プロジェクトA  釣戦者たち「アカメ編」

text by SUGA

 

待ち焦がれた魚

2004109日、国道56号を南下している。ダッシュボードに置いた携帯電話は高知県宿毛市在住の釣友から電文を受信した。「一昨日、132cmのアカメが上がった。」この知らせは既に10月に突入したということでアカメを狙う上でのコア・シーズンを過ぎたことで低減していた期待感を増幅させてくれた。PM22時過ぎ、過去に釣友が実績を出したポイントに入る。この時期にしては水温も気温もかなり暖かい。シャツ1枚着ているだけで丁度よい。橋脚上から降りそそがれる道路照明光は水面に明暗部をつくり出していた。干潮ピーク2時間前、流れの感触から今が時合だと十分に推測できた。斜め上流側にキャストしたTKLMは水流に乗り明暗部の境界線が交差する橋脚手前でドリフト状態のまま側面を通過し際を舐めるようにU字反転する。反転直後、橋脚に接触したような感触が伝わる。直後、水面上への飛沫と固く締めていたドラグ作動音が生じる。下流方向に即動しロッドティプ先端からのライン角度は鋭角になる。数秒で橋脚脇を通過し下流側に抜けていた。ウェーディングにより水中に浸かっている足は無意識のうちに転倒しない程度の速度で前方に3歩ステップを踏みロッドを持つ右手は前方に伸びきった。ライン角度を鈍角に戻すことで橋脚側面への接触によるラインブレイクは回避できた。風神号はグリップ至近のブランクから過度の負荷により屈曲。ついに待ち焦がれた魚との対面に極度の興奮を覚える。ヒットから5分後、一度は橋脚を越え下流側にいたのを視覚確認可能な範囲まで寄せてきた。ヘッドランプ光を当てる。瞬間、それまで張りつめていた興奮と緊張の糸は収束した。銀鉄色の体高のある体であったが幻ではなかった。丸々と肥えた91pのシーバス(タイリクスズキ)であった。リリース後も黙々とキャストを繰り返す。待ち焦がれたまま、キャストは繰り返され、朝がやってきた。まだ、手にすることのない魚への執念は持続する。

 

初認識1983年〜

「アカメ」という魚の存在を初めて認識したのは、1983年に放送されたNHK特集「日本最後の清流、土佐・四万十川」を見たことからはじまる。当時、無類の釣りキチ小学生であった私のホームグランドは東京都と神奈川県の境を流れる多摩川と東京湾であった。高度経済成長後の1970年代初頭、水質汚染のピークを迎え水面には洗剤泡と油膜が漂う。四万十川という川の存在を知り「日本にもまだこのような川が存在する」ということに衝撃を覚えた。「いつか、必ず行ってみたい、そして釣りをしてみたい」と抱きはじめた。同

年、私が釣りにのめり込むきっかけでもあった「釣りキチ三平」でその四万十川を舞台とした連載を読んだ。そこで初めて「アカメ」という幻の巨大魚の存在を知ることとなった。こうして小学生だった私に人生の二大テーマ(生涯願望)として「釧路湿原のイトウ」と「四万十川のアカメ」が後の人生まで君臨することとなった。

 

初挑戦1993年

アカメを認識し胸中に存在してから10年が過ぎた。体だけは一応成人になった。進学に伴い北海道に居住し願望の一つであったイトウは幸運にして上陸して1年目で釣ることができた。それでも「四万十川のアカメ」は片時も忘れはしなかった。時間とお金とキッカケさえあればいつでも行きたいと思いつづけていた。そんな中、北海道に来てから釣りが縁で知り合った札幌出身のT氏がいた。彼は中学時代から本格的にフライ、ルアーでのトラウト釣りに没入し、自転車で往復100kmの日帰り釣行もこなす熱血漢アングラーであった。ある時、そんな彼と釣り談義をしていた際、彼の心中にも「四万十川のアカメ」というテーマが存在していたのを知ることとなった。あるとき、T氏の自宅を訪れた際、彼が大事に保管していた釣り雑誌「Angling198911月号の特集記事「THE  AKAME 南国の巨大魚探釣」を手に取りながら二人は意気投合し熱っぽく語りあった。釣行を決意するのに時間は要しなかった。それまでもTV・雑誌等での「アカメ」に関する記事をある度に気に留めて見ていたが具体的な情報(場所、条件、釣法、タックルetc)は少なかったのに対し同記事はその点に詳細であった。おぼろげながらアカメ釣行計画の輪郭が形成され実行にあたり準備が進展していった。

