アチェ被災証言
語られるアチェ津波被災の真実
証言6「冷厳なアチェ県社会局長の語る悲話」
(Haniff:55才男性、2005年9月6日(月):県社会局*1にてインタビュー)

 アチェ県社会局局長のファニフ氏は、具体的な被災データ、とくに社会的弱者について、冷静かつ淡々と以下のように説明してくれた。今回のスマトラ沖地震と大津波の被災者はおよそ53万7千人、そのうち18歳以下の年少者は15万人と推定される。そのうち全面的な支援が必要な年少者は、9万人いると考えられる*2。支援の内容には、生活、教育、娯楽、衛生、健康などありとあらゆるものが含まれる。15万人の年少被災者の中には、さまざまな境遇の子供がおり、大きくは@片親のみが生存しているケースと、A両親とも失っているケースに分けられる。Aのケースには、さらに(a)誰も身寄りがない孤児と、(b)親戚・縁者など援助者がいるケースがある。また、(b)の中にも、(b-1)ほかの家族と同居し、かつ公的な支援を求めるケースと、(b-2)ほかの家族と同居していても公的な支援を求めないケースとに細分化される。(a)および(b-2)のケースでは、多くの子供が当局の支援対象外となるため、所在不明になり、人さらいにあい、人身売買の危険すらある。そのため、血縁・地縁、善意であれ何であれ、子供たちが何らかの確固たる保護者が必要である。

 ユネスコは、「家族の再結合プログラム(Reunification Program)」として、2,000人の子供の身寄りを確保する計画を立てているが、7ヶ月が経過した現在までに成功した例は、わずかに200人程度と、わずか10%に過ぎないというのが現状である。「アチェ県には、いまでも身寄りのない子供たちが1,800人もいるという厳しい現実を真摯に受け止めなければならない」と、ファニフ局長は強調した。

 子供たちを保護・教育するために、子供センター(Children Center:CC)があるが、現在では、アチェ県に19ヶ所開設されている。しかし、9万人の子供たちが支援を必要としていることを考えると、およそ1万2000人分の容量にあたる19ヶ所のCCでは、とても十分なケアができない。支援を必要とする9万人の津波遺児をケアするためには、将来、100〜150ヶ所のCCが必要であろう。

 現在CCで行われている主な活動内容は、1)子供の居住確保(仮設住宅、仮設テント、家など)、2)食料の確保、3)教育の確保(一般教育に加えて、宗教教育も重視)、4)子供の遊びの確保、5)伝統的な芸術指導(とくに踊りや歌)、6)家族の再結合(reunification)の推進である。これらの機能は、通常の学校が持っている機能を補完しており、その運営資金は、ユニセフを中心に地方政府などによって賄われている。また、ジャカルタや他の地域から来ている多くのボランティアを含むファシリテーターは、各CCに10−15名ずつ常駐し、子供の面倒をみている。

 子供以外にも公的なケアを必要としている人のうち、障害者については、現在、およそ5万人がケアの対象者と推定されているが、津波の前後で支援体制は特に変わらない。また老人についても、政府とボランティアが支援活動を行っているが、両者へのケアは現在手が回っていないのが現実である。ストリートチルドレンの保護についても同様である。

 このことは、津波の発生以来、アチェ県では一貫して津波遺児のケアに全力を注いでおり、将来計画においても、被災遺児の保護こそが、最も重要な政策と位置づけられている。具体的には、彼らへの教育、健康医療、食料(学校給食を含む)の無料供給や伝統行事の復活などがあげられる。

 ファニフ局長自身は、BRRを中心に、支援体制の総合計画が達成されることを切望している。BRRが比較的短期間(2年)で目指していることは、津波復興と住宅再建計画である。例えば、2,000戸あまりの居住用建物を建設し、家具などの内部に必要な備品も供給するという計画である。より長期展望としては、15万人の津波遺児へのケアを支援することが挙げられている。しかし、アチェ州全体では、80万人もの子供たちがケアを必要としている現状を考えると、夢物語になるのではとの懸念も小さくない。ただそうした中、国内外の組織による食糧援助のおかげで、恐れていた栄養失調症が爆発的に増えるという状況が生じていないことは、明るい情報である。
 局長が説明のすべてを話し終えたので、私が「津波が発生した時、あなたはここに住んでいたのですか?」と少し不躾な質問をした。すると、これまで淡々と白板を使って、流暢な英語で説明していた彼が、冷厳とした態度を一変させ、小学2年生の愛息を失った悲話を静かに語り始めた。
 「私は午前8時頃、病院にいた。その時、1回目の激しい揺れを感じ、急いで自宅に戻った。その後、息子とともに家にいたが、激しい揺れとともに、「グルグルグルグル」という音が聞こえてきた。最初は散水車が水を供給している音だと思っていたが、家の周りから「水だ!水だ!」という人々の叫び声が聞こえてきた。そこでようやく事態を察知し、息子の手を引き、屋根に上がった。しかし第一波として、7メートルの津波が押寄せてきた時、息子の手が離れてしまい、水中に投げ出された。手探りで必死に息子を探したが見つからず、自分も洗濯機のような渦に5分近く巻き込まれ、4度も泥水を飲み、やっとのことで水面に顔を出すことができた。そのときに見たものは、まさに地獄絵図だった。すべてを覆いつくすような瓦礫の間に無数の死体が浮かんでいたのだ。私はその瓦礫や死体で埋もれた泥水から這い上がり、7階建てのビルに避難し、その後さらに高い建物へ移動した。するとその瞬間、第2波の巨大な津波が襲ってきた。とっさに鉄の手すりにしがみつき、振り返ってみると、直前まで一時避難していたビルが一気に崩壊するのを目の当たりにした。そして自分の車が津波に翻弄されていくのも見た。私はすっかり狼狽してしまい、その後のことはよく覚えていない」と。

 局長自身にふりかかった悲話を終えた後、彼は「もし津波警報システムがあったら」と切々と訴えていた。「私たちは、地震が起こり津波によって襲われるまでに、避難できる時間が45分もあった。もし津波警報を知っていたならば、こんなに多くの人たちが死なずに済んだ。国際機関や国家は、国際的な津波警報システムをインド洋にもつくるべきだ。実際、アジア太平洋地域には、国際的な津波警報システムがあり、すでにタイは独自に着手し始めている。しかしインドネシア政府は、いまだまったく何の手も打っていないのだ」と身を乗り出してきた。




*1
広報によれば、県の社会福祉センターの主な役割は、(1)住居に関わる福祉政策、(2)孤立した集落のカウンセリング、(3)民族意識・コミュニティ意識の向上、(4)コミュニティの社会組織、(5)女性のルール、(6)経済的厚生、(7)老人と年少者の福祉、(8)障害者の福祉、(9)路上生活者に対する福祉、(10)社会福祉の改善、(11)被災者への福祉である。

*2
何らかの形で公的な支援を受けている数が6万人いるため、残りが9万人と推定される。
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