れるまで頑張ったのに、体型は関係ないなんて、ずるいよ…。
勿論、それでカイルを責めるのはお門違いだ、とは分かってる。
全ては、自分が彼の考えを知らずに先走ったのが悪いのだから。

でも…ずるいよ。やっぱりずるい。

『少なくとも僕は、そんなユリさんの方が、好きですから』なんて。

何の邪気もなく、こんなセリフを平気で投げかけてくるんだから。
恥ずかしくて言えないけど、私だって…私だって…

――そんな優しい貴方が好きだ…って、言いたいのに。

あ〜あ。
カイルは、私の気持ちに気づいてないんだろうなぁ。

…。
よぅし、こうなったら…。

「ねぇカイル」

「何です?」

ユリは伏し目のままで、決意と共に――

「あのね、私がもし元気になったらさ…美味しいもの食べに行きたいな、って思ってんだけど。
その…一緒に、付き合ってもらえないかな…って」
彼をデートに誘ってみた。
本人にそうとは気付かれないように、ちょっと不機嫌そうな顔のままで。

「それぐらいならお安い御用ですよ。
…そうだ。その時は、快気祝いとして、僕が何かおごりましょう」

「ホント!?」
応じてもらえた。
おまけに、おごってもらえるなんて嬉し過ぎるおまけ付きときている。
見開いた瞳に天の川でもあるかのごとく輝いた彼女の目は、自然とカイルの顔に向く。

「ええ、約束します。…だから、今は」
陽光のような、優しくも温かい眼差し。
それがユリの顔にまともに注がれる。

「ゆっくり休んで、元気になって下さいよ」
にこり。

虫眼鏡で集中させた太陽の光は、紙を簡単に焦がすほどのエネルギーを持つ。
同じく、彼の魅惑の視線と温もり溢れる言葉は、それを浴びたユリの顔を一気に茹蛸のように染め上げてしまった。

「…うん」
完全に陥落した彼女は、しおらしく頷くしか打つ手がない。
やがて、会釈とともに保健室をカイルが去る。
訪れる沈黙。

「…」
そして、呪いが解けたようにユリは自分の状況に気付く。
病気ではない、頬の熱。
瞬間、脳内で思い出される、その熱の原因たる彼の顔。
勿論、そんな意識の反芻は、より一層顔の温度を上げてしまうに過ぎない。

あんな顔見せられたら、見惚れちゃって当たり前じゃない。
カイルってば、本当に、ずるいよ…。

こんな紅葉の散った顔を、ミランダや他の人に見られたら堪らない。

「もう…知らないっ」
あまりのきまり悪さに、ユリはドスンとベッドに身を横たえ、ガバッとシーツを頭まで被った。
だが、シーツの中で彼女は、今日の彼の言葉を思い浮かべながら、ひとつの計画を練っていた。
自分をこんなにしてしまった、彼への”仕返し”の計画を――。
 

数日後。
あっという間に本調子を取り戻したユリに、カイルが約束を果たす日がやってきた。
カイルにとっては、すっかり元気になったユリの姿が見られる、嬉しい日の筈であった。
だがそれは、カイルにユリが”仕返し”をする日でもあったのだ――。

「あの…」
カイルは、先を行くユリの背中に呼びかける。

「はひ〜?」
何?と言ったらしいユリが振り返る。
その口に、さっき屋台で買った焼き芋を咥えたままで。
小脇には、同じ芋が2、3個入った袋を抱えている。

「…ま、まだ、食べるんですか…?」
問いかける彼の顔には、呆れと焦りと不安がありありと浮かんでいた。

「むぐむぐ…当ったり前でしょ〜!今まで我慢してたんだもん、その分取り返さなきゃ!
さ、次はあっちのコロッケ!揚げ立てがすっごく美味しいんだよね〜!」
手早く芋をお腹に収め、にこやかに続いての目標を定めるユリ。
だが、それはカイルにとっては絶望的な言葉であった。

無理もない。
パン屋で並んで買った限定販売のカレーパンから始まって、ハンバーガーにポテトを買い、ソフトクリームを平らげた後、
昼にはランチバイキングに突入、続いてケーキ屋に入ったと思ったら屋台に走ってこの有様である。
ユリとしてはそれぞれ狙いの一品、朝ご飯、おやつ、昼食、デザート、昼のおやつ…という言い分であるが、
カイルにとっては明らかに胃の許容量をオーバーしている。
しかし、おごってあげると言った手前、途中で逃げるわけにもいかない。
そしてなお悪いことに、あの時自分が『体型は関係ない』と言ってしまった。
つまり、これ以上食べたら体重が云々、という言葉――もっとも、女性にそんなことを面前で言えるわけはないが――は、
抑止力として全く意味を為さないのである。
鋼鉄の胃袋を持つ彼女に『お腹を壊す』などという言葉が当てはまらないことは既に明白である以上、
カイルがユリの食欲を抑制できる手段はほぼ絶たれたと言って良い。

「ほらぁ、早くしないと売り切れちゃうよ!」
右手には、彼をぐいぐい引っ張って走り出す、満面の笑みを湛えたユリ。
そして左手には、すっかり心許なくなった路銀が入った財布。

(ハァ…元気になったのは良いんですが、僕の身体と懐は持つのでしょうか…)
嬉しい悲鳴と本物の悲鳴を深い深い溜息に変えて、人知れず吐き出すカイル。
そして彼は苦笑を浮かべたまま、ユリに引き摺られつつ雑踏へと消えていった。

END