19937月末日、北海道を出発した二人は125cc225ccの単気筒バイクで青森に上陸した後、陸路を南下し4日目に徳島に上陸。事前に徳島の友人宅に送り届けていたタックル等の荷物を積み徳島県東海岸を南下し高知県に入り、室戸岬を周り最初に訪れたのは奈半利川であった。有力ポイントであるという河口部を見た。アカメという特別な魚がいる川にしては特別な場所という感じはしなかった。奈半利川上流部北川村にあるキャンプ場を拠点にして活動を開始することになった。連日の雨天続きで川は増水し濁流となっていた。北海道を出発する時も連日の雨で気温は上昇せず7月だというのに家でストーブを焚いていた。この時点ではこの数ヵ月後「平成の米騒動」と呼ばれる大凶作の年になるとは知る由もなかった。キャンプ初日の夜、四国の夏は暑いので寝袋や上着は必要ないと認識し荷物リストから除外していた私たちは、あまりの寒さに愕然とした。翌日、ベースキャンプをそのままにして高知市内へ向かった。寝袋を調達するのと、もう一つの重要な目的であるアカメの実物を見る為であった。桂浜水族館に入り最初の巨大水槽に目的の魚はいた。ルビー色に光る眼で悠々と泳ぐ様に圧倒され水槽に釘付けとなった。その後、水族館には他にもいろいろな魚が存在し、見てまわったが今となってはアカメ以外の記憶は完全に消失している。奈半利川のベースキャンプに戻り早速釣り仕度にかかるが増水により濁りが出ている奈半利では確率が低いと判断し、このような状態では伊尾木川、安芸川、室津川で実績有り、との記事を読んでいたのでそちらへ行くことにした。結果は全くの無反応に終わる。当時の私たちはソルトしかもサーフでのルアーフィッシングは北海道でのピンクサーモン(カラフトマス)釣りくらいなもので技術的にも経験値も弱小であった。当時のタックルも今考えれば非力貧弱であり9fのミディアムクラスのトラウトロッドに2500番クラスのスピニングリールを装着。ラインは16lbナイロン100m直結、ルアーもK-TEN BLUE OCEAN2個とトラウト用ミノー少々。限られた予算の中で新たにタックルを揃えるだけの余裕はなかった。

東部での滞在に見切りをつけベースキャンプを撤収し西部へ向かう。今回の釣行の第一目的である四万十川を目指す。同時に台風が南太平洋から迫っていた。宿泊はキャンプという基本姿勢があったが台風の直撃が予想されたのでやむなく宿に泊まる。中村市市街地の手前にある釣具店中村Fセンターに足を運ぶ。アカメに関する情報を得たい一心で店員に「アカメを釣るために北海道からやって来ました」、と話すと快く応じてくれた。釣りキチ三平の舞台になった「井沢の切抜」ポイントへの行き方を詳しく教えてもらい。最近の釣獲情報を聞くが今年は全く釣れていないとのことであった。話の最後、店員が「三平に登場した潜水艦(巨大アカメ)あれはまんざら大袈裟ではなく実際にあれくらいのがいる!」目撃者が多数いるとのことであった。無邪気な少年のままの私はときめいた。2日後、台風は雨を大量に降らし北に抜けていった。四万十川はコーヒー色の濁流となって増水した。この状態でのアカメ狙いは分がないと判断し水量が落ち着くまで四万十川を源流まで探訪することとなった。中村市から川沿いを上流方向にバイクを走らせる。十和村までの景観はかねてより憧れであった川だけに感嘆を与え、途中幾度も足を止めさせた。終日走り東津野村の不入山にある四万十川源流点に到着。そこから下流へ向かい往路を戻る。3地点でキャンプし、日中は川で泳ぎまわり、晩飯用のアマゴを釣る。しかし台風は去ったもののスッキリと晴れることのない小雨まじりの天候がつづく。ようやく台風による増水が引いてきた頃、我々は最下流の中村市に戻ってきた。四万十川橋(通称:赤鉄橋)の下をベースキャンプとして本番行動に着手する。何らかのアカメ釣り情報が得られるのではないか、国道橋至近にある岡田釣具店を訪ねる。現時点でのアカメ釣獲情報は皆無であり、こんな全くダメな年も珍しいと聞かされる。気を取り直し、明るい時間にポイントを下見。日没よりベースキャンプからポイントへ向かう。川は闇の中を滔滔と流れている。これまで視覚による感覚だけに頼ってルアー釣りをしていた私にとって暗闇での操作技術や感覚の不足を自覚すると同時にこんな状態でアカメを狙うのは、憧れであり畏敬の対象であるアカメに対して無礼なことではないかという思いに駆られる。二人は毎晩、ポイントに繰り出し静まりかえった闇の中へにルアーキャストを繰り返す。ただの一回も生命反応を感じることはできないまま日程は終了した。「アカメは無理でもシーバスくらいは」という甘い考えも簡単に抹殺された。必ずや再び来ると心に誓い二人は四万十川を後にした。

翌年、1994年の夏は前年の冷夏が嘘のような各地で水不足、最高気温を記録更新させる猛暑になった。そして、四万十では30`超の日本記録のアカメをはじめとして数々のアカメが釣られたと、複雑な心境で雑誌の記事を読んでいた。

 

