社団法人 石川県療術師会 当初目標
能登の医療の予防、充実を図り、もって県民の健康に寄与する
歩み
金沢大学薬学部の校舎復興に尽力され、衆議院議員、弁護士、であり、後に金沢医科大学初代理事長、衆議院議長をされた、益谷秀次先生の能登の医療の予防、充実を図る
という目的により、先生の肝いりで、石川県知事中西陽一氏の時の、昭和47年に当法人が出来上がりました
この時、定款を制作していただいたのも、益谷秀次先生でありました。
自白のみで、証拠のとぼしい事件は、無罪として数々の名声をあげた判事であられた益谷先生が、誰にも職業の自由があり、仕事をし易い様にと考え、石川県人でなければならないとの一行が無く、他県よりの入会を認めることと考えられたとのことであります
このため、県の認可ではなく、国の公益法人となる予定です。
なお、前年の昭和46年5月の社会労働委員会に、稲村左近四郎先生、奥田敬和先生、坂本三十次先生、益谷秀次先生、森喜朗先生、他により、療術の開業制度復活に関する請願が出されております
これらの趣旨経緯を踏まえ、石川県療術師会一同は、地域医療の一助になるよう、社会貢献に邁進しなければならないと考えております。
当初の事務所
石川県七尾市小島町リ部291番地(益谷先生の当時のご自宅である、七尾市にあり当地は、初代会長のお寺の敷地に存在)
印勝寺 (御祓中学校裏)です (現在住職は在籍しておりません) 境内事務所の跡地に石川県療術師会の碑が立っております
創始者、益谷先生の像があるところは 能登町益谷秀次記念館横です(他にも七尾市、輪島市などあります)(出身地の宇出津)
能登町宇出津イ112ー4(遠島山公園内 公園内には他の郷土の偉人の記念館も有ります) 0768−62−3669
記念館は益谷先生の業績(師会設立よりも世の中に数多くの有名な業績を残しておられます)を
見ることが出来ます