白神山地赤石川 〜友釣りで金鮎を釣る〜
白神山地の核心地域を縫って流れるのが赤石川。そしてこの川にだけ金鮎が棲む。白神の森が金鮎を作り、金鮎の名は全国に広まった。
友釣りは鮎の習性を利用した古くから伝わる釣り。鮎は石につく苔を食べ、その苔のつく石に縄張りを持ち、縄張りに入ってくるほかの鮎を体当たりして追い払うと言う習性がある。友釣りはおとり鮎に、針をつけてその縄張りに送り込む。体当たりする鮎がおとり鮎の針に掛り、釣れるという仕組み。そしておとり鮎を新しい鮎と取りかえ、再び別の縄張りの鮎のもとへと送りこむ。
つまり餌を針につけて、魚の口に針をかける釣りとはまったく異なり、縄張りを持つ鮎がどこにいるかを見極め、川の流れを読み、おとり鮎をいかにうまく泳がせ、ねらった鮎をかけるか。これが友釣りの面白さなのである。
川にたって、竿を握る。おとり鮎の動きが手に伝わる。ミンミンゼミが鳴き、石にトンボがとまる。川なのかの鮎を頭の中にイメージして、釣り師は森と同化するのである。
白神山地赤石川 〜マタギという生き方〜
熊などを狩猟して生活してきた叉鬼(マタギ)は白神山地を仕事の場所としてきた。赤石川一体の鯵ケ沢マタギのシカリ(統率者)吉川勝太郎は生涯のうちで100頭以上の熊をとったと言う記録がある。世界遺産に指定された白神山地そして、マタギが生活の場所としてきた白神山地。この核心地域を歩くことも今回の旅の目的だった。写真は樹齢300年以上のブナ。
白神山地赤石川 〜マタギという生き方その2〜
今回赤石川で滞在したのが、熊の湯温泉。鯵ケ沢マタギのシカリ吉川勝太郎の孫、吉川隆が経営する宿。宿の裏に2頭のツキノワグマが檻にいる。玄関前に裏山から沢水を引いた池があり、友釣り用のおとり鮎とイワナが泳いでいる。敷地の隅に小さいけど現役の炭焼きの窯がある。必要最低限の素朴な宿だった。
料理は、山菜とキノコ、川魚がメイン。品数とバラエティが豊かで、上手に保存した山の幸で驚くほどにもてなしてくれる。
これが吉川隆が選んだ道だったとは、白神山地の核心地域を10時間吉川さんと一緒に歩いたことで知った。写真はブナの倒木から出ていたキクラゲ。
白神山地赤石川 〜マタギという生き方その3〜
写真は「クマゲラの森」と言われる白神山地の核心部。車止めのゲートから歩いて6時間。今まで一度も木が切られたことがない原生林にもっとも近い森。原生林と聞くと大木がたくさんあるイメージだけど。ここの森は、明るく、広く、静かだった。前を歩く吉川さんはまるで自分の庭を歩くようだった。
白神山地が開発によって木が切られ始めたとき、吉川さんは先頭に立って自分の森を守った。その結果、白神山地は世界遺産に登録され、たくさんの人が訪れる場所になった。もちろん自然保護のため狩猟、釣り、キノコ、山菜採取は禁止された。つまり、仕事場だった森を失ってしまったのである。
吉川さんにとって何がつらいのか?仕事場を失ったことがつらい訳ではない。たくさんの人が訪れるようになった訳でもない。吉川さんにとってつらいことは、森にキノコが出てても採れない。川に魚がいても採れない。クマもウサギもヤマドリも獲物がいても採れないのである。つまり山の恩を獲ることができないことがつらいのである。人と森を切り離せば、それで自然は守れるのか?マタギは森を利用しながら守ってきた。なぜ森が大切なのかを知っていた。森と人とがどう生きるか?その答えをマタギは知ってるのである。