再挑戦2001 

20016月、初挑戦から既に8年が経過していた。この間、北海道でのイトウ釣りに没頭するがアカメの存在が頭から消失することはなかった。前年20007月偶然手にした釣り雑誌「ルアーフィッシング情報8月号(特集:夢のアカメに挑戦)」は種火となっていた炎を増大させた。同年11月、約10年に及んだ北海道での生活を終止し神奈川県に転居していた。私情により釣りに行く機会は減り、枯渇していた自己の存在感を復元させてくれるアカメに思いを馳せていた。20016月末、大阪で友人の結婚式に出席後、徳島を経由しアカメを求め南下。最東部の室津川から攻め始め、各ポイントを攻めながら西へ向かう。2日間太平洋沿岸を転戦し再び憧れの地、四万十川へ来た。今回の釣行では、8年前の初釣行時と比べ、Web等で事前に大量の情報を入手していた。特に着目すべきは、これまでアカメの最盛期とされていた真夏(78)以外の時期も釣られている?らしいということに加えて、これまで汽水域のみにしか生息しないと思っていたが、河川域から離れた地磯、サーフ、堤防でも上げられている?ということであった。この点に留意しながら2日間攻め通したがルアーから生命反応を感じることはできなかった。8年ぶりに訪れた四万十川は前回と比べて視覚的な印象はだいぶ違って見えた。生態的に影響はないとされる多自然型工法により進められた護岸整備。小奇麗になった川岸や河川敷に出現したゴルフ場を見て、かつての素朴な風景が懐かしく、どこにでもある都市近郊河川に類似していく質感に恐怖感を覚えた。日没までの時間、最下流域をくまなく見てまわる。日没間際かつて攻めたポイントの対岸から入る。浅瀬を流芯に向かい限界まで進む。10fミディアムクラスの大型トラウト用ロッドに3000番リール、18lbPEメインラインに2050lbテーパーショックリーダーを接続。前回時と比べタックルは多少進化し、ルアーの飛行距離は格段に増大した。しかし、この時点でも自己の釣り技量の大半は日中トラウトの経験から蓄積された感覚と技術によって形成されていた。北海道を離れてからシーバス狙いで東京湾、湘南を数回釣行したが、たいした成果を上げられておらず技量不足の感は否めなかった。上、下流両方向に移動しながら一晩中攻め続けたが反応は無いまま朝を迎える。4年前宇和島に在住し、この対岸でかなりのサイズのアカメをヒットさせ30lbラインを切断された経験を持つ後輩のW氏に電話し再度その時の状況をヒアリングする。水温がまだ低いのか?時合と場所の設定が違うのか?いろいろと詮索する。四万十川で2回目の日没が訪れる。ポイント設定を河口部に変更する。僅かでも水温が高い所のほうが可能性があるのではないか?と判断した。河口左岸のテトラ地帯を先端に向かい進む。不整列に配置され、波により侵食された表面は行く手を困難にさせた。ヘッドランプで足元を照らしながら時間をかけて進行する。時折、河川内にある港に帰還してくる漁船が目の前を通過する。航行によって生じた波動が足元に迫り水飛沫が身にかかる。途中、大型の漁船がサーチライトでこちらをスポット照射してくる。ここで釣りする人間は珍しい?のか、自殺者ではないか?と、どう思われたのかは定かではなかった。進行限界の地点からフルキャストでルアーを投げ、泳がせ続ける。気配のかけらも感じることも無く外道魚の反応も無く終息した。夢をそのままに四万十を後にした。

 

移住挑戦2002年〜

紆余曲折した時節を経過し、ふとしたことから四国へ移住することが現実となった。20029月、思い馳せた四国の地に居住することとなった。焦ることはなかった。定位することとなった愛媛県松山市の至近水域にアカメ生息していないのは百も承知であったが、距離にして150km、時間にして4時間足らずのところに生息場所が存在するということに安堵していた。人それぞれ持ち合わせている感覚に差異があるのは当然であるが、かつて北の地でイトウを追い求めていた時の距離感覚からすれば遠方という感覚はまるで存在しなかった。本格的なアカメ狙いの前にまずは日曜日毎に松山市近郊の場所でシーバスを狙うことから始めた。イトウを狙うときもそうであったがその前段階としてのアメマス釣りによる経験の蓄積が重要であったのと同様にシーバス釣りにより得られるものに必然性を感じた。瀬戸内海西部エリアでのサーフ、河口、河川下流域においてシーバスを狙い始めた。予想外であったのは、「全く釣れない」ことであった。干満の最大潮汐差200cm、縦横無尽に移動するベイトフィッシュを捕食対象とした回遊特性は、これまで身につけた経験則での攻略は困難であった。むさぼるように書物からシーバスの回遊特性、潮汐による行動様式等を吸収しタイドグラフと気象条件を確認しながらの釣行が開始された。そんな中で知り合った地元アングラーの方々から享受いただいたことは多大な糧となり血肉となった。道具に対する認識も変わった。かつての道具選択の基準として性能や特性より金額的経済性を優先していた。極端に言えば「釣りは道具ではない」と固い信念を持っていた。一流のマラソンランナーがバーゲン品の靴を履いて走らないように、技能の向上を目指すアングラーは道具に関しても特性を十分に理解した上で選択し活用しなければならないと思い始めるようになった。特に視覚情報量が低下する夜間釣行ともなれば手元に伝わる感覚を頼りにするウエイトが高くなり、感覚器としての道具の重要性を認識した。以上の点をある程度踏まえて上での道具選択と毎週末のシーバス釣行を重ねることにより徐々に釣果を導くことが可能になっていった。ショアからのウェーディグによるマズメと夜間時のシーバス狙いを主軸に日中のトップウォータープラッキングによるシーバス狙い、従来からの渓流河川によるトラウト狙い、トラウトタックルを流用したメッキやアジ等の小型回遊魚狙い、エギングによるイカ狙い、ライトウェイトルアーによるメバル狙い等多面的に釣りを経験していく。それぞれのカテゴリーでご指導いただいたアングラーの方々に感謝の念は尽きない。

