history of Higasisiroisi-Akatuki FC 東白石あかつきFCのあゆみ
1994年から1998年までの「あかつきの歩み」の文章及び画像は、Tomtomさんこと菊地友則 元監督のご好意により、
ご自身ームページのTomtomBox soccerより引用及び転載しております。
(菊地元監督のホームページには、あかつきの創設のこと、サッカーの練習方法、子育てサッカー相談室などがあります。
 サッカーをする子供たちの親として、必ず訪問しておきたいホームページだと管理人は思っております。)
年度
監督(敬称略)
1994
菊地友則

(画像は、Tomtomのサッカー履歴より転載させて頂きました。)
 チームは2〜5年生という小粒なサッカー未経験の選手ばかりだったで、
初年度は全くといっていいほど勝てなかった。(スコアも15分ハーフで0:18とか)
 けれども冬の室内大会では初勝利もあげた。
1995
菊地友則
 アメリカで行われた世界大会の国内予選に、チームから2人がチャレンジし、
全国から集まったの小学生女子の中から、2人とも日本代表の選ばれた。
 だが、チーム成績は相変わらず定位置の最下位に低迷した。
■夏(11人)
◎0勝12敗2分/勝率0%(1試合平均得点0.29、 1試合平均失点4.07)
■冬(5人)
◎4勝8敗2分/勝率33%(1試合平均得点1.17、 1試合平均失点2.08)
1996
菊地友則

(画像は、Tomtomのサッカー履歴より転載させて頂きました。)
 この年のチームは攻守のバランスもよかった。春の試合でいきなり準優勝し、
夏の全道大会では、全国まであと一歩のところまで突き進んだ。(準優勝)
秋の市民大会では悲願の初優勝も果たした。
■夏(11人)◎9勝4敗1分/勝率69%(1試合平均得点2.07、1試合平均失点1.42)
■冬(5人)◎3勝6敗3分/勝率33%(1試合平均得点1.92、1試合平均失点2.25)
1997
菊地友則
 チームにとって大きな転機となる年になった。最盛時は19人の部員を抱えていたチームも
シーズン開始時には9人しか集まらない。他チームの内状も似たようなもので、まともに
11人でメンバーを組めるチームはわずか1チームだけという惨状。
連盟の意向もあって、近隣チームで「札幌ドリームFC」を結成(監督は菊地あかつき監督)。
全道大会に参加し。3勝1分の小差でチームは全道優勝をはたし、初の全国切符を手にした。
 Jビレッジで行われた肝心の全国大会は、予選リーグの結果は0勝2敗(0:5、0:8)。
試合内容はシュートすら満足に打たせてもらえない状態で、あえなく予選敗退だった。 
1998
高田弘志
菊地友則
 この年は、少年団に吸収合併の話も出ましたが、紆余曲折のすえ、
当面は後援会母集団による単独チームとして活動を続けることになった。
 「おらぁ〜!そこはパスじゃなくって、シュートだろうがぁああ〜!!」など
と…いいながら監督交代。 
以上の文章は、TomtomBox soccerの私のサッカー履歴より
菊地元監督の文章を引用して作成しました。
1999
高田弘志
柿崎博幸
調査中
2000
柿崎博幸
● U−12全道大会(釧路)全道3位
1回戦
東白石あかつきFC(札幌) 4−0 北見・釧路選抜
準決勝
Jシーガルジュニア 4−1 東白石あかつきFC
2001
柿崎博幸
● U−12全道大会(室蘭)全道6位
予選リーグ 上磯ピュア戦 0−6負、釧路リベラルティ0−10負
順位決定戦 5位・6位戦 リトルリベラルティ戦 0−5 負

●全道女子フットサル大会(江別)全道3位
Jシーガル   4 - 3 ○,室蘭 5 - 1 ○,釧路リベラルティ1 - 5×,上磯ピュア 3 - 3  △ 
2002
柿崎博幸
コーチ荒尾
コーチ田中
● U−12全道大会(帯広) 1回戦敗退
1回戦 道東選抜 0−6負

●U-12札幌市民大会 2位
札幌選抜   0−4 ×
札幌セレクト 2−0 ○

●全道女子フットサル大会(札幌)全道3位
予選リーグ VS Jシーガル        2 - 1 ○
        VS 釧路リベラルティ 1 - 6 ×
                VS  函館SSアイリス 1 -0 ○
準決勝      VS  上磯ピュア         1 -4 ×
2003
柿崎博幸
コーチ荒尾
コーチ田中
2004
田中
コーチ荒尾
コーチ柿崎
2005
田中
コーチ荒尾
コーチ西崎


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小学生(少女 U-12)女子サッカーチーム 東白石あかつきフットボールクラブ (札幌市)