山の恩を捕らえ、いただく。木を切り炭を作る。身の回りの自然の中で、必要最低限の物の中でマタギは生きてきた。「熊の湯」の食事は野菜が取れる季節なのに、テーブルには漬物の野菜や漬物の山菜、キノコなどの保存食でもてなされる。山に入ることが仕事だから、山に入れなくなるようなことはしない。マタギという生き方を、吉川さんの背中を見て白神の森を歩くことで、なんとなくそう感じた。
白神山地赤石川 〜金鮎を釣る〜
青森県鯵ケ沢町 白神山地を流れる赤石川も通いはじめて3年目。今年は金鮎に出会うために、この季節を選んで北海道から海を渡った。今年の赤石川は渇水が続いていたらしかったが、ここ最近の雨でようやく赤石川らしくなったと、赤石川に住む吉川さんは言う。
先日の雨でやや濁りがあるけど、あまり人が釣らないような山の中の渓流に釣りに入る。山の中の渓流になると、淵や瀬の間隔が下流域と違って狭いので、ポイントがバラエティに富む。川岸まで木々に覆われ緑のトンネルのような中で鮎を釣る。
川の中の石をにらむ。川の流れの中の筋を読む。鮎はどこにいるか。川の中で苔を食む鮎がギラリと光る。おとり鮎を仕掛けにセットし、流れの中に誘導する。元気なおとり鮎は勢いよく流れに沈む。一尾目の鮎が掛かるまでに、時間はかからなかった。
流れに筋に沈む大きな石におとり鮎が近づいた瞬間、ガクン!釣竿がしなり、手元に重量感が伝わった。「掛かった」。鮎釣りに不慣れな私は、たかだか20cmほどの鮎なのに、全身に緊張が走る。まるで幻の超大物と格闘しているようだった。水中で2尾の鮎がギラリ、ギラリと光る。ゆっくり、じっくり、足もとに寄せてくる。重い。ネットにすくい入れた瞬間。鮎との勝負が終わった。
心地よい風が木々の葉を揺らし、木漏れ日が鮎をキラキラと輝かせる。鮎を良く見ると、顔の周りに金箔が貼られたかのように、本当に金色の鮎だった。これが赤石川の金鮎と言われる理由なのか、それともどこの鮎もそうなのか、わからないけど。この森、この川、この空、この空気の中で釣れた鮎は、文句なしの世界一だった。そしてこの満足感は、次なる欲求「食欲」に変わった。
白神山地赤石川 〜金鮎を食う〜
川の獲物を捕って食う。これぞ狩猟民族の原点。いかに目の前の獲物を確実に捕らえ、そしてそれをいかに美味く食べるか。釣り上げることができた赤石川の金鮎。もちろんその場で塩焼きにすることにした。
前日の雨で川原の薪はやや湿りつつも、無事火は起き、おきになるまでに鮎をさばき、串に刺しあら塩をふる。焼き色を身ながら全体的に焼き上げる。針に掛かってから30分で赤石川の金鮎が、こんがりと焼けた塩焼きになっていた。
山の恩、川の恩、海の恩、人間はすべて自然からの恩恵を受けて生きている。それが今では、栽培、養殖、輸入・・・そして加工されたものがパックに入り店頭に並ぶ。パッケージにこだわり、巧みなうたい文句で客を寄せ、魅力的な値段で買う人の心を揺らす。店員のサービスが気になったり、お店の雰囲気にだまされながら商品を選ぶ。すべて当たり前でとても快適に世の中が流れている。
今回白神の森で鮎を釣り、マタギと森を歩くことで多くのことを教わった気がする。人間の生き方というか、自然との接し方というか、いろいろな情報や商品が行き交うこの世の中、
何が大切なのか・・・。それはとてもシンプルなことで、とても大事なこと。これがこれからビジネスとして成り立っていけたら、もう一度身の回りにある自然を見まわして、ちょっとだけ勉強して、努力して。これからの生き方につながれば、とても面白いことがおきそうな予感がする。
そんなことを感じた白神山地赤石川滞在は、とても有意義なものでした。そういえば、塩焼き鮎の感想を書いていませんでしたね。それは私が文書で表現するよりも、赤石川にある熊の湯温泉に泊まり吉川さんに会うほうが早いかもしれません。
おわり