 

 

挑戦奔走2003〜2004年

2003年春、夏季を前に本格的にアカメを狙うのにあたり情報収集と計画を策定していた。前年に釣りビジョンで放送された村越正海氏による「日本最後の釣りロマン、幻のアカメを追う・高知編」のビデオを繰り返し見ていた。なんとなく判ったことは、@村越氏のような経験豊富で技能的に一流のアングラーが短期間粘り通しても釣ることは困難である。A河川及び汽水域から離れた場所でも十分可能性がある。B場所と条件さえ揃えば日中でも可能性がある。他にもアカメに関するWebや雑誌に加え、魚類学としてアカメを研究している研究者の方々の研究報告書、学術論文に目を通していた。行動様式や生態に不明な点が数多くの謎に包まれているが、これまで漠然としていたアカメ関する知識が徐々に増していった。ポイントとして狙うべき場所の国土地理院発行1/25000地形図と空撮写真を揃え、会社から帰宅するとこれらを眺めながら毎日、思案に耽っていた。2003年は52週目より1週間おきにアカメを狙い釣行。東は室戸岬から西は愛媛県南部御荘湾までの分布していると思われる範囲を巡る。初期はこれまで、攻めたことのない場所をまわり、コア・シーズンは過去に実績があると思われる場所を重点的に攻めた。83週目、状況的には良好と思われた仁淀川下流域でkomomoSF125にヒット。何者か確認できないまま暴力的な加速によりドラグ作動状態のまま20lbメインラインから切断される。その時以外は、アカメの存在及びその可能性を僅かでも感じることはできないまま冬を迎えた。

2004年春、アカメと同じくらい釣るのが難しいと思っていたサツキマスが数回の釣行で連続して釣れた。技量も大事だがタイミングと場所はそれ以上に重要だと感じさせられる。とにかく通って粘り続けるしかないという激しい思い込みにより54週目から毎週アカメ狙いの釣行が続いた。これまでは土日連休の時に限っていたが、この頃からは日帰りでも行くようになっていた。以後、土曜日の晩に自宅で寝ることは皆無になった。6月の34週目は台風の接近と梅雨前線により降雨量が多かったものの、7月に入ってから降雨の無い猛暑が続き川は渇水状態になった。74週目に台風が襲来するまでの半月間は高知県各地で集中的にアカメが上がった事実を後に知ることとなる。

20048月末、以前から気になっており過去に一度だけ攻めたことのある東部の無名河川を再び訪れた。河口から沖に向かって突き出したテトラ帯から河口付近を狙っていた。闇の中でこちらに差し込む光があった。明らかに誰かがこちらの様子をうかがうように懐中電灯で照らしている。しばらくして雲行きが怪しくなり上空から雷音を聞いたので中断して車を停めたところに戻ろうとする。途中の岸壁上に懐中電灯を持ちこちらを向いて立っていた男がいた。年の頃は自分と同じくらいであり、風貌はヤンキー系、釣り人には見えなかった。彼は「何釣っとるが?」と低い声でたずねてきた。「アカメ」と発しそうになった言葉を殺して「シーバス!」と言い、続けて「運が良かったら、アカメが釣れるかもと思って!」と答えた。彼は「この場所、誰に聞いた?」と聞いてきた。私は誰に聞いたわけでなく、なんとなく良さそうな感じがしたのでここに来たことを正直に告げる。彼は私の札幌ナンバーの車を指差し「北海道から来たのか?」と聞く。北海道には4年前まで住んでいて現在は愛媛に住んでいることを話した。彼はすかさず「北海道ではイトウを釣ったことあるのか?」と聞いてきたので「9年間で90匹ちょっと釣った」と答え、愛媛に来てからアカメを狙っているがまだ一匹も釣っていないと話した。私のことに興味をもったのかは定かではなかったが、続けて話しかけてきた。彼は「この場所は凄いアカメがいる」と発した。ロッドは何を使っているかと聞いてきたので持っていた愛用のPLUGGING  SPECIALCPS112を見せた。彼は「この場所でこのロッドで上げるのは無理」と即答した。そして彼の車に誘導され通常使用しているアカメ用タックルを見せてもらい説明が始まった。Surfstar-SGP96Hにツインパワー8000HG、大型アカメはこれでは非力なので最近ではGT用のカスタムベイトロッドを専ら使用。メインラインPE4号にショックリーダー130lbを結節。それでも切られることがあったので最近は170lbを使用。ルアーは殆どが17cm以上、フックはST-66標準、自作したという巨大なギャフ・・・・。驚愕した。アカメという魚のパワーは想像していた以上であった。彼の話によれば2030`クラスは既に数本上げていて、ヒットしても上げられないが確実に40`を越えるアカメがいるという。これだけの重装備タックルと巨大ギャフを担いで乱雑に配置され安定した足場のない、手ぶらで歩くのさえ容易でないテトラの先端まで行きロッドを振るのは常人の体力では不可能だ。彼に言わせるとこの場所は確実にアカメがいるポイントであるが、キャッチまでの難易度という点では高知にある数あるアカメポイントの中でも極めて高いという。そして彼は私に遠まわしな言い方で他の場所で狙うことをすすめた。つづけて彼が質問した。

