めんどくさい文章
何かをしていても、何もしなくても時間は経つもので、
勝手に大人になってしまうし、体も成長してしまう。
過ぎ行く時間の中で時には新しい何かを見つけ、時には大切な何かを失い、
努力しているような、していないような気分で必死に自分を探して生きている。
探したところで見つかるはずはなく、年と体だけが成長してゆく。
時間は待ってくれず、一人前の大人として世間から見られてしまう。
背伸びして、カッコつけてみても、後でむなしくなるだけで、答えはどこにもない。
自分を信じて生きるしかない。今を信じて生きるしかない。
ぼんやりと答えは見えているようだけど、現実なのか夢なのか自分ではわからない。
そんなスリルと夢をみながら自分勝手に生きている。
結局は死ぬまでの時間稼ぎであって、魚を釣ろうと、社会のために働こうと、
自分の家族を養おうと、皆同じ。
自分のやりたいように生きればいいことであって、
世間が気になるなら、自分が気になるなら、それに合わせて生きればいい。
文句を言いたきゃ言えばいい。我慢するならすればいい。
自分に無理なく生きるが勝で、「いい人生だったよ」と最後に言えた人が人生の勝者だろう。
その一言を言えるか言えないかはそのときになって見ないとわからない。
今をどう生きたって、後悔は必ず現れる。
どう生きようと自分に跳ね返ってくる。
そうやって世の中はうまく回っているんだ。
子供じみたことかもしれないけど、頭の中がカチコチじゃあ文句しか出てこない。
いかにうまく考えるかが問題で、腹を立てないようにうまく生きる。
なんかめんどくさい文章になってしまった。
心の中にあるモヤモヤがこんな形に表れたんだろう。
こうやっていろいろと考えられる今があることに若さと幸せを感じて・・・
などと書くのも背伸びしているかもしれない。
ニュージーランドにいるんだから、ニュージーランドの川をたくさん釣り歩いて、
大きな魚をたくさん釣って、それだけが今の幸せだろう。
そして後の事は、また後で考えることにしよう。
めんどくさい文章はもうやめよう。
02年3月2日 Hurunui Riverより
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