彼:「アカメ釣りをしていて他の釣り人に話しかけられたことがある?」

私:「殆ど無かった!」 

彼:「だろう。アカメを狙っている常連が話しかけてくることは滅多にない。」

特に釣っている人間程、口を開かないという。私はかつてイトウ釣りでも経験したことだが幻という枕詞が付いた希少かつ特殊な魚を求め、熱に魘される重症患者は概して釣り場で多くは語らない。最後に彼は私に警告とも受け取れることを告げた。最近、地元アングラーと遠征アングラーが入釣ポイントをめぐりトラブルが各地で頻発している。このポイントでも2週間前に岡山から来たアングラーが入釣場所をめぐり地元組の顰蹙を買い集団リンチの如く車ごと襲撃されたという。どうやらアカメという魚は物理的なパワーだけでなく人を熱狂させ、理性や判断力までも支配してしまう魔力を持っているらしい。その後、私がその場所でロッドを振ることは無かった。

8月から9月にかけては毎週のように台風が襲来した。近年では最も台風の上陸回数が多い年となった。太平洋に注ぐ全ての河川は増水を繰り返し慢性的に濁流となっていた。東部の小河川が流れ込むサーフに通うことになった。捕食対象となるアユ、フナ等のベイトフィッシュが海に流されることで期待できる状況だと判断した。台風接近時には波も高い状態であり危険と直面し苦戦を強いられた。波打ち際まで過度に前進すると体重の軽い私は引き波で容易く引き込まれそうになる。通常使用の11fから14fロッドに替え可能な限り足場を後退させて攻めた。それでも、新月で人工的な明かりもほとんど無い闇の中、サーフを攻める時は強度の恐怖感に襲われた。前方視界を奪われた闇の中、轟音とともに急接近する不定形な波頭は、かつての日没間際の密林原野での野生獣の恐怖に匹敵するものであった。幾度となく攻め繰り返されたがヒラスズキ以外のヒットを得ることは出来なかった。

828日に放送されたNHKスペシャル「四万十川、驚異の汽水域」水中カメラによって捉えられた巨大アカメの群れ、汽水域の水中で起こる様々な映像は衝撃を与えた。ナレーションを暗記してしまう程、平日の帰宅後に繰り返して見るのが日課になった

10月に入り冒頭の大型シーバスには興奮を覚えたが、アカメを掴むことのないまま時間は過ぎていった。102週目より、以前からアカメの絶対数が一番多いと思われる水域である高知市市街地の浦戸湾へ通う。高水温が保たれる場所故に冬季でも十分に可能性はあると思えた。しかし、車を停める場所に苦労するのに加え夜間にウェーダーを履いてフローティングベストを装着した格好で住宅地を徘徊している時の一般人からの怪しんだような視線が痛かった。それよりも人工的な質感の中で憧れの魚を求めることに違和感が生じ長続きはしなかった。そうこうしているうちに2004年は終わった。

 

 

いざ、決戦 2005年夏

2005年正月、四国に居住することとなって早くも2年半が経過した。アカメに対して当初の漠然とした予想では2年くらいで小型のサイズであれば、まず1匹は釣獲できるであろうと思っていた。しかし現実は遥かに厳しかった。確実にアカメと断言できるものは1匹たりともヒットすらしていない。過去20年以上釣りをしてきた中でこれほど釣行回数を重ね時間を費やしても釣ることのできぬ困難な対象魚は経験していなかった。これまで経験してきたあらゆる釣りに関しては過去に蓄積された経験則と他人事例に基づいた手法によってそれなりに結果が弾き出されたが、アカメに関してはそれが通用しない。一体、何がそうさせているのか。生涯狙い続けても死ぬまでに釣ることはできるのか。疑問、不安、焦燥、様々な思いが頭の中を駆け巡る。安堵感と冷静さを欲していた心体は本能的に四万十川の川岸沿いに向かわせていた。もう一度、頭の中をリセットし、これまでに、自分が体感し見聞きしたこを洗い出し整理することで何かヒントになることがあるかもしれないと考えた。どうしても自分の過去の経験から同じ「幻」と称されるイトウと比較してしまう。以下に列挙してみた。

@絶対生息総数は分布域の広さからイトウよりアカメのほうが多い。 

 Aどちらも川と海を行き来するがそもそもイトウは淡水魚でありアカメは海水魚である。(イトウは純淡水にも純海水に定位できるが、アカメは純淡水には定位できない)

B世界に分布している同属亜種の中でイトウは南限、アカメは北限に分布している。

 Cイトウは低水温で活性が上がり、アカメは高水温で活性が上がる。 

 Dどちらも魚食性を有するが、捕食形態はイトウが噛み付き型であるのに対してアカメは吸い込み型。

 Eイトウは産卵メカニズムを含め詳細に生態が解析されているが、アカメは生態等に関して不明な点が多い。  

 Fイトウを居住地から毎日のように狙っている釣り人が殆どいないのに対してアカメは居住地から毎日釣行している人がいる。(都市と生息分布域の距離)

G総キャスト回数に対するヒット率についてイトウは60cmまでの小〜中型ほど高く、アカメはサイズに関係なく総体的に低い。 

 

列挙した中でDの捕食について熟考してみた。四万十川沿いのアカメ館に置いてあるアカメの剥製と隣の水槽で泳いでいるアカメの口を注視する。歯は確かに鋭利であるがイトウほど鋭くはない。泳ぎ回る魚を追いかけて捉えるのにはイトウの形状のほうが優れていると思った。魚を捕食するのに特別優れた形状でない口を持つということは、もしかしたら、確かにアカメは魚を食べるが総摂餌量に占める魚の割合は思っていたほど高くないのでは? であるなら一番多く摂取される餌は何か?海老か?ならばソフトルアーやフライで海老を模したものが有効なのか?しばらく考え込んだ後、しかし、魚を食するのは間違いないのだから今まで続けてきたミノーを主体としたスタイルで狙うことを前提に、どのような方策が有効なのか、という方向性で推測することにした。帰宅後、NHKスペシャル「四万十川、驚異の汽水域」の水中映像を再度、繰り返し見る。汽水域の水を真横から見ると淡水より比重のある海水は下層にあり淡水との塩水淡水分離境界線(ハロクライン)によって分断されている。番組映像の中でアカメが下の海水層から上の淡水層に移動し再び海水層に降りてくるのがあった。それとは逆に淡水魚である鯉が淡水層から海水層に入り込み、慌てて淡水層にもどるシーンがあった。ナレーションでは「体に付着した寄生虫を取り除く為だと、考えられて・・・」とアカメが淡水層に行く理由を説明していた。自分もアカメになったつもりでイマジネーションのスイッチを入れる、アカメはこの境界線を捕食の為に利用していないか?淡水層から海水層に入り込んだ淡水魚が動揺する時は比較的捕食し易いのではないか?そうであれば捕食モードのアカメはハロクラインのエッジ付近及び直下にいて待ち伏せしているのではないか?という仮説を立てた。アカメがこの壁を利用し、塩水層に滑り込んだベイト魚を下から突き上げるように突進し大きく口を開けて大量の水もろとも吸い込むシーンを脳内にイメージした。ハロクラインは常に水面から一定の位置にあるのではなく潮汐や河川の水流変動、風等の状況と場所によって上下し常に水平でないことが文献等を調べているうちにわかった。このハロクラインの形状が真横から見たときに水平よりも斜めになっていたほうが捕食対象魚の侵入してくる頻度が高いのではないか? また、ミノープラグで攻めることを前提に考えてみた。ある程度の飛距離を出して着水後、流れの中を泳ぎハロクラインに接近し、塩水層にドロップアウトしていくような泳ぎを演じるには操作性が重要であり、ロッドティップからのライン角度とラインにかかる水流抵抗を考えればハロクラインは水面から近い位置即ち、海水層がより上昇することが望ましいのではないか? このようにハロクラインが上まで移動しやすく、かつ傾斜するような場所はあるのか? あるとすればどこなのか?増大する問いにとりつかれながら四万十川下流の国土地理院発行1/25000地形図を眺めていた。川幅が狭くなるところ、川底が傾斜している地点、または巨大なストラクチャーがあるところがそれにあたるのでは?と考えた。捕食状態のアカメが存在する可能性のある地点をリストアップしていった。しかし、一番肝心なのはある程度集団化したアカメ個体群がどのように回遊し、捕食を行う確率の高い地点は果たして何処か?というのが最大の疑問点であった。それに付随して回遊ルートは決まっているのか?ある程度決まっているとすればそれは状況、条件によって変化するものなのか?回遊ルートのスタート地点とゴール地点はあるのか? 回遊ルートに規則性や法則はあるのか?疑問点が止め処なく次々に噴出してきた。推測をまとめ仮説を整理した。日中、アカメは水深のある塩水層の最下部付近にステイし、日没間際から捕食活動を行う為に回遊を開始しルート上の何箇所かでハロクラインのエッジ付近に接近し捕食を行うのではないだろうか。そして、回遊する方角はステイ地点から上げ潮であれば上流方向へ、下げ潮であれば下流方向ではないか。ステイ地点として流域において最も水深がある2地点に仮定し、そこから上流方向、下流方向それぞれで捕食活動するのに相応しい地点を探ることにした。

20056月第1週末より、仮説に基づいた検証と実釣を行う為、四万十川通いを始動した。この時点においてはこれまで高知県沿岸全域を視野に入れ広範にアカメを狙っていたが、視点を四万十川に絞り込んだ。アカメ認識の出発原点にたちかえる事と、前述の捕食活動仮説をベースに狙う事を念頭に置いた。最も低潮位となる日中の干潮時、ウェーダーを履き偏光グラス越しに水中の地形状態を観察し捕食場所として成立しうるかどうか推測判断しながら遡行する。同時に夜間釣行時にルアーロストと水中歩行時の転倒を回避する為に水中に沈めてある柴漬漁用の柴やウナギ捕り用の仕掛けとそれらを繋いでいるロープの位置を確認する。気温35℃、炎天下の日差しは容赦なく頭上から照りつけ、滝の如く汗が流れる。自らがアカメになった気持ちでこの炎天下の日中ならどこにステイし夜になったら餌を求めどこをどのように泳ぐのか目視で見える範囲の水底を観察しイマジネーションを働かせながら川を徘徊する。これを毎週、土曜の日中の干潮時繰り返す。自分なりに仮想回遊ルートと捕食スポット3地点を導き出す。3地点のうちの1つは、地元常連組が毎回入釣し昨年、最もアカメが釣獲されたらしい場所だった。私も数回この場所は攻めていた。以前は単に釣果情報が釣り人をポイントに誘引するのであって、客観的に確率が高い場所とは思っていなかった。しかし、あらためて地形観察して捕食に適した場所であるということを認識した。先入観や思い込みが全くプラスにならないということではないが、それだけに頼ってしまわずに別な視点からのアプローチが大切であることを知らされたような気がした。

翌週もまた翌週も四万十川への釣行が繰り返された。金曜晩に会社から帰宅後即出発し深夜に現地着。到着後即、実釣を行い土曜の朝を迎える。金曜の朝から睡眠を得てないのでこの時点で意識が朦朧となり、橋下の日陰に行き意識喪失する勢いで熟睡。3時間後起きて、前述の仮説を検証すべく川に入る。夕方、再度2時間程仮眠し日没30分前に実釣開始場所に入る。13箇所のエリアを実釣しキャストを繰り返しながら日曜の朝を迎える。毎週末がこの繰り返しであった。ロッドを通じて生命反応を感じることも、同じ場所で他のアングラーによりアカメが釣獲するのを目撃することも無く時間は過ぎていった。

 

2005730() 深夜現着後、満潮0時を過ぎ実釣開始。長潮廻りで流速はそれほど速くはない。730干潮ピークの3時間前の430過ぎタイドグラフでの潮位が1mを下回った頃、私のスタンディングポイントから下流側3040m付近に立ち込んでいた大阪からの遠征三人組の一人がヒットさせた。これまで幾度となくアカメ狙いで釣行を重ねたが実際のファイトシーンを直視したことが無かっただけに単に他人事でなく自らに興奮と刺激を与えた。ドラグの作動音と魚体が水面上を躍動する音が耳に入れながら、私はただ黙々とキャストを繰り返す。ランディング後、撮影による閃光が漏れ彼らの悲鳴にも似た歓声が耳に入る。会話の内容から60cmくらいであることが聞こえてくる。30分後夜が明けた。気がつくと川にはキャストを繰り返す私の姿しかなかった。いつものように日中の時間を過ごした後、日没時再びこの地点を訪れる。

 

2005731() 日没時より上下流両方向に遡行しながらキャストを繰り返す、反応もさることながら気配を感じることは無かった。午前1時の満潮を過ぎ、流れ始めた頃、流芯よりやや対岸寄りから鈍い捕食音が聞こえてきた。音源のやや下流側に移動しフルキャストを繰り返し思い描いたライン上をトレースする。午前2時半、宿毛市在住の釣友の車が到着し話しをしようと一時、川から出て釣友のところに行き会話している時であった。私が立っていた位置より僅かに下流に入っていた別の大阪からの遠征人にヒットした。ロッドの軋む音、ドラグ音、水面上に跳躍する音。昨日早朝に見たのより大きいと判断できた。釣友との会話は途切れた。約10分間のファイトの末に釣獲されたのは70cmを少し越えるサイズであった。既にその時点で私の足はヒット地点から30m下流を目指し早歩きになっていた。川岸から約10m先に浸りキャストを繰り返す。10m上流側に釣友が入り、30m下流側には別なアングラーが入っている。約300mの区間に68人が立ちこんでいた。闇の中で各々のロッドから発せられる風きり音、ライン放出音、ルアー着水音が響いた。各々は精密な機械のように一定の周期で動作を繰り返す。各人の誰しもが己の人生を変える一瞬を待っている。昨晩の長潮と比較し今日の若潮は明らかに流速が早まっていた。夜明けというよりは日出の始まりに近いAM44570m先にフルキャストした私のライン先端上のレア・フォースは静寂を破った。薄っすらと照らされはじめた水面は飛沫を上げながらゆらめいた。風神Z86MHのロッドティップはトルクを捉え、ドラグは動作を開始した。僅か30秒で生命感は喪失する。フックアウトであった。刺さり優先でバーブを潰していたST412はロッドワークの不足により、いとも容易く抜けた。1分間、虚脱感と周囲からの視線に襲われた。何事も無かったかのように粛々とキャストを続けている。気が付くと日は高い位置にあり、上流側にいた釣友以外の姿は無かった。そして誰もいなくなった。バラシから3時間が経過した午前7305時間立ち続けた地点から足を一歩ずつ車を停めてある上流側に移動した。30m程歩いたところで前方の水際線至近の浅瀬に移動する波紋があった。5mに接近した時に黒色の魚体であることは確認できた。鯉? 息を殺しゆっくりと近づく。体が凍りつく。朝日を浴びて黒鉄色に輝く50p程のアカメ。頭を下げてしゃがみこみ、顔を向ける。恥ずかしそうに反転し、ゆるやかに沖へ泳いで行く。河原に座りこむ。また、アカメに会えるのを期待したのか、長時間立ち続けていた疲労感がそうさせたのか意識は遠ざかっていく。

 2005820() バラシから3週間が経過した。その後も毎週、訪れたがキャストしたルアーは無接触のまま泳ぎ続けた。土曜日、会社から帰宅した昼過ぎ自宅を出発。先週、渇水状態で貯水率0%になった高知の早目浦ダムが前日の雨で渇水を回避できる見込みとのラジオ報道を聞きながら南下。塩分濃度と水温が低下しアカメの活性が低下するのではないかと危惧していた。四万十市に勤務している釣友に現在の四万十川の状況をメールで質問した。すぐに返信が有り、濁りも水位上昇も現段階では発生しておらず四万十流域での降雨量は心配する程ではなかったようだ。PM18:00、ポイントを見下ろす高水敷に停車。2週間前ここで声をかけられたことから知り合ったM氏がいた。彼は毎週末、兵庫県姫路から5時間以上かけて四万十に通っていた。彼も私と同様未だアカメを一度も手にしていなかった。先週、同じ地点でロッドを振っていたが途中から別々のポイントに移動しそのまま会っていなかった。彼の車の後ろに自車を停めた。丁度、彼も入釣前のセッティングをしていた。私の顔を見るなり言ってきた「Sさん、先週僕と別れた後もしかしてアカメ釣りました??・・・次の日、寝ている時、夢で見たんです。隣で釣っているのを!」

悪い気はしなかった。彼は私に訊ねた。「ここのポイントに入りますか?」私は「ここでヤル」と答えると、彼は昨日晩に入ってダメだったので他の気になるポイントに入ると言いその場を離れた。準備を終え、川岸に降りる。若干日没時刻を過ぎたが屈折した太陽光が僅かに水面を照らしていた。濁りは発生してなかった。水温も低下していない。期待感が高まる。遠投性を優先して選択したSurfstar-SGP96Mは軽快にルアーを飛行させる。開始から10分、泳がせていたアスリート14Fが弾かれるような衝撃を受ける。明らかにショートバイトした。前回のヒットルアーARROWSレア・フォースに交換する。満潮時刻から1時間が経過し流速はタイドグラフの急傾斜通りに加速する。正面にフルキャスト後、流れに乗せながらロッドティップを下げイメージした塩水層のエッジに潜航させU字にターンさせる。キャストワークを繰り返しながら下流側に一投毎に移動する。PM20:40U字反転直後、魚信を捕まえる。間髪入れずティップをストロークさせる。前回と同じ轍は踏まない強固な執念がプッシュさせた。ドラグ音を伴いながらラインは下流側に引き出されていく。引き出し速度が緩み始めた時、全身は水面上に2回跳躍した。月光の照射を受けた魚体シルエットが浮かび上がる。アカメに相違ないことを確信。ラインテンションを保持しながらロッドティップが水面を突くくらいに降下させ跳躍によるフックアウトを回避させる。シーバスに換算すれば80cmクラスのパワーと感じられた。5分で有視界に入ってきた。LEDヘッドランプの照射光を反射しルビー色に輝く点を捉える。抵抗はそれほど激しくはなく難儀することは無かった。軍手をはめた左手は下顎を掴んだ。瞬時に脳内神経回路内を電気刺激は通常経路を逸脱し、シナプスを介した刺激の総和は極大値を越えた。釣り師は無邪気で純真無垢な少年になった。59,5cm決して大型であるとは客観的に言えないだろう。しかし、一つの夢でありテーマがここに区切りを迎え完結した。

 リリースした魚体を見送り、数分と経たないうちに先程まで川面を照らしていた月は雲に隠れ漆黒の闇になった。彼方からの雷鳴とともに激しい雨が降り始め火照った身体を冷やした。発起し初挑戦から12年、60回に及んだ釣行を懐かしみ、私は生涯一時期の舞台としてくれた四万十川を後にした。



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